小説 | ナノ

 恐怖というのがどういう感覚なのか、俺はイマイチよく分かってない。文章的な意味でならまあ分かる。人間は何かしら恐れるという感覚があるということも、特に旅の中でDIOと対峙した三人と話すと身近に感じられる。
 あんだけ能天気そうなポルナレフも、あんだけプライドの高い花京院も、あんだけ理知的なアヴドゥルも、皆一度の邂逅でDIOに恐れの感情を抱いた。
 俺があの写真に写る金髪の野郎と直接出会ったら、俺にもその感覚が分かるんだろうか。だが、俺の中に恐れの感情をもたらしたのは、意外なことに旅の仲間の公子だった。
 と言っても、何せ恐怖ってものをよく知らねぇ俺が言うんだから、これが本当に恐怖に値するかどうかは疑わしい。だが確かに俺は、この女に拒絶されることを異様なまでに怖がっている。
 だから何を話すか、どの程度なら距離をつめていいか、そんな細けぇことをちんたら考えちまってはいつも話しかけるタイミングを失う。
 俺の行動とは裏腹に、思いは募るばかりで、とうとうバランスを崩しちまったのが一週間前だ。

「眠れないのかい?」
 ホテルに宿泊できたある晩、俺は夜中にベランダで一服していた。便所に起きて一本吸ってくか、程度のことだったんだが、アイツからしたら俺が何か思いつめてたように見えたらしい。カバンから小瓶と何かのケースを取り出して、中身を移している。
 半分以上減った錠剤の入った瓶を俺に寄越す。
「睡眠薬だ。一粒で随分眠れるようになる。あ、今日は飲んでないからね。だから効き目もちゃんとあるよ」
 別に枕が替わると眠れないなんてデリケートな性格じゃあねぇんだが、気遣いを無碍にするのもあれなんでとりあえず受け取った。
 それから数日たったある日、それがさっき言った“バランスを崩した日”だ。俺はその日、もらった錠剤を袋に一粒いれて、備品のペーパーウェイトで粉砕していた。今日は一人一部屋取っている。今夜、俺が部屋を抜け出しても誰も気づかない。
 夜、部屋を訪ねれば公子はもう寝巻きに着替えていた。菓子とジュースを交換しようぜと提案すれば、あっさりとそれに乗る。当然ジュースは、その場で飲む。そう。睡眠薬の入ったジュースを、何の疑いもなしに飲む。
 ペットボトルをあおる姿に俺は興奮した。花京院の言ってたことが本当ならちょっとやそっとのことじゃ目を覚まさなくなるらしい。そして効果は、十分ほどで兆候が出る。

 公子にもっと近づきたい。あいつの匂いが分かる距離まで近づいて、触れて、見つめて、俺の名前を呼ぶ声を聞きたい。
 五感はまだもう一つある。味覚でさえもお前を知りたい。実際食うわけじゃねぇぜ?例えば耳なんかを舐めたら、どういう反応するのか知りてぇんだ。

「おはよー」
「公子、髪の毛が爆発しているぞ」
「女の子なら気ぃ使えよなー」
「う、うるさい。寝坊したの!」
「昨日夜更かししたの?」
「ううん、てか何時ごろに寝たっけか」

 俺は、恐怖を克服した。拒絶されることがあんなに怖かったのに、絶対にバレないと分かった瞬間それはうそのように消し飛んだ。普段どおりに笑う公子の姿を見て、俺の口元がいやな感じに歪んだのが自分でもわかる。
 バレないのだから求める必要がない。求めなければ拒絶されない。だから俺は笑ったのだと最初はそう思った。だが違う。昨夜、アイツの身に何が起こったのか、知るのが俺だけだという事実が、俺を歪ませているんだ。
「承太郎ー、何か食べ物ないー?朝ごはん食いっぱぐれたから何か入れておきたいのー」
(コイツは何も気づいてない。暢気にメシの心配しかしてない。昨晩はあんなとこまで俺に見られて撫で回されたっつーのに……ああ、最高だ。誰も知らない公子を俺だけが知っている、この感覚)
 昨日まで感じていた恐怖みたいなナニカは完全に上書きされた。公子を支配したという、独占欲を満たしたという、恍惚感によって。
(サイコーの気分だ)
 キメたときの感覚ってのはコレに近いんじゃなかろーか。言っておくが俺は素行はよくないと言われがちだがそっち方面に手を出したことはないし出すつもりもない。が、まあ知識としては知っている。すごく気分がよくなって、すぐに反動がきて一気に落ち込む。正に、その通りだ。
(今日は相部屋か。相方はポルナレフ……コイツにも一服盛るか?いや、薬はそう多くない。それに、ポルナレフはいびきがうるせぇから俺が何度か途中で鼻摘んだり枕で叩いたりしたが一度たりとも起きねぇ。まー大丈夫だろ)
 俺は、昼間公子に近づけない鬱憤を抱えて道中を過ごした。昨日は一睡もしてないから途中で昼寝を挟んだにも拘らず、夜が来るまでの時間があまりにも長い。
(早く宿につけ。早く、太陽が沈めばいい)
 この行為に中毒性があるんだと気づいたときには、もう手遅れの状態だ。本当に言うことやることヤク中の連中と同じで俺は自嘲した。

 その日の晩、念のために「散歩に出る」と書置きを残して俺は部屋を出た。ドアを開ける音でポルナレフが起きるんじゃねぇかという不安はあったが、それよりも俺は公子をもう一度征服出来るという快感に身を任せ、公子の泊まる部屋まで早足で向かった。
 スタープラチナで内鍵を開けると、俺の渡したペットボトルを持ったままソファで眠る公子の姿が。
(相部屋を抜け出すというリスクも、もう何も感じねぇ。そのうち俺はお前を眺めたり触ってみたりするだけじゃ満足できなくなるのかもしれねぇな)
 危機意識が徐々に薄れていく。それは公子に対してもそうだ。きっと俺はこの旅の間に、コイツを孕ませるような行為にまで至るのだろう。それがいつになるかは分からない。明日かもしれないし、目的を果たした後かもしれない。
(いや、今からかもしれない)


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