小説 | ナノ

「主人さんは百点満点だったわね。素晴らしい成績ですよ」
 テスト返却時に教師に褒められたのは小学二年生のときの出来事。満点を取った嬉しさよりも、母に怒鳴られずに済むという安堵の気持ちで、公子はにこりと笑った。
 だがその安堵はあまりにも理不尽な理由で破られた。兄が92点の答案を持って帰っていたため、傷心しているところに見せびらかすように満点を取った公子ちゃんは悪い子だと怒鳴られ、頬を赤くなるほど打たれた。公子はその年齢で悟る。自分は何をしても母に好かれることはないのだと。
 テレビや本では家族を題材に取り扱った多くのものが、血のつながりとは何物にも変えられない絆だと繰り返し繰り返し声高に叫んでいる。そのプロパガンダを幼少の頃から刷り込まれた公子は、家族から愛されない自分が他人に愛されるはずなどないという思想に染め上がっていった。だから、
(花京院の、好意が怖い)
 無理に服を剥がれ、その先とやらに進まれたほうがまだ理解出来る。花京院の体がその先を欲すると主張しているのに、理性でソレを押し留める理由は好意、いや、愛情故にということしか見つからない。だが公子の理論で言えばそれは矛盾しているのだ。自分が愛されるはずはないのに、花京院が愛情を無償で、それも自分の欲求を留めてでも注ごうとしている。矛盾の思考がもたらすジレンマがストレスになり、公子の頭を壊そうとする。それが何より、怖い。
「もう満足した……?罰ゲームだかイタズラだかしらないけど、気が済んだなら帰る」
 だから、絶対に受け入れない。好意を受け取らないのではなく、そもそもこれが告白だということを認めない。そうやって殻に閉じこもることで、公子の世界は保たれる。
「……どうして……これだけやっても、まだ理解してくれないの?」
 理解はしている。理解したうえで認めていないのだ。頭と体は別物だ。
「せめてちゃんと言ってよ。僕の、何が気に入らない?」
「いや、ここまでしといて何がと言われましても……」
「ここまでしたのにまだ届いてない方がびっくりするよ。こうなったらもう本当にこの先に進むしか手がないんだけど」
「……花京院さ。私の何がそんなにアンタを執着させるの?」
「え、言わせるの?何か恥ずかしいな」
「今更!?」
「まぁ、そうなるよね。えーとね……何ていうか、僕に優等生を求めない人って周囲にあまりいなかったから、それで気になり始めたのが最初かな」
 公子は自分が今まで勉強を強要され、優等生を強いられていたから、確かにそこを他人に求めることは絶対にないはずだ。もしも逆の立場だったらどうなったのだろう。高校受験は自分で言うのもなんだがかなり頑張っていたし入学という結果も残せた。あの苦しいときに、そこまで根をつめなくてもいいと語りかけてくれる人がいたら、好きになっていただろうか。それも、こんなにも容姿の整った同年代の男子ならば尚更。
「そんな理由で……」
「そんなって……僕にとっては結構重大なことだったんだよ。ホント……本当に……好きなんだから、君の事」
「あー、うん。はい。分かったから、もうそんなはずないって言うのは止めるから」
「!」
「でも私花京院とは付き合いたくない、ごめんね。じゃあ」
 今の一言で大きな隙が出来たようだ。易々とカバンを引っつかんで外へ出ることが出来た。追って来るかもと少し不安にはなったが、改めてきちんとふられた傷心の花京院はそこから追いかけてくる余力がないようで、倉庫から出てこなかった。
 走って靴箱まできて、そこでようやく速度を緩める。安心のためか忘れていた空腹を知らせる腹の音が盛大になった。あの場面でならなくてよかったと思う。
(ご飯、食べてないもんなぁ。母さん買い物に出てればいいんだけど)

 公子が学習塾に行かなくてよいと言われた日から、主人家の食卓は三人分の食事しか上らなくなった。父、母、兄の食卓だ。公子は食事も含めた金銭負担全てを母親から遮断されていた。父に言えばなんとかなるのかもしれないが、正直そっちの方が面倒くさい。母親の目を盗んで冷蔵庫から物を盗んだほうが丸く収まるし、あまりあの冷徹な父親と会話をしたくなかった。
「ただいま」
 誰も返事する者がいなくても習慣で帰宅の挨拶をする。幸い母は買い物に出かけていたようだが、ついに冷蔵庫と納戸に鍵をかけられているのを見てさすがに力が抜けた。
(うっわぁ……ここまでやるかよ)
 ないものは仕方がない。とりあえず水道水を乾いてもいない喉に無理やり詰め込んで空腹をごまかし、部屋に入った。キッチンがあの状態であれば部屋も無事ではないと思っていたが、案の定コスメやヘアアクセや私服が全てなくなっていた。元は親からもらった小遣いで購入したものだ。捨てられてもそこまで悲観的にはならない。
「公子」
 背後から大きなリュックを背負った兄が声をかけた。いつから髪を切っていないのだろうか、前髪で目が隠れている。
「食べて」
 兄が差し出したのは菓子パン三つと封筒だった。
「どしたのこれ」
「塾でお腹すくから何か買っておいてって頼んどいた。僕はお腹すいてないからあげる。ごみは僕の部屋のくずかごに捨てて」
「なんでそんなこと……」
「これ以上公子が痩せると、本当に危ない。あと参考書買うためにお金ほしいって言ったら図書カードもらったから、金券ショップで換金して使って。家を出るなら協力するし、父さんに言うなら僕も一緒にいるときに言おう」
「いや、そうじゃなくて……とりあえず、これはもらうけど。ありがと」
 父さんに、のくだりで兄の声が震えていた。父に話しかけたくないのはどうやら兄も同じらしい。
「もう塾の時間だから行くけど、あまり部屋から出ないほうがいい。じゃあ」
(……兄さんと話したの、いつぶりだろう)
 兄が、自分の存在を認知していたことに驚いた。彼について公子は、母の命令をこなすだけのロボットだと思っていた節もある。まさか母の意に反する行為を自発的に行うとは思ってもみなかった。
 とにかく軍資金は入手した。携帯電話のネットが使える内にさっさと情報を集めておこうと、公子は部屋に篭って考えをまとめだした。
(父さんに解決してもらう?それとも住み込みのバイトでも探すか、厚生労働省にでも泣きつくか……兄さんは、どうするんだろう)
 ある程度目星を付けたバイトの応募先などを紙にまとめ終えて、改めて考え直す。出来れば兄と落ち着いて話がしたい、と公子は産まれて始めて思った。兄弟であるはずの人間と、マトモに話をした覚えがそういえばない。
 公子は着替えがないので制服のまま外へ飛び出し、自転車の鍵を開けた。兄の通う学習塾は地下鉄で五駅。自転車を、何分ほど漕げばよいのだろうか。公子はそんなことを微塵も気にせずペダルを踏んだ。


prev / next
[ back to top ]


「#エロ」のBL小説を読む
BL小説 BLove
- ナノ -