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「
梓乃 、今日なにか予定ある?」
玄関先で靴を履いていた俺に、母さんがにこにことした顔で声をかけてきた。手に持っている封筒はなんだろう、そう思いながらも正直に「特に無い」と答えれば、母さんは楽しそうに言う。
「
紗千 のバースデーケーキ買ってきて欲しいんだけど!」
「……あ、紗千、今日誕生日……」
言われて、思い出す。俺の妹の紗千が、今日誕生日だと言うことに。
今年中学一年生になった紗千は、なかなかに生意気で俺に対してのあたりも強い。丁度思春期ということもあり家族の中でもそのおてんばっぷりを発揮してくれてはいるけれど、なんだかんだで可愛い妹だ。誕生日を祝われたらきっと目をきらきらと輝かせて喜ぶんだろうな、と考えると自然とにやけてしまった。
「紗千、苦手なものとかあったっけ? チーズケーキ苦手とか生クリーム無理とか」
「え〜っと……チョコレートのケーキがいいって言っていたわ」
「えっ、本人に聞いたの!? そこはサプライズしようよ」
「あらっ! 言われてみればそっちのほうが良かったかもしれないわね!」
あはは、なんて笑っている母さんは、いつもおっちょこちょいだ。でも、本人が一番欲しいと思っているケーキを買えるなら、それはそれで喜ぶだろう。母さんは俺に封筒を渡し、「これで買ってきて」と微笑んだ。安っぽい茶封筒は透けて、樋口一葉の顔が覗いている。
「7時位には帰ってくるよ」
紗千が喜ぶような最高にセンスのいいケーキを買ってきてみせるよ、なぜかケーキを買うというだけのことにやる気まんまんになってしまった俺を、母さんは微笑ましそうに見ていた。
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