(ヒコたんに会いたい、今すぐに)
俺は急いで方向を変えて、ヒコたんの家に向かっていた。
柄にもなく必死に走って、髪がぐしゃぐしゃになっても、汗が垂れても、俺はがむしゃらに走った。
住宅街の中へと入っていき、一軒の家の前に着く。門を開けて、家の扉の前まで歩いていった。
いつもはヒコたんが居てドアを開けてくれているか、もしくは鍵をもらって家の中へ入っていた。
手持ち無沙汰に家の前まで一人でやってくるのは初めてだったため、変な緊張感がある。
(両親とか…いないよね?)
呼び鈴を押すかどうか一瞬手が躊躇う。
しかし上を見上げれば、ヒコたんの部屋の窓から灯りが漏れているのに気付いた。
(なんだ、ヒコたんが帰ってきてるなら大丈夫だよね)
俺はふぅ、と安堵して呼び鈴のボタンを押した。
ピンポーン。
高い音が鳴り響く。
ソワソワしながらも、しばらく待つとドアが開いた。
「あ、ヒコたん、遅くなってごめ…」
「あれ?宅配便じゃないの?」
俺はその声に顔が強張った。
ドアを開けたのはヒコたんではなかったのだ。
「なんでアンタがいるの」
「……それはこっちのセリフなんだけど」
じっと大きな瞳がこちらを見てくる。
クリクリとした目は相変わらず大きくて少しコンプレックスを刺激される。
ドアを開けたのはヒコたんの従兄弟の幸だった。
この前よりももっとラフな格好をした幸はどこかの外国のバンドTシャツに黒のダメージが入ったスキニーを履いている。細い足が目立ち、破け目から膝がチラチラと見えていた。
俺は幸の格好を一瞬でスキャンすると、カバンを握り直して、幸から目を逸らした。
「俺はヒコたんに呼ばれたの!そっちは?ヒコたんの許可は取ってるわけ?」
「俺?許可はとってないけど」
「は!?もしかして不法侵入??」
横目でジロリと睨めば、幸の大きな黒瞳でギロリと睨み返される。
俺は何故か慌てて目を逸らした。この大きな目に見つめられるのがなんとなく苦手なのだ。人に嫌悪な目を向けられるのは平気だったが、この吸い込まれそうな大きな目で自分をジッと見られるのはなんだか嫌だった。
「あのさぁ、そんなわけないじゃん。俺は従兄弟なんだよ?親戚の家同士だからお互いの家を自由に出入りしても何も言われないの」
そうあっけらかんという幸の言葉に俺は驚きのあまり目を瞬きさせた。
(な、なにそれ!好きな時に家に入ってヒコたんと居られるってこと!?!?しかも親公認!?)
羨ましさからなのかそれとも幸の何かと目につく態度のせいなのか。
ヒコたんに会えると舞い上がった気持ちは急降下し、ヒコたんのセラピー効果なしにまた腹の奥がムカムカとしてくる。
(ほんと、コイツ嫌い……ヒコたんのなんなの。なんで偉そうなわけ?鼻にかけた態度もクッソ気に入らないんだよね…)
急に黙り込んでしまった俺に幸は鬱陶しそうにため息を吐いた。
幸はどうやら他人の態度に敏感なのか、ピリピリとした俺の空気感にすぐ気づいて、ダルそうにドアにもたれかかる。
「…あのさ、勝手に不機嫌にならないでよ。本当、何言っても、メンヘラっていちいち面倒くさいんだよね〜」
「…む!?そ、そっちだってぐちぐちうるさいんだけど!不機嫌にさせるような態度取るな!上から目線な感じがムカつくんだよ!!」
「それはごめんねーもともとこういう喋り方なんで」
そう言って、幸は鼻をツンと上にあげた。
(まじでなんなのコイツ!なんでこんな上から目線なの!!)
幸は外国人のように高い鼻梁を上に上げながら、髪を右耳に引っ掛ける。
俺がシャシャーッと威嚇していると、髪をかきあげた拍子に幸の耳の大量に開いたピアスが見えた。
黒の細い複数のリングや耳上部の軟骨部に縦長のピアス、他にも耳の端やら様々な場所にピアスがチラついている。
結構な量に俺は顔を顰めた。
(うわっ、あの開け方相当エグいじゃん…)
俺はピアスを開けたことないが、周りの環境のおかげか、あのピアス量が異常だということだけはよくわかる。あんな可愛い顔をして相当ピアス狂いしてる。
幸がこちらに顔を動かしたことで、長めの横髪が落ちてきて彼の耳は隠されてしまう。
幸は相変わらず態度を改める様子はなかったが、背もたれにしたドアをコンコン、と叩いた。
「それで?まだここで話すの?」
俺は無言で幸の顔を見つめる。叩いたドアに中に入るのかどうか問われた気がした。
「…寒いからさっさと中に入れてよ」
開けられたドアの奥、俺はヒコたんのいない家の中へ入って行った。