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授業は終了し、俺は雪里さんと住むマンションへ帰宅と向かう。
ついでに晩御飯の買い物もしておこうと、高級なタワーマンションの立地の良さ!を生かして、アンテナショップや食品専門店を回ってから家へ帰ってきた。


鍵をあけてドアを開け、玄関で靴を脱ごうと下を見ると、靴が二足綺麗に並んでいた。
革靴だ。

(雪里さん、もしかしたらこの時間帰ってきたのかもしれない)

俺はそっと靴を脱いで靴箱にしまうと、買い物袋を提げてリビングへと入っていった。

キッチンはリビングを見渡せる位置にあり、海外ドラマ出てくるような鋼色の大きな扉の冷蔵庫が目立つ。オープンキッチンにもなっていて、お店のカウンターのように料理を作っている人と食べる人が向かい合って話せるスペースもある。



リビングの扉を開けると、ソファに座って話し込んでいた2人組がこちらに振り返った。

1人は思ったとおり雪里さん。そして、もう1人は黒のスーツに黒髪をワックスでかきあげた見知らぬ男だった。

じっと様子を見ていると、雪里さんはこちらに気づいて、手を振ってくる。

「ああ、美郷くん。帰ってきたんだ、おかえり」
「ただいまです、雪里さん。あの、その方は…?」
「ああ、彼は僕の大学の同期で、僕の会社と一緒に仕事をしてくれている会社の社長だよ」

(えっ!雪里さんの大学の友人で、仕事仲間の社長!)

恐る恐る聞いてよかった。そんなすごい人が急にやってくるとは思わなかった。

黒髪の男性と思わず目が合うと、その間に雪里さんとは何か一言だけ交わしていた。

「おまえ、これはまずいだろ…」


彼らが何を話しているのかはわからない。その不思議な雰囲気の2人をただ大人しく俺は見つめていた。

雪里さんは美丈夫という感じに対し、もう1人の男はどちらかと言うとカリスマ性のある男らしい雰囲気の人間だった。どことなく圧倒されるオーラを感じ、睨まれたらひとたまりも無いなと勝手に想像してしまう。

じっとキッチンの側に立っていれば、雪里さんの大学の友人という男は、ソファから立ち上がりこちらへ近づいてきた。
思ったよりもっと背が高く、体は鍛えているのかガタイはしっかりとしていた。



「…お前、服に着せられているな」
「えっ?」

突拍子もない、一言が急に飛んできた。それでも男は何かに納得したように言葉を紡いでいく。

「その服を己のものにしたという自信やオーラが見えない。雪里に買ってもらったんだろ」
「ああ、そうだよ俊義(としよし)。俺が美郷くんにプレゼントしたんだ。すごく似合っているだろ?」
「お前の見立てはあってるが、残念ながら似合ってるとは言ってない」
「ええ〜?そうかい?」

ハハハ、と軽快に笑う雪里さんやそれを呆れたような視線を送る俊義に俺は未だにポカン、としていた。

たしかに、服は雪里さんからのお下がりや新しく買ってもらったものもある。今日紘に言われた時計なんてそうだ。雪里さんは自分がお金を使うことが少ないからプレゼントと言って俺に服などをくれていたのだ。俺もせっかく貰ったものだからそれはありがたく頂いていた。
しかし、遠回しからの直接攻撃で、俺にその服が似合わない、つまり「雪里さんのように高い服を着ても俺には全然似合っていない」と言ってきた俊義に俺は苦い表情を浮かべることしかできなかった。
この感情はショック以外の何者でもないだろう。


「美郷くん、大丈夫。似合ってるよ。まだ着た回数が少ないから、服が君に慣れていないんだ。自然と身体に服が馴染んでくるさ」
「雪里。お前いい加減にしろ。お前には言いたいことがたくさんあるんだぞ…。おいそこの坊主。お前、美郷っていうのか?お前も服が馴染むのを待つんじゃなくて着こなせるような人間になっとけ。お前自身が変われ」
「え、あ………は、はい…」

雪里さんが大丈夫だよと慰めてくれるが、生まれも育ちも一般庶民家庭な俺には俊義の意見を重々に受け止めるしかない。それは的を得ているのだ。
……しかし、第三者の意見というものはすごく響いてくるようで、威勢のいい返事はやはりどうしても声が出なかった。


俊義はそのまま、雪里の方へ行くと、何やらガミガミ話している。

雪里はそれに曖昧に笑うだけで、俊義に言われた意見へ変える気はないようだ。


「……はぁ、ったくお前は本当に頑固な奴め。まあ、いい。計画や仕事の件はよくできている、それは認めてやる。何も問題なければそのまま進めていこう」
「ありがとう、俊義。また今度、美郷くんも含めて3人でご飯でも食べにいこう」
「……ッチ、そうだな」

言葉とは反対にウンザリした顔を見せた俊義は肩をすくめた。そして、俊義は荷物を掴むと、雪里を通り抜けて玄関の方へ歩いていく。
俊義は去り際に、頑張れよ、と2、3回俺の肩を叩くと、そのままリビングから出て行ってしまった。

雪里も俊義のあとに着いていったが、しばらくすると見送りを終えて戻ってきた。



雪里は俺の様子を見て、どことなく申し訳なさそうに眉を下げて、話しかけた。

「美郷くん、ご飯にしようか。久々にお寿司でもどう?」
「えっ……あっ、いいんですか?一応食材は買ってきたんですけど…」
「いいよいいよ。いつも頑張ってくれてるからね。美郷くんの好きなトロでもたくさん頼もう」
「わ!いいんですか!楽しみ!!」

お寿司にトロに!と勢いのあまりパッとはしゃいでしまった俺は、その後すぐにハッとして冷静になる。
さっきまで、高級な服が似合う男になれよ、と俊義に忠告を受けたばっかりなのに…。こんな子供っぽい姿を見せてしまってはきっと怒られてしまうだろう。


そんな俺のコロコロと変わる表情に雪里さんは俺の頭を数回撫でると、「美郷くんはもっと僕に甘えなさい」と少し情けなさそうな照れ臭そうな笑いをした。









…お寿司は美味しかった。
食後のお茶として、急須で緑茶淹れると、雪里さんに差し出す。
−−−俺はいつから回転寿司の粉を入れたお茶を飲まなくなったんだろう。

そんなことをぼんやりおもいながら、俺はゆっくり席に着いた。

「美郷くん、ありがとう。僕は美郷くんにとても感謝してるよ、こんな美味しいお茶まで淹れて貰ってね」
「そんな…大したことないです。それに俺がやりたいことなんで」

食に対して興味がある俺は、お茶も好きだった。雪里さんはせっかくなら俺の好きなことに熱中すればいいと、お茶コレクションやホルダーをたくさん買ってもらった。
茶葉の専門店を雪里さんと回れたのは楽しかったな。

今日は雪里さんの疲れを癒せるように、と雪里さんのいつも好きな静岡のお茶葉を使った。
その独特な葉の香りが心地よかった。

「そういえば美郷くん。キミには話したいことがあるんだ」
「?何でしょうか」

お茶呑みをゆっくりテーブルの上に置くと、こちらを静かに見てくる。改まった雰囲気に俺は背筋を伸ばした。


「実は僕、近々海外へ行こうと思っているんだ。仕事の都合で約1年くらいの滞在になると思う」
「え…す、すごいですね…!世界でもお仕事するってことですか?」
「まあ、そういう感じかな?日本だけじゃなくグローバルにもネットワークを広げたくて」

ほう、っとため息がつく。
本当に雪里さんは規格が俺と大違いだ。
雪里さんは、俺に丁寧に、企業のグローバル化を進めることの大切さや世界経済・情勢を交えた企業展開、今後の会社の理想像などを話してくれた。
それから、俺は雪里さんがこのことに本気だという熱量が伝わってきた。


「実は、美郷くん。この話を君に熱心に説明したのは、理由があるんだ。君にお願いごとがあるんだよ」
「俺に、ですか?」

お願い事とは何だろうか…。
この一年、雪里さんと暮らしてきて、俺は雪里さんのおかげで平和で理想的で穏やかな生活を送ってきた。
雪里さんはとても気さくで明るくて、温和な空気感で俺をいつも優しく包み込んでくれていた。
雪里さんがいうことなら、俺はなるべく応えてあげたい、そうおもっていた。

「美郷くん、君にも良ければ僕と一緒についてきてほしいんだ…。美郷くんは昔、日本から出て海外で暮らしてみたいと言っていただろう?今度行く国は東南アジアの方にあるんだが、自然が多く、海も綺麗な場所だ。有名な企業家や画家、一部の芸能人なんかも別荘を建てていて、住んでいたり訪れていたりするらしい。美郷くんには絶好な場所だろ?ご飯も不味くないと聞いたし、人柄も……」

雪里さんはそう言いかけて、ハッと我に返った。ペラペラと口を器用に捲し立てていたのに、言葉を詰まらせてしまう。

「えと、すまない。だから、その、ここはとても君にメリットがあって、君にもいい条件だと……はぁ、やっぱりダメだね。僕がどうしても君をその場所に連れていきたいんだ…。君との生活が楽しくて幸せで、離れることが無理なんだ」

すまない、と雪里さんは謝ってくる。

その一方で、俺はというと、目がぱちぱちと輝いて、胸の奥が熱くなっていた。

「えっと、それは雪里さんに俺が着いていっていいってことですか?」
「ああ、そうだ。むしろ僕が君を連れていきたいんだ」
「行きます、俺行きたいです、雪里さんと一緒に」

海外の生活。言葉が通じるのか、そこはどのような場所なのか、現地の人はどんな風なのか、実際には体験してみないとわからない。しかし、不安よりも俺はどこか眩しい気持ちがしていた。留学は迷っていた、しかしそこに踏み入る勇気はなかった。
でも、今、雪里さんが手を差し伸べてくれている。その上有難いことに俺を必要としてくれた。それはとても喜ばしいことなんじゃないだろうか。

ぼやけていた幻想はよりますます現実へと近づいている。雪里さんと共になら叶えられる。

『丁寧な暮らし』という俺の望んでいた世界が目の前にははっきり見えていた。



「美郷くん、僕と一緒に来てくれる?」



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