▼ つまり人肌が恋しくて
収録が終わり、「お疲れ様です」と廊下をすれ違う人達に挨拶をする。歩いていると、向かい側に八乙女さんと十さんがいたので私は2人に声をかけた。
「八乙女さん、十さんお疲れ様です!」
「お、ひなか。お疲れ」
「お疲れ様。ひなちゃんもこのスタジオだったんだね」
「はい、下の階で収録してました。天くんは楽屋ですか?」
「あー、あいつなら体調悪いって言って帰った。風邪っぽかったな」
「え、天くん風邪引いたんですか?」
天くんの姿が見えない、そう思い居場所を聞くとなんと天くんは帰ったとのことだった。2人から教えてもらい、天くんが体調不良だということを知ったのだ。
「うん、昨日から体調があんまり良くなかったんだって。ひなちゃんなら聞いてると思ってたよ」
しかも昨日からだったなんて、聞いていなかった。天くんと連絡は取り合っているけれどそんな連絡は一切ない。昨日も今日も、挨拶やら『今日の収録で〜〜』『ひなはどうだった?』などと言ったいつもと変わらない内容だったのだ。
「……いえ、聞いてなかったですが、帰り様子見に行こうかと思います」
「まぁ心配かけたくなかったのかもね。でもそれなら天も喜ぶと思うよ」
「だといいですが……教えてくれてありがとうございました」
「おう。天によろしくな」
教えてくれた2人にお礼し、帰る準備をするために楽屋へ戻った。天くんが風邪を引いたなんて、とても心配だ。普段から健康管理もきちんとしている彼だからこそ余計に。
とはいえどうして教えてくれなかったんだろう。付き合っているのだから、言ってくれればいいのに。
少しモヤっとしたけれど、 幸いもう収録は終わりである。帰りの準備を終えた私は帰り道、近くのドラッグストアで冷えピタやスポーツドリンクなどを購入し、天くんの家に向かったのだ。
ピンポーン
"九条"と表札のある家に着き、インターホンを鳴らす。少しするとインターホン越しに「なんでここに……」と驚いたような彼の声が聞こえた。そしてすぐに玄関の扉が開く。
「なんでキミがいるの……」
扉から出てきたのは、顔を赤くして、気だるそうにしている天くんだ。よく見ると汗もかいており、息も少し荒い。誰がどう見ても体調が悪いと分かるほどだった。
「八乙女さんと十さんから風邪引いたって聞いたんです。心配なので来ました」
「移したくないから帰ってほしいんだけど」
「嫌です」
「はぁ……言うと思った」
移したくない、そうは言われてもこんな弱っている恋人を見て帰れるわけがない。そう思うのは当たり前だ。天くんの問いにすぐに嫌だと即答すると、天くんは諦めたようにため息をついて私を家に入れたのだ。
部屋に入れてもらうと、天くんはぼすん、とすぐにソファに座った。そしてしんどそう背もたれに寄りかかりながらボソッと呟くように話す。
「あの2人も余計なこと言うね……」
「!」
私はその言葉に思わず反応してしまった。余計なことってなんだ。恋人が体調を崩したことが余計なことっていうのか。そんな風に言われて悲しくなった私は反論してしまう。
「余計なことってなんですか! おふたりから聞かなかったら私、天くんが風邪引いたこと知らなかったんですよ!?」
「……別に。元気だしすぐ治る」
「絶対嘘です! そんなにしんどそうで何言ってるんですか!」
「………」
私がそう言うと、天くんは荒い息のまま、目元に腕を当てて黙り込んでいる。これのどこが元気だと言うんだ。だけど、そんな彼の姿を見て、少しだけ申し訳ない気持ちにもなった。体調が悪い人相手に自分の感情だけで話してしまうなんて……。そう思い、謝ろうとしたその時。
「ひな」
「え?」
天くんに名前を呼ばれ、同時に手首を引かれた。それは一瞬のことで、気付けばソファに座らされ、そのまま彼の腕の中にいたのだ。
普段なら抱き締められたらとてもびっくりするし、照れてしまう。だけど今日はそれどころではない。抱き締められることにより、天くんの体がいつも以上に熱いこと、荒い息も耳元でよく聞こえたからだ。
「天くん、やっぱり体が熱い……」
「…………」
私はそう声をかけるが、天くんからの返事はない。聞こえるのは荒い息と、抱き締められる力が強くなるだけだった。沈黙のままその状態が少し続いたが、もう一度彼の名前を呼ぶと、ようやく天くんから言葉が聞こえた。
「……こうなるから言いたくなかったのに」
「……?」
そう呟いた天くんは、抱き締めている腕を緩めて話し出した。
「ひなに会ったら離れたくなくなるから……。そしたらひなにボクの風邪移りやすくなるでしょ。だから言いたくなかった」
「!」
天くんはぽつりぽつり、と小さな声で話す。いつもあまり言わないような言葉にびっくりしていると、天くんは自分を納得させるかのように「ああ、でも離れなきゃね。ごめんね」と言って天くんは私から離れた。
「天くん……」
「これ以上一緒にいて移したら嫌だから帰りなよ。来てくれてありがとう」
天くんはしんどそうな表情で笑う。今離れたくないと言ったのに帰りなよ、だなんて。体調が悪いのもあるだろうけど、無理して笑っているのが丸わかりだ。
馬鹿だなあ、天くんは。そんな顔されて帰れるわけないのに。
ひとつ息を吐いた私は天くんに言った。
「帰りませんよ」
「! な……」
「はい、冷えピタ貼ります」
「、ちょっと」
そんな私の答えは予想外だったのか、天くんは面食らっていた。しかし私は気にせずに彼の額に買ってきた冷えピタを出して貼る。「せっかく離れたのに」と言っているけれど、もともと天くんが心配で来てるのだから、承知の上だ。
「……馬鹿。移っても知らないから」
それを伝えると少しむっとしたように、だけど熱の赤らみとは異なり、どこか照れているように口を結び、目線を逸らしながら天くんは言った。そんな彼の姿が愛しく感じ、思わず私は笑ってしまう。
「あ、ご飯は食べました? 食べてないなら」
「……ねえ」
「はい」
「……寝るまで、一緒にいて」
そんな照れながら言うそんな彼のお願いに「もちろんです」と答え、天くんの手を握り締めながら天くんが眠るのを見守った。気付いたら手を握ったまま私も眠っていて、翌朝、床で座りながら寝ていた私は天くんに怒られてしまった。
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