「この間の処置、手を抜いたんじゃないのか?」 トリコが男に向き合う。 「それは心外ですね」 トリコの顔を見上げ、その男は抑揚の無い口調で答えた。 口元ににやりと嫌な笑みを浮かべたのは、現在の医療班の長である、βだ。 「我々が手を抜いて、何か利益になるとでも?もっとも」 βは続ける。 「利益になるなら、何でもしますが?」 サニーは一瞬眉をひそめ、黙って聞いていた。 「なら、進展を聞こうか」 トリコに言われたβは助手らしき若い科学者に、ファイルを持って来させた。 トリコがそれを受け取った。ファイルの背表紙には『No.18』と記されていた。 トリコはパラパラとページをめくりつつ、 「この一つ前のファイルもだ」 と言って背後の椅子に座った。 トリコの代わりに、サニーはβに声を掛けた。 「まえ、聞こえたか?もう一つだと」 「前にもお渡ししましたよね?」 βの言葉に、サニーの目が怒りを跳ね上げた。 その眼にβの口元から笑みが消える。サニーから目を逸らし、もう一度助手を促した。 サニーは自らを落ち着かせるかのように、ゆっくり息を吐き、助手が持ってきたファイル『No.17』を受け取る。 再度βを睨みつけて、トリコの隣へ戻った。 「どうしたサニー?」 ファイルに集中していたトリコが顔を上げる。 「…んでもねーし」 トリコは両方のファイルをテーブルに開いた。 「科学者の見解を聞こうか」 先のサニーの目に怖気づいた男は、自身を建て直し、その粘るような視線をトリコに向けた。 「外部での生活100日分のデータと、今までのデータをシュミレーションしました」 「前と比べて何日延びる?」 トリコの言葉にβは手に持った書類に目を落とす。 「実際のNo.17の『耐久日数』が」 βはそう言いかけてサニーを一瞥した。 「ナナは…185日だ」 ファイルに書かれた文字を指差してサニーが答えた。 「ならそれ以上になるはずだな」 「日数だけ考えるとNo.18にはかなり良い予測が出ています」 サニーが顔を上げ、βを見る。 「最高で、280日。ひょっとすると、一年超える可能性も出てきました」 サニーは息を呑み込んだ。 トリコはβに向かって驚いた表情を見せる。 「随分と飛躍した」 「我々は手は抜いていませんから」 勝ち誇ったような目だった。 トリコがその様子に冷ややかに返す。 「…αなら、もっと早かっただろうが」 「それは、皮肉ですね」 科学者の目の中で炎がギラリと揺れた。 「そう聞こえたなら悪かった」 トリコは静かに言う。 「専門外の事を、よくやってくれていると思っただけだ」 βの口が何か言おうとしたが、トリコが立ち上がってそれを遮った。 「今日はお前の専門分野も聞かせてもらおうか」 そう言って二つのファイルをβに戻した。 「蒼衣の、『記憶』だ」 βの口が、歪に釣り上がった。 ← → |