(なんで俺ここにいるんだろ…)
適当なお笑い番組が流れているテレビを見ながら、ぽつりと考える。
駿喜の飯をイヤイヤながらも食い(しかも地味に美味い)、「まあいいからいいから」と言われてソファに座らされ、この状態だ。
駿喜の皿を洗う音が聞こえている。
風呂にも入って、ご飯も食べた。
テレビは大して面白くもないし、何かしようという気にもなれない俺は次第にウトウトとし始める。
なんだろうこの安心感。俺は駿喜に気を許してしまったのか?
しかし、それでも睡魔には勝てない。
(あー、ねむー………)
コテンと首が凭れる。
このまま溶けて消えたい。
まぶたがゆっくりと落ちそうという時、背後から声がした。
「あーあ、ゆりちゃん。ここで寝ちゃダメだよ。寝るならベットで寝て」
そう言って、腕を引っ張られる。
しかし、動きたくなくて、ソファの上により小さくなって蹲る。
そうすると、駿喜のため息が一つ聞こえて、背後から抱き締められた。
そのまま、ふわりと体が浮いて背中と膝裏に駿喜の手が回る。
「えっ…?」
「このまま運ぶ。俺の部屋でいいよね?」
そう言って有無も言わさず、駿喜の部屋へと連れて行かれる。身長が少し高いだけなはずなのに、悠々と俺の身体をお姫様抱っこ状態で運んでしまう。
ほんとムカつくやつ…。
駿喜は部屋に入ると、まっすぐベッドへ向かい、俺を下ろす。
そのまま俺は人形になったようにベッドに身を離した。
ふんわりと身体が沈んでいく感覚を感じていると、駿喜が俺の身体の上に乗り上げてきた。
朦朧とする頭でやつをぼんやりと見上げる。
しかし、俺が特に反応を見せないため、「あれ?怒らないんだ」って言って駿喜は笑った。
そのまま駿喜はそっと髪に触れてきた。
触る感覚にたじろいで奴から顔を背けるが、そっぽを向いただけで、眠気に負けた身体はそのあと動きたくないとベッドから離れない。
駿喜がまた髪に手を伸ばしてきたが、もう手も動かないし抵抗する気も起きない俺はそのまま後ろ髪を撫でさせてやる。
さらり、さらりと髪を撫でられ、思わず心地よくて瞼を一度閉じてしまった。
「ゆりちゃん、無防備になった?そんなに眠たいの?」
駿喜は後ろ髪から襟足の毛先まで指をすいては、首元に指の腹を触れさせる。
指がツゥーッと慣れた所作で肌を滑り、気持ちのいい電気が身体に走った。
何度も指が往復して、なんとも言えない心地よさに息が薄く漏れる。
「ゆりちゃん」
「ん…」
駿喜がもう片方の手で前髪払った。開けた視界に駿喜の顔が目に入る。
駿喜は俺の顔を見下ろしてはじっと俺の様子を伺っている。少しギラついた目が口元を見ていることがわかった。
あー……。とうに俺は疲れていた。
あんなに嫌いな駿喜にこんなにベタベタされても抵抗ひとつすらできない。
駿喜の顔が降りてきて、額に唇の熱が触れる。
あ…っと思っても、俺はただぼんやりと眺めているだけ。
そのまま優しいキスが額から頬へと降りてきた。
ああ、あったかい。蕩けてしまいそう…。
雨の冷たさなんかもう忘れていたかった。ここがあったかい。もう動きたくない。離れたくない。あんな寂しい思いするのならこのままで。
駿喜の唇が口元に近づいた。
(キス、するのかな)
肌に触れていた駿喜の優しい感触にただ心地よさを覚え始めている。
駿喜の唇があと数センチで触れそうな時。
駿喜は熱い息を漏らして……、でも結局顔を離した。
駿喜の困ったような顔がこちらを見ていた。
「あのさ……。俺、ゆりちゃんにキスしてもいいの?ゆりちゃん、一応雅彦の恋人なんでしょ?」
ヒコたん。
名前を聞いただけなのに、キュッと胸が締め付けられる。
大好きだ。もちろん、ヒコたんのことは好き。
大好きだった。
でも、未だにヒコたんからは連絡が来ないし、あんなに俺が言っても状況は改善されたことがない。よく思い返してみれば俺が駄々捏ねていただけだ。ヒコたんはみんなに優しいから俺にだけ優しくなんてできない。俺だけを見てくれることもないのだ。
そう、全て俺の一方的な感情だけだったのだ。
それなら、仕方ない、仕方ないのだ…。
なんで急に気持ちに整理がつけられたのはわからなかった。でも、もう、俺にはヒコたんを頼る資格もないし、頼る意味もない。要はヒコたんを追うことに「諦め」が出たのだろう。
あー、もう、あったかい場所にいたい。
俺をこの泥沼から助けてくれるような。
駿喜の顔をじっと見ていれば、なんだか心が充足する気がした。
手を伸ばし、駿喜の首に腕を絡める。
驚いたのか、駿喜の体が一瞬揺れたが、そっと背中に手を添えられた。受け入れられたのだ。
−−−ああ、もういいや。全て。もういいや…。
「いいよ。ヒコたんは俺のこと見てくれなかった。最後まで俺の一方的な片想いだよ。それに、俺、ヒコたんの恋人じゃないしね…ヒコたんに付き合ってって一度も言われたこともなかったし」
絡めた腕を駿喜の背中に回して、引き寄せる。
少し大きい胸元がぴたりとくっつく。その背格好が元カレとなんとなく似ていて、腹奥でズキズキと記憶の欠片が痛めつけるように疼いた。
しかし。
それでも、俺はもう良かったのだ。
俺を受け入れてくれれば誰でも。
俺はキスできるように顔をそっと近づけ、ゆっくりと首を傾けた。
「…は?」
しかし、唇が触れることはなかった。
むしろ首を掴まれ、強引にベッドに押さえつけられる。
「てめえ、なんつった?」
「え、っ」
息が漏れたような返事をした時。
途端に駿喜が俺の首を絞めた。
唐突な出来事に頭が回らない。
「ぐ、っ、っか、はっ、」
(気道が締まる…!)
離せと手足をバタつかせるが、スポーツで鍛え上げた駿喜の身体は俺が暴れたところでビクともしない。それどころか、むしろ首を絞める力が強まっていく。
「恋人じゃない?は?お前、雅彦とヤってんじゃねーの?」
暗闇で、駿喜の顔は見えない。
それでも、さっきの優しかった声から一転して地底から響くような低い声と、鋭く光る眼だけが、彼のままを表していた。
「おい、雅彦とセックスしたんじゃねえのかよ」
「ッ、は、ひッ」
首を締め付けられて、返事なんてまともにできるはずがない。呼吸もままならないまま、声を振り絞る。
たしかにヒコたんとはセックスしていた。
それでも俺たちは正式に「付き合っていない」。ヒコたんに好きだと真正面からいわれたこともないし、伝えてもいつもの笑顔で流されていた。そもそもヒコたんは「恋愛」という概念が切り離されて、博愛主義でしか人間を見ていなかった。
グルグルとした目の前の感情と呼吸困難に襲われる。
し、死ぬ…ッ!!
そう思った途端パッと手を離され、俺はベッドの上で倒れながら、大きく咳き込んだ。
「ガハッ、ッ、ゲホッ」
「んだよ、じゃあ雅彦の『恋人』じゃねえのかよ。偽物でヤリ損しかけたわ」
偽物?ヤリ損?
何を言っているんだ、こいつ。
「は…?どういうこと…」
そう言って、駿喜の顔を見上げた。
いつものような駿喜のニヤニヤとした笑顔はすっかり消え去り、ひどく冷たい白けた表情で俺を見ていた。
「雅彦のモンじゃねーなら興味ねえって言ってんだよ」
サアーッと血の気が引いていく。
さっきまで優しかった態度は打って変わって、怪訝そうな顔をした駿喜が見下ろしている。
わけがわからない。どうしてこんなことに。
「おい。なにいつまでボケっとしてんだよ。てめえが乗ってるとベッド汚れるだろうが」
感情のない真顔の駿喜がこちらを見て、驚きでパニックになっている俺をベッドから蹴り落とす。
「っいたっ!」
ドンッと落ちた痛みと共に、どこか感じたことのない恐怖感が身体全身にまとわりついた。
嫌な感覚。嫌悪な雰囲気。
いやだ、いやな感じがする…。
「てめえにもう用はねえよ。雅彦のセフレ風情が」
俺の心臓に鋭く危ない破片が突き刺さるような感覚がした。
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clap! bkm