6


爽やかな陽気だった。
お日柄がいいというのはこの日のことだろう。
メイク室で俺はファンデーションを塗らされ、いつもよりも肌の質は均等になっていた。


「美郷。僕の可愛いお嫁さん」
「雪里さん…」

雪里は僕を優しく抱きしめた。
新郎服であるフロックコートを完璧に着こなした雪里は一段と美しい男に見えた。
華やかさは普段よりも増し、彼は本当に何を着ても似合う男だと感心した。

「美郷。緊張している?」
「まあ、結構してます…」
「美郷が言う通り、友人たちはあまり招待していない。本当に身内だけだ。だからそんなに緊張することはないよ。まあ、本来だったら何百人と呼びたかったんだけど、同性婚についてはまだ厳しい目があるからね。美郷が心配する理由もわかるよ」
「すみません……」
「いいよ、美郷が一番大事なんだから当然さ。…美郷、タキシード似合ってるよ」

雪里さんはそう言って俺の唇へキスを落とした。
彼の独占欲が強いことは今に始まったことではない。

俺はただそれをじっと受け入れた。


「美郷、挨拶もあるし、披露宴の打ち合わせもあるからちょっと席外すね。飲み物はスタッフに言って持ってきてもらいなさい」
「わかりました…」
「美郷が早く、雪里、と呼んでくれることを待ってるよ。それじゃあ」

俺は雪里の言葉にハク、と唇を震わせて、彼が部屋から出ていくのを呆然と見ることしかできなかった。




ぼーっとしたまま、化粧台の前に座り込む。
大きなミラーを見れば、整えられた髪と普段よりも派手にされた顔が映っていた。黒いタイと白シャツに俺は深く安堵した。

−−−1歩間違えれば、俺は女物のウェディングドレスを着せられていた。
そんな屈辱的なことはあろうか。俺はゲイどころか、オカマでもない。ジェンダー批判をするわけではないが、俺があいつの女として見せしめさせられることは本当に耐えられなかった。

親は、来たのだろうか。いや、来ていないだろうな。
あの厳格な銀行員の父が、俺と男の結婚式なんて顔を出せるわけがない。
もし父が目の前に現れて、なんでこんなことになったのか、と問われたら、「本当にあなたの言うことを聞いていれば良かった」としか言えないだろう。


あの衝撃的な告白の日から、俺の暮らしはグチャグチャだった。
整理されていたはずの部屋は発狂したようにものを倒しまくったせいで汚く散らかり、夜になれば雪里が自分を襲うのではないかと言う恐怖感から自室へ雪里を入らせないように必死に物を扉の前につめて扉を外から開けられないようにした。

それでも朝になれば、俺は彼の元へ行かねばならなかったし、マナーもフラワーアレンジもコーヒーも止めることなんてできなかった。
気が狂ったようにその暮らしは続いていった。






「はぁ…だめだ」

もう今、俺は嫌なことしか思い出せない。
俺は何も考えずにただ目を瞑ることに決めた。







○○○○○○○○

しばらくして、扉のノックがした。

「はい」と俺は、椅子にもたれながら返事をする。
扉の向こうの人物は俺の声を聞くと、速やかにドアを開いた。

「よ。どうも」
「っ。あ、あなたは…」

黒の前髪を斜めに下ろしてはリーゼントで固めた俊義がスーツ姿で立っていた。

「俊義さん…」
「名前は覚えていたか。そこは優秀だな。とりあえずこれ雪里に言われたから飲み物置いておくぞ」

俊義はズカズカと部屋の中に入ってくると、オレンジジュースのグラスを俺の前に置いた。
俺はそれにただありがとうございます、と言うしかできなかった。


俊義はさっさと用事を済ませて部屋を出ていくかと思ったが、俺の様子をじっとみると、近くにあった椅子を無理矢理引っ張ってきて座り込んだ。
長い足を交差に組んで、高級な革靴のつま先が俺の方を向いた。


「お前これから結婚式だっていうのに、辛気臭い顔してるな」
「そ、そんなことないです!」

俺は慌てて俊義の方を向いて反論した。

しかし、俊義は蛇のような三白眼でじっとこちらを見つめてくる。その目はずっと俺の奥底を見抜いてるようで、非常に嫌だった。


「お前、俺の忠告守らなかったみたいだな」
「……」

今更、忠告…なんの話だ。そう思って記憶を辿れば、何ヶ月か前に格好について貶されたことを思い出した。

「俺は滅多に忠告やヒントを与えないんだが、お前はそれがわからなかったみたいだな」

俺は俊義の言葉に何も言えなかった。
他人の財や地位に縋りついた末に、堕ちた結末は自分自身が「他人の物」になると言うこと。
俊義の言葉は今になってありありと、よくわかった。

「すみません…」
「すみません?俺はまだお前たちはうまくやっていけてると思ってたんだぞ。信頼関係や流れる空気は完全に安心できたものだったろ」

そう思う、自分もあの時は幸せだった。
でも結局違ったんだ。
履き違えて進んで行った先はもう後戻りなんてできない。

すみません、と俺は小さくまた謝った。


俊義は俺のその様子に、はあっと盛大なため息をつく。

「……ッチ。せっかくの祝いの場だ。その間だけでも取り繕っておけよ」


俊義はそう言って椅子から立ち上がった。
タンタン、と靴の音が鳴り響く。ふと、その足音が止まった。


「そういえば、うちの会社に新しくインターン生がやってきたんだが。紘って言われたらお前わかるか?」
「…っ、紘っ…?」

俺の思っている紘かどうかは限らない。ただ、懐かしい友人の名前に俺は思わず俊義の方を振り返っていた。



「その紘って奴がな。海外に手紙を出しますって言う話をしてたんだよ。仲良い奴に送りたいんだけど、そいつはいつまで経っても手紙をよこして来ねえし、どこ宛に送ったらいいかわかんねえ。自分はどうしても伝えたいことがあって、どうやってでもこの手紙を友人に届けてほしいから、郵便局に頑張ってもらうしかねえ!って言って、その友人の特徴だけを書いた手紙を郵便局に渡そうとしててな。お前バカかよって怒ったわ。しかもアイツ海外料金と配送日数全くわかってなかったしな」

はぁ?なんだそれ。
紘は相変わらず自分の勘だけで無茶苦茶やるなぁと、笑えた。…アイツに手紙を出すこと、こんな忙しいあまりすっかりわすれていた。

「たとえ、住所がわかってもお前それ一週間は軽くかかるぞって言ったら、早く届かせてくださいって泣き喚くもんでな。一番早い郵便局がお届けしに来たんだよ」

そう言った俊義は俺の顔の前に白い封筒を差し出してきた。

「友人へだってよ」


俺はそれが触れたら突然泡になって消えてしまうのではないかと思った。
しかし、俊義が差し出す封筒へゆっくり丁寧に触れれば、紙の柔らかい感触が伝わってきて、これは夢じゃないんだと安心できた。


俺はそのまま手紙を受け取り、封を切った。

パサリ、と一枚だけ折り畳まれた手紙が出てくる。
俺は何も考えず、その1枚の手紙を目を通していった。



『美郷へ。
どうも、紘です。こんにちは。昼かはわからないけど、ハローが最初の挨拶っていうなら、これはこんにちはでいいよな。

俺は今焦ってこの手紙を書いてます。それは唐突なんだが、俺が猛烈に今反省しているからです。

美郷が留学に行けるようになったことを応援してあげられなかったの、本当にごめんなさい。
俺はどうしてあの時お前をあんなに責めてしまったのか、今でも思い出しては頭抱えて死にたくなってとても悲しくなってしまいます。
本当にごめんなさい。

俺にとって美郷は大学で出来た初めての友達だったから、お前が遠くに行くのが怖かったのかも知れません。お前がどんどん遠い存在になって、いつの間にか俺なんかちっちゃくて見えなくなって、忘れていってしまうのかと思うと、俺にとっては凄く怖かったんだと思います。

俺はお前のちょっと抜けてる所とか神経質で頑張り屋さんな所とか、自分の行きたい道を「夢」と言う形であってもしっかりと持っているところが好きでした。
だからこそ、親父さんがお前の夢を反対してたって言う話を今更思い出して、俺はまたキミに同じ思いをさせてしまったことに大変後悔しました。

俺はキミが幸せな人生を送れるのであれば、どんな道を選んでもいいと思います。俺を忘れられてしまうのは、俺にとっては悲しいけれど、美郷お前自身が好きなように自分の目指した道を行けるのであれば、それは友達として応援しないわけがありません。キミが幸せだと思える道へ突き進めるのであれば、俺は今更ですが、留学をおめでとうと祝福します。

また1年後に美郷が戻ってくるって言ってたので、俺もキミに忘れられないように立派な大人になろうと必死に勉強するつもりです。いや、してます!だから、美郷も自分の描いた『ていねいなくらし』ってやつを実現できるよう頑張ってください!
じゃ、また会おうな! 紘』



俺は気付けば、椅子から崩れ落ちていた。
ぼたぼたと涙は止まらなくて、ここまでの感情が全てぐちゃぐちゃに崩れ落ちた。

今ここで泣いている俺は、本当に全てを剥がしさった俺自身だった。
何もかも信じられなかったのは、紘ではなく俺自身であったのに。


「あーあ。ったく、お前は本当にタキシードも着こなせねえな」

俊義はそう言って俺を無理矢理引っ張りあげた。
力を込めすぎて、手紙に皺が寄ってしまったかもしれない。それでも俺はこの手紙を手放せなかった。

俊義は俺の頬を掴み上げると、胸ポッケのハンカチで顔を無理矢理拭られた。

視界はいつのまにかクリアに開けていた。
どこまでも澄み渡ったように目の前が開けていく。




「お前が本気で泣けたなら、どこにでも行けるだろうよ」



俊義はそうぶっきらぼうに言ったが、どこか嬉しそうに笑った。






ー終ー

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