夜は開け、冬織はフリータイムをさらに追加し、昨日と同じネットカフェに俺たちは未だ滞在していた。
冬織はカタカタとパソコンをいじってばっかでこちらに構う様子もない。俺は退屈になりすぎて、冬織にちょっかいをかけてみた。
(そんなバカなことをするなよ。諦めて、早く家に帰ろうぜ)
しかし、冬織に俺の意図は伝わらず、揶揄っているのか、俺の頭を撫でたり、首や肩をすりすりとさすって、片手間でペットをあやしているような手遊びをする。
こちらとしては、そんな猫みたいな戯れものをして欲しかったわけではない。
俺はさらに冬織の脇腹にグリグリと頭を押し付けたり、薄い皮膚のほっぺを引っ張ったりして邪魔をしてみるが、相変わらず冬織は画面の方を見たままで、ポンポンと頭を撫でるだけだった。
(いつもならもっとお節介なくせに…)
わざわざ授業中を抜け出して俺を捕まえにきたり、包丁で脅してこんな遠いところまで連れてきたりお節介な優等生は俺に構ってきてばっかりだ。
しかし、今の冬織は集中しているのかそちらに気を取られているのか、一切パソコンの画面から目を離さない。
そうして、いくつか邪魔する試しをしていってみたものの、結局冬織の手弄びにされるだけどわかった俺は不貞腐れて、再び長い時間漫画を読み漁ることにした。
しかし、次第にこの状況に飽きてきていたのは間違いなかった。
「…冬織、喉乾いた」
俺は冬織の肩をトントンと叩く。
「ねえ、冬織。外に飲み物買いに行ってくる」
「…万智。それならドリンクバー頼めばいいだろ」
「ドリンクバー?そんなの頼んだらわざわざ一番安いプランにした意味ないじゃん。金ないんだろ?別に、一杯だけ飲みたいんだよ。自販機かどっかで買ってくるよ」
俺はそう言って、狭い座敷から立ち上がる。そのまま個室から出て行こうとする俺に冬織は久しぶりに画面から目を逸らした。
「待って、万智。お前、金あるのか」
「あ。ないんだった。……ごめん、冬織貸して?」
「…はぁ」
冬織は大きくため息をつくと呆れてそっぽを向いた。
こりゃダメかな?と思われたが、カバンの中から財布を取り出し、百円玉3枚、300円を俺に渡してきた。
手に乗る300円。
そういうところは律儀な冬織に、俺はニッと笑顔になった。
「ありがと、冬織。冬織は何飲む?」
「コーラ」
「了解〜行ってくる」
冬織からお駄賃をもらった俺は靴を履き、冬織と二人きりの個室を出る。
店員に一応声をかけて俺は店の外に出た。
フラフラと歩いてなんとなく町の状況を把握する。冬織にいきなり連れてこられた俺は、ここがどこなのかよくわかっていないのだ。
電柱を眺めていると病院の広告と共に、〇〇町3丁目と書いてあるのを目にする。
また、店の近くは大きな商店街になっていて、アーチのゲートに特徴的な商店街の文字が書いてあった。
(電車も結構乗ったし、もしかしたら隣の県にまで来てるかもしれないな…)
俺はそのままフラフラと歩きながら、自販機を探す。
コーラ1本、お茶1本。合計220円。
安い自販機を見つけた俺は80円手元にお釣りが余った。
俺は2本のペットボトルを抱えたまま、あらかじめ見つけておいた公衆電話のボックスの中に入る。
お釣りの十円玉を公衆電話に投下し、記憶の片隅にあった番号の数字を押していく。
プルルル………。
「あ、もしもし。おじさん?」
「万智っ?!」とおじさんの驚いたような声が響いた。俺はそのおじさんの声に笑みが漏れる。
古い受話器から聞こえてくる声はいつもより幾分か低い。
おじさんに俺は返事をした。
「そう、俺。万智だよ。おじさん、急にいなくなってごめんね。友達と遊びに出かけたら遠くまで来ちゃったんだ。でも、心配しないで。もう少ししたら帰るから…」
『−−−−』
「ん?今?今は〇〇町にいるよ、昨日はネットカフェに泊まった。……え?なに?そんなに心配したの?ハハッ、俺が出ていくわけないじゃん。出て行ったなら電話なんかかけてこないでしょ」
『−−−−−』
『…大丈夫、おじさんを見捨てたりしないから』
ガチャリがチャリと十円玉を投下して通話時間を少しでも延長させる。
しかし、あっという間に80円はなくなり、手持ちの十円玉はもう残っていなかった。
「うん、うん……わかった。待ってるよ」
電話がそろそろ切れる−−−。
電話越しにおじさんの焦った「万智」と呼ぶ声が聞こえた。
「…おじさん、大丈夫。俺はおじさんの元に戻るよ」
俺は受話器に向かって、そう話しかけていた。
*******
「ただいま、はいコーラ」
「ありがとう。………随分遅かったみたいだけど」
「そうか?自販機探してたらこのぐらいになるだろ」
俺はキャップを外し、飲み口に唇を触れさせた。
少し冷たいお茶が喉を超えていく。
冬織の横にぴったりと並んで、俺は読みかけていたさっきの漫画を読むことにした。
ペラペラとページをめくっていると、突然着信音が鳴り響く。
机の上で震えるスマホは冬織のものだ。
しかし冬織はその通知音を無視して、またネットサーフィンをしている。
「冬織、電話出なくていいの?」
「いいよ、大した用事じゃないだろ」
そう言っていれば通話音は途切れてしまった。
まあ本人が言うならいいか、と俺も気に留めない。
俺が大事なのはここに滞在していることだ。おじさんが直に迎えにきてくれる。その時間稼ぎをすればいい。
そう思えばこの退屈な空間もなんだか耐えれる気がした。
しかし、またスマホの通知音が鳴り響いた。今度は電話ではないが、何かのアプリの通知のようだ。
今まで通知音など気に留めていなかった冬織はその音に身体を反応させる。キーボードを叩く手を止め、スマホに目を向ける。
その瞬間、何気なくスマホの通知を見た冬織の目が、突然色を変えた。
「万智、お前外で何してた…」
「えっ?……ジュース買いに行ってただけだけど」
「万智、嘘つくなよっ!?なんでお前はそうやって俺に嘘をつくんだ!俺と一緒にいるのがそんなに嫌なのか!!」
突然怒りだした冬織に、俺は目を開いて彼を見ることしかできない。
「なんだ、何で怒ってんだよ…?」
「万智に外を気軽に外出させた自分が本当馬鹿らしいよ…」
「な、なぁ冬織…?」
「万智、早く片付けて!ここから出るから!」
そう怒鳴る冬織に俺はびっくりして目を見開く。
「えっ、?まだ、フリータイムの時間が…」
「万智っ!……俺は全部わかってるんだよ?お前、俺の計画を台無しにしただろ…。万智は俺の言うことに従って」
冬織はそう強く言うと、周りの荷物をかき集め出した。無理矢理リュックに充電器やブランケットなどを押し込んでいく。
冬織の雰囲気に圧倒されて、俺は立ち尽くすしかない。そのまま俺は飲みかけていたお茶と冬織の分に買ったコーラを抱く。
そうしている間にもテキパキと冬織は荷物を全てリュックに詰め込み、立ち上がる。
「万智、いくよ」
「え、ちょ」
「おじさんが迎えに来るのに」
そう言葉には出さなかったのだが、冬織は無理矢理腕を引いて会計を済ませては、店から出てしまう。
このままだとまたおじさんに合流出来なくなる。
無理にでも引き留めようと冬織の手を自分の方へ引っ張った。
「冬織っ。お前またどこかに…」
「うるさい!邪魔をするな!万智は黙ってよ!!」
ビリ、と耳鳴りがするほど冬織は大きな声で叫んだ。
街のど真ん中で激昂する冬織に周囲がザワザワとこちらを野次馬に見てくる。
いつもと違って、タカが外れたように怒りの感情を直接ぶつけてくる冬織に、俺は慌てて語尾を弱めて小さく呟く。
「そ、そんなに怒るなって…」
「全部万智のせいだろ」
冬織の言い方にギリ、と心臓が痛む。
それでも、冬織は怒ったままで、俺は結局その場は口をつぐむしかなかった。
…もしかしたら、この様子からすると、おじさんに電話したのがバレてしまったのかもしれない。
どんな理由で知ったのかわからないが、俺を家に戻したくない冬織のことだ。勝手に連絡を取れば怒るだろう。
血走ったような目をした冬織に腕を掴まれて、俺はまたどこかへと連れていかれる。
こんな雲隠れ、通用しないのに。
ただ黙って俺の手を掴む冬織の手を握った。