「ゆりくんいつもありがとー」
推しの笑顔が間近で見られる。
こんな幸せ、この人生で他に変えられるものはあるだろうか?
推しが俺の手を引いて、肩を寄せてくる。ぎゅうっと抱きしめられて、甘くて少しスパイシーな香水の匂いにドキドキする。香りまでいい匂いとか理想的すぎる。
「ゆりくん、今日チェキ何枚?」
「たしか、10枚…!」
「マジ!?ゆりくん、俺のファンの中でもトップオタだよ!」
トップオタ。
響きが最高すぎて俺のテンションはさらに上がりまくる。
1枚800円のチェキを10枚……8000円粘っただけある。食費を切り詰めてなんとか出したこの金はすべてちっちゃい紙切れになってしまう。しかし、それも全て推しとの思い出になるからいいのだ。推しは優しいからチェキに一枚一枚コメントも書いてくれるし!
「ゆりくん、でもさ、マジで無理はしなくていいよ?毎週イベント来てくれてるよね?」
「ううん!いいの!俺が推したいだけだし!ジンくん、カッコいいし優しいし、いつも頑張ってるし…応援したい気持ちいっぱいなんだ」
「ゆりくん、マジ天使…!ファンはいっぱいいるけど、ゆりくんみたいな子が一番嬉しいわ…!それに男同士だから気張らなくて良くて、俺もゆりくんと話すのが一番楽だし楽しい!」
「本当…!」
嬉しい。推し……ジンくんには過激な女の子ファンが多いから、せめて俺だけでもとファンとアイドルのラインを守っている。それをジンくんもわかってくれてるのか、他の女の子達のファンとは違ってラフな話し方や接し方をしてくれている。そもそも男性地下アイドルに男ファンがいること自体珍しく一目置かれてしまうのだが、同性だからこそファンにもアイドルにも安心感があるようだ。
…正直、ジンくんには過激な女の子ファン達が多く、それもガチ恋や枕目的ばかりで、ジンくんも扱いに困っていた。俺は別にホモとかでもないし、正規にお金を払ってアイドルに会ってるため、ジンくんはより俺を気に入ってくれていた。
「あ、ゆりくん。そういやさ、服とかって欲しかったりする?」
「ふ、服…?」
「そう!ついこの前ネットで買った服、あんま気に入らなくて売ろうかな〜とか思ってたんだよね。でもそこそこいい値段したし、あれだったら誰かにあげようかなーって思ってたの」
ジンくんはそう言いながら俺のほっぺたを突いて、6枚目のチェキを撮った。
「え…!?じ、ジンくんの服…!?」
パシャリ。6枚目のチェキには俺の驚いた間抜け面が撮られてしまった…。
ジリジリ、と出てくるチェキを取って、パタパタと乾かすジンくんは俺の方を見て笑う。
「そんな驚かなくても。ゆりくんめっちゃいい子だし。男の子だから俺があげた服大事に着てくれそ〜って思ってさ!」
「じ、ジンくん〜…!もちろん、大切に着るー!!」
「推変でメルカリとかで売らないでね」
ジンくんはそんな洒落を言って、6枚目のチェキにペンを走らせた。
売らない…!なんなら、ジンくんのくれた服着ないで一生家宝にするわ…ッ!
チェキに可愛い絵まで描いてくれるジンくんの横顔を「あーいつもいつも綺麗なお顔ー」と眺めていると、ジンくんが話しかけてくる。
「あ、ゆりくん。このあと暇だったりする?」
「え…?一応、暇だけど…」
ジンくんがペンを走らせていた手を止めてこちらを見た。
「その服、今日取りにきて来んない?」
……は???
○○○○○
「ゆりくん、好きなの頼んじゃってー!俺のおすすめはこのだし巻き卵」
「あ、それで……」
待って待って。何が起きてるの。
俺は好きなアイドルとなぜか居酒屋にいた。
個室に近いテーブル席で、俺は向かい合ってアイドルと座ってる。
ジンくんはこちらをちらりと見た。
「あれ、ゆりくんっていくつ?」
「16です…」
「あ、未成年か。お酒はじゃあ飲んじゃダメだな…オレンジジュースとかしかないけどいい?」
「あ、それでいいです」
「おっけー。あ…俺、ビールとか頼んでもいい?」
「も、もちろんです…!」
「なんでずっと敬語?」
あははと笑うジンくんに顔が真っ赤になる。
いやいやいや。推し向かいにして食事とか敬語にならないわけがない。俺にそんな度胸はない。
俺がジンくんを好きになったのはたまたまおすすめ欄に出てきたジンくん達のアイドル動画だ。
パフォーマンス動画で、ジンくんの歌やダンスに見惚れてしまった。それから吸い込まれるように動画を見漁り、SNSをチェックし、気づいたら現場にまで通っていた…。
うちの親はネグレクト気味で家には帰らないし、ご飯を顔を合わせて食べるのも週に一回あればいい程度。学校でもうまくいってなくて、地味な隠キャしてた俺は友達も作れず1人。そんな寂しくて暗い人生を送っていた俺にはジンくんが眩しすぎて惹かれずにはいられなかった。
「はい、この鳥串も美味しいからあげるー」
「あ、あり、がと…」
「うん。いっぱい食べてね」
ジンくん優しい。人の顔を見ながら食事したのはどれくらいぶりだろう。いや、ジンくんの顔を画面越しに見ながら食べてたことはあった。でも、間近に人を感じながら食べたのは久しぶりだ。
……
食事していくうちにジンくんはお酒が回ってきたのか、饒舌になった。そのフランクな態度に俺もガチガチな態度が解れていって、いつも…いや、いつも以上にラフに話せるようになった。
「ゆりくんまじで良ファンすぎてお気に入りせずにいられないよ〜」
「ほんと?嬉しすぎて頭爆発しそう…」
「何その表現。おもしろっ」
ジンくんは笑い上戸なのか、さっきからずっと笑っている。いつものかっこいい笑みも好きだけど、この感じのジンくんは初めてで、変にドキドキする。
「あ、そうだ。服あげなきゃね」
そう言ったジンくんは持ってきていた紙袋を取り出して、中から黒い物体を取り出した。
ライダースのジャケットだった。ジンくんのセンスらしい!
「はいどーぞ。サイズ合うかどうか見たいから着てみて」
「え、え…」
そう言ったジンくんはこちらの席に回ってきて、黒いライダースジャケットを羽織らせてくれる。え、着せてくれるジンくん優しい。でも近い近い近い…。
頭にバカボコ感情が押し寄せながらも、頑張って裾に腕を通して、服を傷つけないよう最新の注意を払いながら着てみる。
「はい、撮るよー」
ジンくんがパシャリと俺を撮る。
そのままジンくんは俺の方に画面を見せてきた。
「わ、わぁ…!」
この幸福感…!な、なんて言ったらいいんだ!?言葉が全く思いつかない。
普段こういう服を着ないから少し違和感がありつつも、ジンくんの服というだけで興奮してくる。
「やっぱりかわいい」
ジンくんが小さく呟いた。
しかし、活気出した居酒屋ではそんな小さい声は聞こえない。
「え?なに?」
「ううん、なんでも。ピッタリでよかった」
「本当にピッタリ。たしかにジンくんだと小さかったかも」
「だよなー。ネットで買ったからサイズミスっちゃってさ」
「そうなんだ」
でも、この服着てるジンくん見たかった…。
思わずジーッとジンくんの顔を見て、この服を着ている様子を想像をしようとしていると、うん?とジンくんがこちらを見た。
「他の服も欲しくなっちゃった?」
「え…!?そ、そんな…!」
「いいよ、あげる!着れなくなった服とか家に大量にあってさ。メンバーにあげるのもなんか変だし、大切にしなさそうな奴らだから、ゆりくんにあげる方がずっといい」
今もすげー喜んでくれたし。
ジンくんは相当酔ってるのか、血が回った赤い頬でニコリと笑いながら、ヨシヨシと撫でてくれる。
こんな幸せあっていいんだろうか。アイドルとファンの距離感ではなくなっている。オタとしてこれはダメじゃない?!と思いつつも、ジンくんが嬉しそうな笑顔を見せてくるからもうこのまま流されちゃっていいんじゃないかとか思ってしまう。
「ゆりくんこの後そのまま俺の家においでよー。欲しい服あげる」
「え!?さ、さすがに…ジンくんの家の場所なんて知ったらみんなに殺される…」
「ゆりくん俺の家とか晒したりすんの?」
「は…!?ぜ、絶対しない!」
「だよねー。俺ゆりくん信頼してるんだー。さすがに女の子だったら部屋に入れるのまずいけど、ゆりくん男だし、何も間違いとか起きないと思うからさ」
確かに。
女の子だったら何か間違いが起きるかもしれない…。でも俺は男だし、ジンくんにそんな変な気持ちを抱いてるわけではない。
ドクドク…。場酔いしてるのか、それとも憧れのアイドル宅に行くことに緊張してるのか、やけに心臓が早く、身体が重い。
「そうだよね。間違いとか起きないもんね」
俺はグラスを握りしめて、ニコリと笑った。
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