ラピスラズリを一匙。ドライアドの腕を一本と、ウンディーネの吐息を一樽。そして、涙石を一壺。
 小柄な女の子が念入りに準備した素材を確認し、納得して頷いた。
 彼女は魔女。今から一人前になるための儀式を行う、見習いのティアだ。

 青一色の吐息を魔力で器用に操り、ドライアドの腕を磨く。ウンディーネの吐息以外を用いて加工することは許されていないので、杖を作るには莫大な魔力を必要とする。見習い止まりの魔女が多い所以だ。
 慎重に、限りある素材を無駄にしないように気を付けて、お師匠様に教わったとおりに。
 緊張に包まれながら、彼女は大いなる挑戦に向き合い続けた。

 やがて、枯れ木でしかなかったドライアドの腕が艶めき、淡い青の輝きに包まれていく。磨きは無事に終わった。
 樽一杯にあった吐息はもう半分になっている。暫しの休息をとるなかで、ティアは麗しきウンディーネたちを思った。

 ウンディーネの吐息は彼女たちのため息だ。清らかな水の魔力そのものである彼女たちにとって、心の鬱憤は死に至る病であった。
 見習いたちは皆、上手に彼女たちの悩み、惑い、怒り、ねたみつらみ轟く思いを聞き出して、吐息に変えて集める。いわゆる、デトックスだ。ウンディーネたちは治療を受け、魔女たちは素材を得る。ティアが生まれ育った里ではそのような共生が築かれていた。
 この試練のために集めた一樽。単なる素材、とは思えなかった。私が関わる彼女たちが今も生きる証明。無駄にしてはいけない。
 決意も新たに立ち上がり、次の作業へととりかかる背は、小さいと形容することはできないだろう。彼女は今、正に、成長している。

 ラピスラズリの粉末をドライアドの腕、杖の全体に塗していく。ほんの少ししかない夜の宝石の名残を一粒も落とさないようにして。
 これは、お師匠様と懇意の工場の親方にいただいた。
「おめぇさんには、これが良いだろう」
 夜空を閉じ込めた宝玉を磨きながら、ぶっきらぼうに渡してくれたものだ、と思わず笑みがこぼれる。
 里で腕を振るう職人たち。美しい作品を創り人々を魅了するものもいれば、日常を支え彩る品を実直に作り続けるものもいる。彼らは魔法使いだと、ティアは確信している。
 慎重に最後の一粒まで杖に塗したとき、淡く青い輝きは夜を思わす瑠璃色の煌めきへ変じていた。

 杖の窪みに合わせて涙石を嵌め込み、吐息に包んで馴染ませれば杖は完成する。
 ティアは額に伝う雫を払う素振りも見せず、首に下げた壺を取り出して作業台にひっくり返した。
 大小さまざまで透明な石が転がる。ひとつひとつ、手に取り確かめる。

 お師匠様の言いつけどおりに、私の心の欠片を小さな壺に仕舞ってきた。
 上手に話を聞き出せなくて、よどんだ水たまりになったウンディーネ。
 秘密の丘で見た流星群の美しさ。
 夜の森をさまよいお師匠様に叱られたあの日。
 親方が作ったキラキラ輝く宝石の耳飾り。
 ちっとも魔法が上達しなかった悔しい日々。
 ありがとう、と。幼いウンディーネに微笑まれたとき。
 私を見つけて導いてくれた、おじじ様が天に召された哀しい日。
 試練に挑む決意を形見の枯れた腕に語ったとき。

 ちょうどよい窪みにピッタリ嵌まるように、残っている吐息で押し込んだり削ったり。朝が来て、夜が来て。幾度も日が巡るなか、ティアは休まず形見の杖に向き合い続けた。
 最後の思い出を嵌める頃には意識も危うく、倒れる寸前のありさまで。樽の底にある吐息に杖を沈めて浸したところで意識を手放してしまった。

 大きな樹に背を預け、柔らかな日差しに包まれながら少女は安らかに眠る。
 まったく おまえは しかたがないこだね
 ざわめいた樹が囁いたのか、空耳か。微睡みの中には届かない。

 美しく成長した女性が長いような一瞬のような、やさしい夢から飛び起きた。
 杖は、試練はどうなったのだろう。

 ティアはおそるおそる樽を覗く。艶やかな紺に染まった形見の腕に、瞬く星のような大小の涙石。
 手にとっても杖は沈黙している。失敗してしまったのか。二度と同じものは創れないのに。これしかないのに。
 俯き、試練に挑む中耐え抜いた雫をひとつ落とす。ふたつ、みっつ、雨のように。
 今までの思い出すべてを混ぜたような涙が溢れて止まらない。
 お師匠様、おじじ様。
 嗚咽まで漏らしそうになったとき、涙が一粒、杖に吸い込まれた。




 そのときの光の奔流をどう表せばいいか、私は今もわからない。
 ただひとつ確かなことは、とても、とてもやさしい光だったということだけ。

 私は雫の魔女。
 夜空灯す魔法の杖で、あなたに想いを届けましょう。
ティアドロップの杖

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