小説 | ナノ

「そういや料理出来ないわりにはキッチン用品が充実してるのね。彼女が作ってくれるの?」
「シェフを呼んで作らせることがあるくらいか」
「は?」
 実家にも置いてないような大きな寸胴鍋やらテレビの中でしか見たことない中華鍋など、料理を趣味とする人間には宝箱のような台所である。だがあまり使われた形跡はない。
 あとは火にかけてしばらく待つだけという段階になり、カウンター越しに承太郎を見る。コーヒーを飲み、カップを置くとこちらを向いた。
「なんだ?」
「……まだお礼をきちんとしてなかったわね。サンプル、ありがとう。助かったわ」
「ああ。そういえばお前は態度で感謝を示してくれるそうだな。俺の『お願い』を聞いてくれるってやつ」
 承太郎がこちらを見てにやりと笑った。普段学内であまり表情を崩すことのない承太郎がこういった人間っぽさが見える顔をするとギャップも手伝ってどきっとしてしまう。更に今は普段のファッション雑誌のような服装ではなくラフな部屋着なのがプライベート感をより一層醸し出し、自分たちが深い仲だと勘違いしてしまいそうになる。公子は慌てて気持ちを切り替えて出来るだけ冷静に返事の言葉を探した。
「そうね。もうレポートは提出したし。何か要求があるなら出来る範囲で応じるわ」
 キッチンからダイニングへ移動した公子は承太郎の向かいの椅子に手をかけたが、承太郎が隣の椅子をひいてこちらに座れと促す。目が、公子の顔を捉えて離さない。カフェでこちらに向ける熱い視線とは違う。少し冷ややかで、顔は威圧を感じる程に強張っている。先ほどの笑顔が嘘のように真剣な表情だ。
 公子はその威圧に抗えない気がして、無言で隣に座った。いつもならば「いやよ」で突っぱねるはずなのに。要求を呑むという話題になっているせいだからだろうか。承太郎のエメラルドグリーンの瞳に従順になってしまう。
「色々考えた。けどごちゃごちゃとまどろっこしいのは好きじゃない。俺がやりたいことをやる。ほしいものをもらう」
 広くて厚い承太郎の右手が公子の頬に触れる。驚きで体が跳ねた拍子に前髪が落ちてきた。承太郎は親指でその前髪を払いのけると、一気に身体ごと距離をつめ、唇を奪った。舌を動かすたびにくちゃくちゃと音が鳴り、その中に承太郎の吐息が僅かに混ざる。行き場のない左手は公子の肩を捉え、離れることを恐れるように強く握り締めた。熱が注がれるのを感じる。
 二人が顔を離すと、唇を繋いでいた透明な糸がぷつんと切れた。
「治りかけとはいえ風邪の状態で人に口付けるなんてひどいわね」
「元からひいちゃいねぇよ」
「アビーもグル?」
「そこは本人に聞きな」
「その答えで十分よ。これで貸し借りなしだからね。あとはしばらく煮込んだらスープできるから。それじゃあ」
「待て」
「私は犬じゃない!ついでに言うとコールガールでもないわ!二度と会いたくないわ、さようなら!!!!」
「待ってくれ!」
 今まで、にやりと笑ったり怒りを混じらせたり、無表情の中にも様々な承太郎の表情とうものを見てきた。だが、焦っているような、悲しんでいるような、今にも泣くんじゃないかと思う表情を初めて見せた。
 だがそれにほだされてしまうほど公子は甘い性格ではない。置いてあったカバンをひったくるように取って玄関に向かおうとしたが、手がカバンを掴む事はなかった。背後から承太郎の大きな腕が公子を包んでいる。優しく抱きしめるというより、離れようとする公子を引き止める、悲痛な抱き方だ。
「コールガールだとか……そういう気持ちでやったんじゃない。何度も気持ちを伝えてきたと思ったが、まだ足りなかったのか?」
「……っ。あなたが私を散々からかってきたのはよーく伝わってるわよ」
「好きだ」
「!」
「まだきちんと言ったことがなかった。順序が逆になってすまない。……君を愛している」
「……ハッ。愛だのなんだの、おかしくない?あなたにそこまで言わせる理由が全く見当たらないわ。そして私も、あなたに対してそう思う程の理由がない。私たち、ただの学友じゃない」
「理由ってのを、言葉にして聞きたいのか?話してもいいが、こういう話題はこんなとこでするもんじゃねぇだろ」
 身体を少し引っ張られ、その方向に目をやる。白いドアが一枚、この間取りを考えればそこが寝室なのは明白だった。
「空条くん、痛いわよ」
「承太郎、だ。お前が誘ったんだぜ。最後まで聞いてけよ。俺の……気持ちってやつをよ」
 公子はぞわりと駆け上がる悪寒に思わず身震いした。体中の力が抜けるのが分かる。それを抱きしめていた承太郎も感じ取ったのか手の力が緩んだ。その一瞬を見逃すことなく公子は肘を少し上の角度を狙って打ち込む。鍛えられた承太郎の腹筋にそれが届くかどうかは分からなかったが不意を突いた一撃ならば隙を作り出すことも出来るだろう。
 何も考えずにバックを取って靴を拾い、外に出ることだけを考える。背後から追ってくる気配は感じたが振り向く暇はない。だが裸足のまま玄関を突破し外へ出るも、廊下前で長い腕に絡めとられてしまう。
「Call911!」(警察を呼んで!)
 その叫び声は震えていた。
 警察に通報されることではなく、勝気な公子が震えていることに承太郎は呆然となり、そのまま裸足で逃げる彼女を追えなくなってしまった。


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