1
ていねいなくらし。それはオーガニックの食品を食べることや、掃除機をわざと使わないで箒で掃除してみること、あえてバスを使わずにゆっくりと歩いてみること。
こだわりを持って、丁寧に、少し豊かな生活を送ること、それが丁寧な暮らし。



「雪里(ゆきり)さん、おかえりなさい」
「美郷(みさと)くんただいま」

美郷とは、俺のこと。美しい郷とかいて、みさと。
雪里さんは雪の里でゆきりさんだ。

雪里さんは上質なグレーのスーツをぬぐと、木でできた温かみのあるテーブルとセットになった椅子に真っ先に腰掛ける。

俺はそのテーブルにさまざまな野菜を用いたサラダやアンテナショップで買った味噌を使った味噌汁、取立ての野菜の直営販売所で手に入れた野菜たちの胡麻油との和物、そして穀物を入れたご飯と醤油をひいて焼いたサンマの焼き魚を並べていく。

料理は揃いあがった。
雪里さんはポケットからスマホを取り出すと、カシャリとテーブル上の料理達を写真に収める。

「本当にいつもよく出来ているな。料理人でもなれそうだ」
「いや、そんなことないです。大して作ってないですし、ただ美味しく良いものを食べれたらって」
「いや、それでもこんなに毎日作り上げて…美郷くんは立派だな」

雪里さんは今までカメラフォルダに収めた料理達をスマホで眺めてはそう褒めてくれた。
雪里さんは俺の料理を全て大事に写真で保存してくれている。こんな素人の、俺の料理をいつも大切に記録してくれるのだ。

「それじゃあ、早速頂こうかな」
「はい、どうぞ召し上がれ」

丁寧な暮らし。
まさに体現されたこの空間は僕の夢そのものだった。





豆をきちんと手で挽いて、コップは安いプラスチックなんか使わない、少し背高で、こだわりのあるコーヒーショップ。
その店は、大学2年の当時俺が唯一出来た「ていねいなくらし」の場所だった。

日曜日の昼13時。俺はそこに通ってゆったりと雑誌を読むのが好きだった。
都会の中でも静かな空間。ひんやりとした打ちっぱなしの壁、大きな窓から木漏れる太陽の暖かさ、漂ったコーヒー豆の匂い。
俺の「ていねいな空間」。

ゆきりさんはたまたま俺の隣に座った、コーヒーショップのお客さんだった。






「美郷くん。今日のお味噌汁美味しいね」
「実は、少しお味噌変えてみたんです。白味噌が多めの」
「へぇ。このお味噌、とっても美味しいよ。僕は好きだな」
「本当ですか。それじゃあ今度からお味噌はこれを使いますね」

そう言うと、雪里さんは嬉しそうに微笑んだ。
雪里さんは白味噌が好きなんだな、そう思って、食卓に並ぶお味噌汁を口に含む。少し甘みのある味噌の味が口の中いっぱいに広がった。

雪里さんは俺より8つの差しかないのに、有名なベンチャー企業の社長だ。
白のように透けた髪と整った目鼻口。端正な顔立ちとすらりとした体型はさながら芸能人のようだが、穏やかな雰囲気はマイナスイオンをたっぷり含んでいて、見る人全てを癒した。

この温和な彼がベンチャー企業の凄腕社長ということが意外だが、彼の話には説得力があり、彼に任せてしまえば大丈夫だと思わせるような信頼感があった。



雪里さんは指の長い手でお箸を持ち、和物に手を伸ばす。

「美郷くん、そういえば最近大学はどうだい?」
「…うーん…あんまりそんな変わったことはないです。強いて言うなら、就活とかインターンとかをみんな意識し始めたぐらいですかね?」
「ああ、そうか。もうそんな時期なんだね」

大学3年になった俺の周りはそろそろ就活の話が持ち上がり始めた。夏にインターンに行った学生もちらほらいるらしい。就活は自分の人生を大きく左右するイベントで、真面目な子ほどそういうのに積極的に参加しようとしていた。

「美郷くんは、インターンは?」
「まだ、行ってません。実は進路に悩んでいて…」
「そうなんだ。それなら、僕にも頼ってくれよ。話だけでも聞くからさ」

雪里さんはそういって、心配したように頭を撫でてくれた。それに不快感は一切無い。


俺は雪里さんの、無理に自分の会社を勧めてこないところが好きだった。

雪里さん自体仕事は楽しくはやっているらしいが、その価値観を無理には押し付けてこようとしない。しかも、俺の好きなようにやらせてくれて、その行動に何一つ文句は言わないのだ。

今日の料理だって、俺が作りたいように作った献立だ。もちろん雪里さんの体調を考えたものでもあるが、それはあくまで俺が勝手にしていること、雪里さんが望んだわけでも、命令したわけでもない。さらに雪里さんはむしろ褒めてくれて、感謝までしてくれる。こんなに幸せなことはあるんだろうか。自然と自分の精神状態や生活の質がぐんぐんと上がっていっているような気さえする。

雪里さんの態度や雰囲気は自分のことを尊重してくれてるような気持ちにさせてくれ、俺は雪里さんをとても慕っていた。






○○○○○○

「あれ?美郷、お前誕生日だったっけ?」
「えっ?」

退屈な経済の講義中、隣にいた紘(ひろ)がそう聞いてきた。

「俺誕生日違うけど」
「あ、そうだよな。じゃあ、なんかバイト始めたの?」
「バイト?やってない」

雪里さんのお家住まわせてもらってるが、その家賃代を給料とするなら、それはバイトと呼ぶのかもしれない。
でも雪里さんは俺を家政婦として扱ってるわけでも無いから、どちらかというと親戚のお兄さんの家で一緒に住んでいる感じだ。

「あっ、そうなんか」
「なに?何か俺おかしい?」
「いや、その美郷がつけてる時計めっちゃ高そうじゃない?美郷あんまり時計つけてたイメージないから、誰かからのプレゼントなのかもしくは自分で買ったんかと思って」

そう言った紘はじっと俺の時計を見ている。黒い板に、シルバーの針がチッチッチ、と回っていた。

「あ、ああ。これ?これは貰ったんだよ。俺に見立ててくれたらしくて」
「へぇ〜お父さんとか?」
「いや、父親は地方にいるからだいぶ会ってない。うーん、何て言うんだろ…知り合いのお兄さんからかな?」


俺20歳に対し雪里さんは28歳。
雪里さんギリギリ『おじさん』では無いよな?30手前だし。

知り合いのお兄さんだと改めて伝えると、紘は珍しそうにこっちを見た。


「え!その人って親戚のお兄さんかなんか?めちゃくちゃ羽振りいいじゃん!それ高級時計だぜ!普通の男子大学生には持ちたくても持てねえもんだよ!カァーーーーーッ!めちゃ羨ましい〜〜俺も十何万の時計1個買ってもらいてえよ〜」

紘はそう言いながら、机に項垂れる。

(…そうか、この時計、十数万するんだ)

やっぱり雪里さんは一社長なのだと思い知らされる。お金の使い方がそもそも違っている。

紘はまだ机に垂れながら、俺を見上げては質問を次々と投げかけてくる。

「そういえば、美郷、家は?引っ越したの?」
「ああ、うん。それもその知り合いのお兄さんの家に住まわせてもらってるんだ」
「ええ〜!家賃とかは?どんな家?」
「家賃はよくわかんない…一応マンションに住んでる」

高級タワマンということは一応伏せておいた。紘がそこにまた食いつきそうだからだ。

その紘の方は「家賃わかんないってなんだよ〜」と肘でつついてくる。


「じゃあ、そのお兄さんと一緒に暮らしてんだ。家族以外の人とルームシェア大変そ」
「いや?そうでもないよ。その人は、紘に比べてとっても大人な人だし、雰囲気もすごい穏やかで、一緒に暮らして楽しいよ」
「おい、俺に比べては余計だろ!へえ〜でもその話だと、その人ってできる大人!って感じだな。美郷も相当信頼してるんだな」

正直、雪里さんは世の中に憧れる大人像に一番近しいと思う。
一緒に住んでるからこそ、俺は確信してそう言える。あんな完璧でとても素敵な人、滅多に見たことない。


「俺もそんなお兄さん欲しい〜〜!こうなったら手始めに従兄弟の兄ちゃんに金せびるかぁ」
「…紘のそういうとこが子供っぽいんだよ」
「な、なんだと…っ」

授業中なのに俺たちは大笑いしてしまい、結局2人して講師に怒られてしまった。

1/6
prev / novel top / next
clap! bkm


×
「#エロ」のBL小説を読む
BL小説 BLove
- ナノ -