これは、どこかの世界で、いつかに起きたできごと。
 そして、その世界の、とある始まりの物語。





 閃光が走る。
「実家に帰らせていただきます!」
 ハラハラと涙を零しながら、妖精の王であり魔王バリティの伴侶であるグリンティは一振りの剣を抱えてテレポートした。その場に残された夫は先ほどの閃光─妻のビンタ─を受けた状態のまま硬直した。
 これが、世界を巻き込む夫婦喧嘩勃発の瞬間である。



 少女は決意した。
 この荒れゆく世界を救ってみせると、強く誓った。
 夫婦喧嘩に巻き込まれて滅亡とか冗談じゃないと憤っていたのだ。

 にぎやかだった妖精の郷は、敬愛する女王の突然の里帰りと悲しみに暮れる様の影響で陰鬱な空気に包まれている。これはよくない。陽気でない妖精など病気でしかない。
 暗い雰囲気の町や村も増えている。なんだか妖精が元気じゃないから調子が出ないとぼやくヒトが多いらしい。これもよくない。妖精が原因で問題が起きたらとんでもない。
 魔王の治める地域はもっとひどい。なにやら不機嫌な統治者に怯え慄く人々があちこちで諍いを起こしていると聞く。これはよくないどころじゃない。妖精が原因ではないが問題が起きている!

「というわけで旅立ちよ!」
「説明が足りないと思う」
 妖精の少女チェリスが血気盛んに飛び立とうとするのを、幼馴染みの青年ナヨンが軽く抑える。慣れた雰囲気の挙動だ。
「そもそも、女王さまが泣き暮らしてる噂は聞いたけど原因は誰もわからないんじゃなかったか」
「私が傷心の女王さまを問い詰めたわ!」
「うわー、悪魔がいる」
「それで、どうも些細な行き違いから初めての夫婦喧嘩になってしまったようなの」
「へえ……その振り回してる剣が関係してるのか?」
「そうなの、これが問題の要なのよ!」
 興奮して語り出したチェリスの話を要約すると、妖精の信仰する神さまが女王さまの嫁入り道具として祝福をかけた剣を、魔王さまがうっかり祝福を吹っ飛ばした……よりによって結婚記念日に。という、要所でスケールの大きい話が事の発端だそうだ。

「ふーん」
「なによ、気のない反応ね」
「俺には関係のない話だからな……ちょっと待て。なんで、その肝心要の剣をチェリスが持ってるんだ?」
「決まってるじゃない!魔王さまに男の甲斐性見せやがりなさいよ!!って傷心の女王さまに代わって叩きつけに行くのよ」
「剣は叩きつけたらいけない。いや、そうじゃなくてだな」
「これ、世界を救う旅って言えなくもないよね」
「ああ……いつもの勇者ごっこか……」
「というわけで、旅立ちよ!」
「わかった、わかったよ……一人で行かせたら何するかわからないしな……」
 このようにして小さな勇者と従者の旅は始まった。

「あ、勇者はナヨンだからね!」
「なんで!?」
「妖精の美少女勇者って、なんだか特盛りすぎよね?」
「そういう問題か……?」
 訂正、このようにして勇者と小さな従者の旅が始まった。



「魔王城に着いたわ!」
「おどろおどろしい雰囲気だな」
 経由した町や村をのんびり観光しながら暗い世間を気にも止めず、勇者と小さな従者は魔王さまの治める地域にやってきた。経費は女王さまにツケで、でゴリ押しして特に何事もなく旅の終着点へ到達したのだ。

「頼もう!魔王さまに会いに来たわ!」
「直球アポなし訪問すみません」
「どうぞどうぞ魔王さまは最近不機嫌で恐ろしいですがよろしいのですねありがとうございます今すぐ案内いたします」
「厄介な気配がする対応ね」
「嫌な予感しかない」
 魔王の側近の歓迎を受けた二人は謁見の間に行く。そこには貧乏ゆすりをしながら玉座に行儀悪く座り、イライラとした雰囲気と、ついでに漏れる魔力の衝撃波を隠しもしない魔王バリティの姿があった。
 なんの気構えもなく謁見の間に踏み込んだ二人を荒れ狂う衝撃波が襲う!!

 しかしチェリスが投げた剣が衝撃波を相殺して魔王さまの足元に突き刺さり、誰も怪我をすることはなかった。
「頼もう!魔王さま、男の甲斐性ってものを見せやがりなさい!!」
「空気を読まずに本当に叩きつけたー!?」
「なんだ、お前達は……この剣は……まさか」
「かくかくしかじかで女王さまはとっても傷ついたのよ!私、結婚してから乙女心のフォローをおざなりにするなんて夫の怠慢でしかないと思うわ」
「説明を省略してダメ出しを付け加える鬼の所業」
「この剣にそのような祝福が……麦茶を零した汚れを跡形も無く消そうとしなければグリンティは……」
「祝福を吹っ飛ばした衝撃の事実が判明したわね」
「神さまの祝福を汚れのついでに消すって……」
 小さな従者が説明した女王さまが怒った理由を聞き、魔王さまは落ち込んでしまう。妻の気持ちを大事にできなかったくせに理由がわからないからといって周りに八つ当たりしていた己を反省しているようだ。

 魔王さまの落ち込みで謁見の間は先ほどよりもどんよりとした空気に包まれてしまった。
 だが、その空気を明るい声がぶち壊す!
「心配ないわ!ここには勇者がいるのよ!」
「えっ」
「そうか、お前たちがあの勇者なのか……では、伝説の職人のドワーフを探してくれ。我は荒れた支配域を立て直そう」
「任されたわ!」
「えっ」
 勇者の困惑─ツッコミ追いつかない─を置き去りにして、魔王さまのお願いを叶えることにした小さな従者は張り切っている。
 いよいよ勇者っぽくなってきた!とテンションが上がっていたのだ。魔王が目の前にいるのに。

 魔王さまの城を出た二人は、どこにいるかもわからない職人を探し始めた。
「魔王さまは神さまの祝福を復元するつもりね」
「そういうことか……なんで職人を探すんだ?」
「美しい紋様を装飾として刻み込んで祝福としていたらしいわ」
「なるほど」
「噂によると、ドワーフさんは辺境で気ままに創作活動をエンジョイしてるみたいね」
「遠いなあ……」
 勇者と小さな従者の旅は長引きそうだ。


「辺境に着いたわ!」
「小屋があるな」
 魔王さまのおかげでスムーズに旅を進行できた二人はわりとはやく辺境にたどり着いた。そこにはプルプルと細かな振動をし続けながら活動する老人一人が暮らしていた。
「頼もう!あなたがドワーフさん?」
「伝説の職人を探しに来たんですが……」
「ああああ……そうじゃ……儂が……職人の……ドワーフじゃ……」
 老人は今にも倒れそうな状態で、か細く答えた。
「かくかくしかじかで剣の祝福を復元したいの!」
「……できそうですか?」
「舐めるな小僧。ふむ、細工なら任せてほしいが紋様自体がわからねば話にならんのう」
「仕事モードって奴かしら」
「豹変怖い……どうしたらいいですか?」
「そうじゃな……記憶力に定評のあるエルフを連れて来ておくれ。ちいとばかしクセのある婆じゃが、実力は確かでな。儂はここで待っておる、頼んだぞ」
 伝説の職人であってもデザインがわからなければ為すすべもなく、記憶力に定評のあるエルフに会うために二人は世界樹へと向かった。


「ここが世界樹ね!」
「でっかいなあ」
 世界樹は辺境の近くにあった。エルフ達が世間の暗い雰囲気を気にも止めず暮らす森の中央にある、とても大きな樹だ。
「頼もう!記憶力に定評のあるエルフさんを探してるわ!」
「伝説の職人のドワーフさんに力添えしてほしいんです」
「あらあらぁ、あの爺さんがアタシのことを呼び出すなんてねぇ?」
 現れたのは、艶やかな風貌の妙齢の女性だ。
「あなたが、エルフさん?」
「ドワーフさんは確かばb」
「レディの年齢はぁ、探るものじゃないわよぉ?」
「「あっ、ハイ」」
「さぁて、アタシの力が必要みたいねぇ?行くわよぉ」
「「あっ、ハイ」」
 エルフのおば……オネエサンを引き連れた二人は無事にドワーフさんのいる辺境に戻ってきた。


 そこには魔王さまもいた。
「魔王さま!?」
「どうしてここに!?」
「支配域の立て直しが終わったからな……何より、人任せにしていては妻に顔向けできん」
 そう、ほんのり苦く笑う魔王さまは、謁見の間で会ったときとは比べようもなくかっこよかったとチェリスとオネエサンは盛り上がったそうだ。
 複雑そうな顔をしたナヨンはその隙にとあるモノをドワーフさんに依頼しておいた。ドワーフさんは快く、心なしかにやにやとお願いを引き受けた。その顔を貶したオネエサンと唐突に壮大な喧嘩が繰り広げられたりもした。




 そうして伝説の職人と記憶力に定評のあるオネエサンの衝突を繰り返しながらも息の合った連携プレイで無事に復元が進み、元通りになった祝福の剣を手にした魔王さま。
「勇者ナヨン、小さき従者チェリス、皆の協力に感謝する」
「あとは女王さまに謝れば大団円、ですね」
「長い旅の終わりね」
「いや、一度神さまに会わねばならん」
「「えっ」」
 なんと魔王さまは女王さまに詫びるだけではなく、改めて義理の父親のような存在である神さまに婚姻の赦しを貰いに行くというのだ。
「魔王さま!私達も最後まで見届けたいわ!」
「着いて行ってもいいですか?」
「ああ、では共に行こう」
 魔王さまのテレポートで着いたのはどこまでも真っ白な空間。清らかな空気に満ちた、汚れを知らない場所。神域だ。

 そこに、神さまは泰然と待ち構えていた。
「婿殿」
「はい」
「覚悟はよいか」
「はい」
 チェリスとナヨンには何が起こったかわからなかった。ただ、瞬きをひとつ。たったそれだけの時間で、魔王さまはボロ雑巾のようになって倒れていた。
「神さまも鉄拳制裁をするのね……」
「女王さまも叱るときは鉄拳制裁らしいな……」
 神さまは魔王さまを改めて見極め直したようだ。元通りになった祝福の剣に更に祝福を加えて、重々しく魔王さまに告げる。
「婿殿」
「……はい」
「次はない」
「…………はい」
 こうして、魔王さまは無事に女王さまと仲直りする準備を終わらせた。あとは、今も泣き続けている愛しい妻のいる妖精の郷へ急ぐだけ。

 そういうわけで、慌てていた魔王さまは二人を置き去りにしてさっさとテレポートしてしまった。
「ああっ!?」
「俺達の力じゃ帰れないんだが……」
「送ってやろうか?」
 優しい神さまは魔王さまのうっかりに尖りかけた気持ちを落ち着かせて二人に声をかけた。ちょっとだけ怯えながら、チェリスは頷いた。ナヨンは、チェリスの後で行くと答えた。
「どうして一緒に行かないの?」
「少しだけ神さまと内緒話をしたいんだ」
「……絶対、絶対に後で教えてよね!」
「もちろん。大丈夫、すぐに帰るから」
 これにて勇者と小さな従者のそれなりに長かった旅は、一旦おしまい。

 そうして、神域には神さまと青年だけが残った。彼は、ちょっとした、でも分不相応な、とあるお願いをしたかったのだ。
 神さまは快くお願いを叶えてあげて、彼を妖精の郷へと送ってあげた。




「ただいま」
「遅いわよ!」

 妖精の郷はすでに、旅立つ前のどこか暗い雰囲気など思い出せない有り様。
 花は咲き乱れ、妖精達はみんな笑っている。そこかしこで陽気な騒ぎが起きている。
 さあ飲んで歌って踊ろう!みんな一緒に喜びを分かち合おう!!

「大団円だった?」
「それはもう!まるで物語が目の前で上演されてるみたいだったわ!」
「ふーん、それはよかった」

 女王さまは幸せそうに笑っていったよ、もう一回嫁入りするようなもんだね、良いことだ、良いことだ、夫婦喧嘩はもうたくさんだ、いつまでもお幸せに。
 笑い混じりの囁き話が風に乗って世界中を駆け巡る。

「ナヨンも二人を最後まで見届けたらよかったのに」
「それはちょっと残念に思ってる」
「本当に素敵だったわ……私もいつか、あの二人のような夫婦みたいになれるかしら」

 どこかの小屋で、老人が古ぼけた写真を見ながら風の囁きを聞いている。今度は会いに行こうかと考えている。
 大きな樹の下で、妙齢の女性が古ぼけた髪飾りを風に揺らしている。ちょっとだけ素直になろうかと悩んでる。

「……俺達なら、なれるんじゃない?」
「えっ……?」

 世界中の誰もが、幸せのおすそわけを貰ってる。

「これ、受け取ってほしいな」

 ここにも、一組。





 その世界では、結婚にまつわるとある伝統がある。
 家族に、隣人に、知り合いに、少しずつ祝福をかけてもらって作り上げた剣を、プロポーズの宣誓と共に贈る。これは、『祝福の剣』と呼ばれている。
 なんでも、はるか昔に結婚して、今も仲むつまじく暮らす魔王さまと女王さまが、一度だけ大喧嘩したときに、仲直りに貢献した勇者がいたらしく。
 その勇者が愛する人に、魔王さまと女王さまの真似をして美しい紋様を刻み込んだ剣を贈ったことが、この『祝福の剣』の始まりだそうだ。


















簡易登場人物紹介
魔王さま……バリティ。麦茶。だいぶ強い。
女王さま……グリンティ。緑茶。かなり強い。
伝説の職人……ドワーフさん。強い。オネエサンとは因縁が?
記憶力に定評があるエルフ……オネエサン。わりと強い。ドワーフさんとは因縁が?
神さま……神さま。とても強い。
小さな従者……チェリス。妖精の(美)少女。強い。
勇者……ナヨン。妖精の青年。強くない。
魔王バリティと祝福の剣

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