the 否
ザザザザ…ッ。

男の顔がブレた……かと思えば、目の前からいきなり男が消えた。
その途端、首の締め付けが一切なくなる。


「ぅ"ッ…!か、はっ、けほっ、はっ…」

酸素が急に体内に入ってきて、嗚咽を漏らしながら咳き込む。苦しい呼吸に激しく咳をしていると、嫌でも知ってる声が聞こえる。


「お前なに」
「…っ、てめえこそ…ッ」

チカチカして瞑りたくなる目を必死に開けながら声のする方を見る。

黒い髪に背の高い図体、圧倒的なオーラ。
鳴々樹だ…、そう確信する。

一方、男はというと、片膝を地面につきながらも、首をぎりぎり守ったのか、腕を首元に当てている。しかし、その腕も震えていた。
鳴々樹の蹴りは相当響いているらしい。

そんな状況でも、鳴々樹は淡々と言う。


「椎乃になにしてんだお前。だれ?名前は?」
「チッ…」

男は唾を一緒に吐き出す。
あくまで応える気はないらしい。むしろ、男は鳴々樹を睨み上げる。先程の涙のせいか、目尻が赤を引いて、吊り上がった獣のような瞳が怒りに燃えていた。


しかし、鳴々樹は短気だ。
鳴々樹は近づくと急に男の髪を掴み上げ、そのままガンッ!と壁にぶつけた。

「ッ…!鳴々樹っ…!」

あまりの衝撃に目を瞑りたくなる。それほど鳴々樹は容赦なく男の頭を壁に打ち付けた。
鳴々樹は頭部を髪で持ち上げながら、男の顔を再度覗きこむ。

「名前は?」
「ッ…」

男は脳みそが回ってるのか、フラフラと身体が揺れている。体もボロボロなのに悲鳴も上げず立ち上がる男。

鳴々樹はその様子にさらにもう一発男の頭部を壁に叩きつけた。


「ッ…!!」


ひどい。そう一言で言うことしかできない。鳴々樹はどんな相手でも容赦ないのだ。
男は二度も固い壁に叩きつけられたせいか、額から血を流している。
鳴々樹が男の長い髪を引きずり上げ、顔をじっと見る。

「……」

男は相当疲弊していて、膝で立つことしかできなかった。しかし、薄くなっていく正気で壁に手をつきながら、口を開いた。

「……銷谷(しょうや)…」
「へえ…。そうか」

そう言った途端鳴々樹は興味無くなったように男をその場に捨て投げる。
男は身体ごと床に放り投げられた。そして、男はそのまま意識を失ったのか、人形のようにピクリとも動かなくなってしまった。


男は大丈夫なのか。どうして鳴々樹がここにいるのか。これってまたまずくなるんじゃないのか。頭がぐるぐると回る。
いつもこうだ。頭を掻き回されて何も出来なくて、銷谷が言ったように、俺がこんなんだから鳴々樹から抜け出すことも逃げ出すこともできない。

「椎乃」

気づけば鳴々樹が目の前にいた。
次はなんだ、殴られるのか、蹴られるのか、それとも男の前で裸に向かれて犯されるのか。

震えが止まらなくて、涙がポロポロと溢れた。鳴々樹が目の前に立つだけで条件反射のように涙が出てきてしまうらしい。何もかもおかしくなっている。

「な…鳴々樹…」

掠れた声が出た。唾なんて飲み込まない。そのまま呆然と彼を見ていると、彼がこちらへ近づいた。


「………大丈夫か」
「…っ」

暴力に身構えていたのに、やってきたのは身を案じる声と抱擁だった。声は平坦で心配している様子もないし、抱きしめた身体は相変わらず冷えた体温をしている。

それでも唐突なことに呆けてしまう。
  
いつもの暴力がなかった…?
何が起きているのかさっぱりでわからない。抱き締める身体が気持ち悪くてそっと鳴々樹の体を押そうと手を回そうとする。


「優しい方がいいんだろ?椎乃は」

そう、耳元でそっと囁かれた。
手の動きがピタリ、と止まる。

「…それって、さっきの…」
「ああ、椎乃は優しい方が好きなんだろ」
「えっ…、はっ…?」

何言ってんの。
鳴々樹の言っていること……その向こう側がわからなくて、じっと顔を見てしまう。

もちろん優しい方が好きだ。好きだけど。……でもそうしてこなかったのはお前の方じゃないか。俺の自由を奪い、体まで乱暴に蹂躙したのはお前の方じゃないか。今更何言ってんだ。何を言ったって、先に暴力でねじ伏せたのはお前だ。

鳴々樹を見上げると、整った顔だが、相変わらず無表情でこちらを見ていた。



「椎乃が俺と付き合うなら、俺のものになるなら、俺はずっと椎乃に優しくする。ずっと前から言っていたことだ。椎乃が俺に従えばそれでいい。俺を好きでいたらそれでいい」


鳴々樹の告白はこれで2回目だった。
まともに、好きと言われたのは初めてじゃない。ーーー俺が初めての告白を断った日、ボコボコに身体中を殴られ、初めて犯された。

黒の瞳は何に怯えることもなく、ただ静かに見ている。俺の様子を観察しているのだろう。
俺がどう反応し、どう答え、どう行動するのか、一挙手一投足見逃さないつもりで、静かにこちらを見つめる。

正しい回答は手の中にあった。

『嫌ならはっきり拒否れよ。どうして抵抗しない』

………だが、頭に鳴り響いた声に、その回答を破り捨てた。



「……俺はお前のこと好きじゃない」


答えを聞いた鳴々樹の目の色が、沈んだ。



ガンッ!!!

「…ッカハッ…!!」

勢い余って、口から胃液を吐き出してしまう。鳴々樹から腹を殴りつけられた。しかも物凄い威力で。
俺はそのまま床に倒れ込む。しかし、鳴々樹はお構いなしに床に転がりかける俺の腹めがけて蹴り上げる。

「っぐぁっ…!!!」
「やっぱり、優しくするのは飽きた。椎乃が可愛くないから」
「っう"っ、っぐ、っ………っぁあ"あ"あ"ッ…!!」

鳴々樹は転がる俺の腹を数回蹴飛ばし、そのまま痛み悶える俺の手を土足の靴でグリグリと踏み躙る。
痛い、苦しい、痛い。それなのに、鳴々樹は躊躇いもせず、痛めつけてくる。あ"あ"あ"ッ、痛い…ッ!!!


「振り出しからだな、椎乃。お前は俺のものにならないと」
「っ、」

鳴々樹。お前はどうしてこんなことをしてまで…。お前がまだ、普通に俺のことを見てくれればこんなはずじゃなかった、それなのに。


…そうやって見上げた彼の顔は、結局無表情で。

ああ、俺の声は彼に届かないんだ…。
そして、暴力で全てひれ伏せる鳴々樹の心内を俺はどうやっても理解できないのだ。

そう、悟るしかなかった。



the 陰-終。

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