小説 | ナノ

 公子の方から待っていてくれと誘ってきた。つまり、今日は待ち伏せではない、待っているのだ。ただ突っ立っているだけという点では同じだが、心持が随分変わってくる。店先で本を広げる姿はいつものようにさまになっていたが本の内容は頭の中に入ってこなかった。
 何の用事だろうか。しかもあの会計時の彼女の表情、あれはいつものような攻撃の意思表示のない「女の子」の顔だった。
(ガラじゃねぇが、もしかすると、なんて考えちまう)
 あの表情からまたいつものように「店に来るな・待つな」の類の話が出るのは考えにくい。よい方向にしか進まない妄想を膨らませつつ、結局一行も本を読むことなくエプロンを外した公子と隣に並ぶために本をしまった。
「お待たせ。悪かったわね急に」
「いや」
 まさか謝罪の言葉まで出るとは。これは夢か、そうでもなければいよいよ理想の彼女を幻視しはじめているのか。
「お願いがあるん……だけど……」
「……?」
 公子がもごもごと口の中で言葉を詰まらせる。承太郎はすっかり忘れていたが、ホームカミングデイの日のことを公子は鮮明に思い出していた。

「用事がねぇなら一つ頼みごとをしようと思った」
「引き受けないからお引取りいただける?」

 これだけのことを言っておいて自分から頼みごとをする。自分は何て面の皮の厚い女なのだろう、と赤面する。せめてあのとき内容くらいは聞いておけば。しかし何をどう足掻こうが後悔先に立たず。公子は意を決して言いよどんだ言葉をハッキリと発声した。
「この間私に何か頼みごとしたいって言ってたわよね。もし手遅れじゃないならそれを引き受けるから、私の頼みごとも聞いてほしいの」
「……ああ。あのお前ん家の前で言った」
「そ、そうよ!尋ねてきてくれた知人を家に上げることもなく話しすら聞かなかったアレよ!分かってるわよ自分でも!今私めちゃくちゃ厚かましいことぐらい承知の上で頼むのよ!」
「そこまで言わなくてもいいだろ」
 泣き笑いのような複雑な表情を浮かべる公子と、呆れたようにため息をつく承太郎。そういえばあの日頼もうと思っていたことはなんだったのか、記憶を掘り起こす。
(そうだ。確か日本から味噌が届いたから、料理してもらおうとか思ってたな)
「で、何だったの。あの日の頼みって」
「……内容を聞く前に引き受けるとお前確かに言ったよな」
「……ええ。言ったわ。殴らせろってんなら殴られるし、金を寄越せってんなら出来る範囲で支払うわ」
「俺がそういうことを要求すると思っているのか?」
「分からないわ。まぁこんなばかげたことを言う人じゃないことは分かってるけど、あなたが何を要求するのか想像もつかない」
「じゃあ俺が一発ヤらせろっつったら股開くのか?」
「……本気?」
「まさか。まぁ、いいってんなら抱かせてもらうが」
「サイテーね」
「俺もお前が何を頼みたいのか想像できねーが、安易に返事をするなってことだ」
「気をつけるわ。で、何なの」
「まずそっちが言え」
「研究用のサンプルを分けてほしいの。初歩的なミスで全部ダメにしちゃって、レポート丸々落とすことになりそうだから」
「そんなことか。しかし提出期限ヤバイんじゃないか。とりあえず研究室行くぞ」

 研究室内の棚の鍵を開けると、中には日付の付箋がつけられたシャーレが規則正しく並んでいた。
「何日頃からいるんだ」
「八日めから」」
 予備と書かれた付箋のあるものを受け取る。
「このまま実験してから帰るわ。そっちの要求、教えてくれるなら今聞くけど」
「レポート提出後にする」
「ありがたいわ」
 だが承太郎は荷物をテーブルに置くと肘をついて公子のほうをじっと見つめた。公子は今から忙しいのだと言ったつもりではあったが、帰る気がないようだ。
「何か用?」
「見てるだけだ。俺の趣味知ってるだろ」
「何なの」
「お前観察」
「さっきカフェでバカみたいに見てたじゃない!実験中はせめてやめて!これ失敗したら本当に後がないんだから」
「それは俺を意識してるってことか?」
「こんだけガン見されて気が散らない人は心臓から毛が生えてると思うわ」
 仕方なしに、といった風に、承太郎は本を取り出して読み始めた。目線は下へ向かい幾分公子も集中しやすくはなった。が、気になるものは気になる。
 承太郎の方も本を開くポーズをとったがやはり内容は全く頭に入らない。一体何をお願いするのが一番よいだろうかと考え、ときに妄想を混ぜ、現実の彼女の姿を盗み見してはほくそ笑むばかりだった。


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