小説 | ナノ

 頭の中で仮説を立てる。ジョセフの言を信じた承太郎が、あのときのことを誤解してしまったのではないかと。肉体関係をもったことを、公子が喜んでいると思ってしまったのではないか。
 ここから導かれる予想の範疇内の結末はどれもこれも最悪なものだ。まず自分が淫乱な女だと勘違いされている。そのうえでそれを罵りに来たか、苦痛でないならこれからも付き合えよと再度犯しにきたか。どちらにせよこの男と一緒に居ることはかなりの苦痛を伴うことに違いない。
 もうクラスメイトも見ていない通りにまでやってくると、公子は腕を振りほどいた。
「やめてください!私、先輩とお話しすることはありません!」
「……どっちだ」
「え」
「じじぃから聞いた限りじゃその反応はおかしい。所詮人伝の言葉は信じない方がいいのか?今目の前に居るお前の言葉を信じるしかねぇのか?」
「……あの……」
「しづらい話もある。出来れば人気のないところに行きたい」
 今も十分人気がない場所だと思うが、確かに立ち話で済ませるようなことではない。だがこのまま進行方向に進んだ先にあるのはあのシャッター街だ。
「来てくれ」
 悲痛な面持ちのその言葉に、逆らえなくなった。情に絆されたわけじゃない、凄味にあてられたわけでもない。こうすることが、決着をつける方法なのだという考えの一致からついていっただけだ。

 訪れたのはタトゥーの男が根城にしていた場所。つまり、ラブホテル跡地である。埃っぽいながらも最近まで人が使用していた場所はそれなりに清潔に保たれている。床に散らばっている女性の裸体が表紙のパンフレットを踏みつけて室内に入った。
「体は大丈夫か」
「何がどうなれば大丈夫なんですか?」
「……大丈夫なわけは、ないな。質問を変えよう。妊娠したか?」
「してません。ご心配しなくても何か請求するようなことはしませんから」
「そう、か……」
 それ以降の言葉を紡ごうとしない承太郎に不安を覚えた。先ほど立てた仮説の内の、許すならばもう一度関係を持とうというパターンを期待していたようにしか思えないからだ。公子が乗り気でいるものだとばかり思っていたと、顔に書いてある。
 普段あまり表情に出さないから、ここに来て急なうろたえぶりに違和感を感じはしたが、それよりも一刻も早くケリをつけることが重要だ。誤解を解き、ジョセフにはそのまま黙っておいた方がいいと告げれば、公子のこの数日の奇妙な冒険は終わる。犯人が捕まった今、この一連の事件で解決していないのは承太郎との関係だけだ。
 そもそもこんな場所は付き合ってもいない男女が訪れるような施設ではない。元、とはいえそういった機能はまだ生きている。電気水道ガスのライフラインは支払いが行われているようで蛇口をひねればシャワーからは熱い湯が出るし空調だって利いている。
(あの男が律儀に払ってたのかな?い、いや、今はそういうことを考えてる場合じゃない)
 考察という現実逃避をぼんやりしている暇はない。こんな場所であなたと二人で居るのがイヤなので帰りますと、いや、こんな捨て台詞も必要ない、急ぎ立ち去った方がいい。
「できてたときのことを考えていた」
 それなのに、なぜこの男の話に耳を傾けてしまうんだろう。
「年齢的に無理な話だが、責任は取るつもりだった。だったというか……例えできてなくても、責任は取る」
「取ってもらう責任なんてありませんけど……?」
「お前から目を離さなければ、その腹に傷がつくことはなかった」
「それは先輩と関係ないものです」
「そういうと思った。だから俺自身でもう一つ傷を作った。これでもう俺を関係ないとか言い逃れできないと思った……じじぃから聞いたぜ」
「それは違……」
 います、と続けるはずだった唇は塞がれた。押し返すはずの手が取られて体ごと大きなベッドに押し倒された。
「違わねぇ。あれはお前も望んだことだ。いいか、俺の言うこと何でも聞くんだろ……だったら俺を欲しがって、受け入れろ」
 ジョセフに語ったことが偽りであると、もっと前から気づいていたのか、それとも先ほどの道路でのやりとりで気づいたのか。それでもなお公子の否定を拒否するようにマウントポジションを取った。
「そんっ……だ、大体、約束破りましたよね!」
「いいんだよあれは」
「よくないです!私、どっ……どれだ、け……ぐすっ……怖か……た」
 糸は張り詰めるほどに切れやすくなる。緊張と言う名の糸がプツンと音を立てたのが公子自身よくわかった。その糸はあらゆるものを繋ぎ止めた最後の理性だったのに、失ってしまえば涙腺は崩壊し言葉を紡ごうとしてもどもってうまく話せない。
「すまなかった」
 謝罪されるのは二度目だ。なのに、以前のぶっきらぼうな「悪かった」とは違う。包むように優しく抱きしめて、それから耳元で囁く様に、
「ごめん」
「……先……輩?」
「傷つけたいわけじゃなかった。突っ走ったお前へのムカつきと、守れなかった自分への苛立ちと、それから、違う男にお前が捕まってるのを見て血の気が引くような思いと……とにかく、お前を好きだってこと以上に負の感情が抑えられなくなった。それを全部お前にぶつけちまった。あれからずっと後悔してた」
「なんで……だって、先輩、私のこと嫌い……」
「そう思うのも無理ねぇだろうが……嫌いどころか一年近く片想いしてたんだぜ、こっちはよ。俺の手の届かねぇところでフラフラしてあんなことになるくらいなら、妊娠でもさせて一生俺のそばに居させた方がいいんじゃないかなんて考えて……その、中に……」
「え……あの、片想い?てか、好きって……さっき……」
「お前が望むんならもう一度だけ言うぜ」
「……いや……は?……あの……」
「聞こえなかったか?だったらもう一回言ってくださいって言いな」
 それを言えば何もかも終わってしまうことはさすがに分かる。だが終わるというのは悪い意味ではない。一つの結末が確定するというところか。
「言いな」
「あっ……の……待って」
「待てない。お前が強請らないなら俺が勝手に言う。好きだ。もうつまんねぇ意地で手を離したくない」
「あっ……アンセム!た、たすけて!」
「何でそうなんだよ。さっきも言ったろ。俺を欲しがって、受け入れろ」
「だって!ずっと先輩は私のこと嫌ってるって思ってたから。第一印象も、最悪だったし」
「……八つ当たりみてぇな真似はしたが、お前を嫌いだと思ったことは一度もねぇ。そんなに信じらんねぇっつんなら俺がどれだけお前に振り回されてたか語ってやろうか?幸い時間もたっぷりあるしな」


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