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この屋敷にきてひと月経とうとしていた。相変わらず部屋が空かず、来は長男の殊夜の部屋で暮らしていた。
殊夜兄上はこの1ヶ月間特に用がなければ干渉してこなかった。あまり人と関わるのは得意でないから来はそれでちょうどよかった。

日がぼんやりと暮れて灯が次第に弱くなっていく。そろそろ蝋燭の火をつけた方がいいかと少し背に合わない着物の裾を折りたたんで、立ち上がった。
突然ガラリと扉が開く。
無表情な殊夜がスーツ姿で立っていた。綺麗に髪を後ろに上げ、脱いだ羽織を腕にかけており、表情からは少し苛立った雰囲気を感じた。
「兄上、お早いお帰りで…」
来は、いつもよりも随分早く帰宅した長男に驚いたが失礼に当たらないよう声をかける。
しかし、殊夜は来をギロリと睨みつけた。

怒りをあからさまにあらわにした殊夜は大きく足音を立て来に近づくと、来の頬を大きく平手で打ちつけた。パシン、と破裂音にも似た音が響き渡る。来は訳がわからずそのまま畳の上に転げ落ちてしまう。殴られた左頬にゆっくりと手を添えればピリ、と痛みが走った。
初めてここにきて暴力をふるわれた。
兄を見上げればいつも動かない眉がつり上がり、まるで憎い者を見るようにこちらを睨みつけていた。

恐怖心に煽られた来は体が勝手に動いてそのまま部屋から飛び出した。1番奥にある殊夜の部屋から遠ざかっていく。殊夜の憤怒した恐ろしい顔が頭から離れない。広いこの屋敷で、行き慣れた部屋は殊夜の部屋以外一つしかない。来は何も考えずそこへ駆け込んだ。

来が飛び込んだ先は朝貴と夕晴が普段生活している部屋だった。
臙脂色の着物を着た夕晴が目を丸くしてこちらをみている。
「来…どうしたの…」
「あ、あにう、はぁ、はぁ、兄上が…」
全速力で逃げてきた来は言葉をうまく紡げず咳こんでしまう。
「兄上?殊夜兄上?どうかしたの」
大きな瞳の幼い顔がこちらを覗く。
息をするたび叩かれた頬がじわりと痛んだ。
「はあ、はあ…。殊夜兄上が、俺を、殴ったんです…」
「はあ?」
同い年の夕晴はまるで大人ぶるかのように肩をすくめた。顔は訝しげに眉を寄せていたが、しばらくすると神妙な顔つきで来の腫れた頬の手当てを始めた。奥にあった小さい手箱から布を引き出し、冷水で濡らして来の頬にあてる。
ひんやりとした感触がするが、来は大人しく受け入れた。朝貴兄上はどうやらまだ部屋に帰っていないようだ。
夕晴は来の頬に冷えた布を当てながら冷静な顔で話し始めた。
「今日のことは他人に言わない方がいい」
「え?」
「お前が何をしたか知らないが兄上には逆らわない方がいい。今日のことは黙っといてやる」
まるで自分が悪い事をして怒らせたような言い方に来は動揺する。
「お、俺は何もしてない…!」
夕晴は来をジトリとひと睨みした。鋭い眼光に来は反抗することをやめて、口をきつく結んだ。小さい頃から来は「諦め」を強要されてきたことが多い故の判断だった。

その日は朝貴が帰ってきても、殊夜の部屋に戻る勇気は出ず、彼らの部屋で一夜を過ごした。




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