第五幕 7
「んっ……、ぁ……、」



 何度も何度も角度を変えて、二人はずっとキスをしていた。時を、忘れるくらいに。

 この二週間が、永遠のように長かった。ただ、一人の人間がいなくなっただけだというのに、空の色が青から赤に変わってしまったように、世界が変わって見えた。……そのくらいに、お互いの存在はかけがえのないものだった。

 そんな、世界一大切な人と。こうしてまた触れ合うことができる。それが嬉しくて、何よりも尊くて、キスのひとつですらも涙があふれるくらいに、嬉しい。……氷高は実際に泣いていたのだが。



「契さま……」

「ん……?」

「電気、消しますか……?」

「へぇ、何……今更そんな気遣いして……」



 たくさんの口づけを重ねて体が熱くなってくると、氷高が契のシャツに手をかけた。しかし、今までのようにすぐに脱がすことはなく、手を止める。

 氷高は気遣いのできる男だが、セックスのときにそうだったかと言えば……たぶん違う。契のことを慈しむように、傷つけぬように抱いてはくるが……少々サディズムが混じっていて、精神的な部分まで優しくしてくるかといえばそうではない。むしろ契の羞恥心を煽るような責め方をしてくる。だから、電気を消すかなどと聞いてきたことに、契は疑問を覚えた。

 尋ねてみれば、氷高は契から目を逸らし、顔を赤らめる。そして、火照った体を冷ますように自分のネクタイをほどいて、ぼそぼそと話し出す。



「……加減が、効かないかもしれません。契さまが、そんな私を見て怖いって思ったら申し訳ないと思いまして……」

「……ふんっ」

「あっ! リモコンが!」



 理由を聞くなり、契はベッドサイドにあった電気のリモコンを遠く離れたソファに向かって放り投げた。手の届かないところへ行ってしまったリモコンを目で追いながら唖然としている氷高を見て、契はぱしんと氷高の頬を軽くたたく。



「ひ、氷高! おまえ、二週間も俺と離れていたのに、顔見えなくても平気なのか!」

「えっ……」

「お、俺は……顔、見えたほうがいいんだけど……おまえは、違うの……かよ!」

「せ、契さま」

「せめて、今日くらいは……電気、消すなよ。……わっ、わかったか!」

「〜〜ッ」



 ――氷高の言いたいことは、よく理解できた。

 久々のセックスだから、自分が自分でなくなってしまうかもしれない。そんな姿を、相手に見せたくない――。契も、その気持ちを持っていた。だから理解できた。氷高のことを想って氷高のベッドで自慰をしてしまうくらいには、契は氷高に焦がれていたのだ。だから、こうして本人に抱かれては、どうなってしまうかわからない。ぐちゃぐちゃになって、ひどく恥ずかしい思いをしてしまうかもしれない。

 けれど――。契の中でその羞恥心よりも勝ったのは、氷高の顔を見たいという気持ちだった。
 
 ずっと、寂しかったから。だから今自分は氷高に触れているのだと、氷高は自分の腕の中にいるのだと―ーそう実感したかった。

 そんな、契のいじらしい想いを吐露されて、氷高が冷静でいられるわけがなかった。顔を今まで以上に赤くして、しどろもどろになりながら、顔を近づける。



「申し訳、ありませんでした……俺も、契さまのお顔が見たいです……貴方に、俺を見ていて欲しいです」

「……ん、……よし」

「契さま……」


 
 鼻先を触れ合わせて、ちょん、ちょん、と唇でつつき合わせるようにして、短いキスを繰り返す。合間合間に「契さま」「可愛いです」「好きです」と甘ったるく囁けば、契は困ったように笑いながら愛おし気に氷高の頭を撫でてきた。

 時を溶かすような、甘ったるいキスをしながら、氷高は契の服を脱がしてゆく。そして、契も氷高の服に手をかけて、もたもたとした手つきで脱がしていった。



「氷高、このスーツかっこいいな。あっちで買ってきたの?」

「はい……絃さまに仕立てていただいて……」

「……似合ってる」



 氷高はあっさりと契の服を脱がしてしまったが、契は手こずってしまっていた。氷高に裸にされるころにも、まだシャツのボタンを外すことすらできていない。

 氷高はくすっと笑うと、契を抱え上げて一緒に起き上がる。そして、契がボタンを外しやすいように背筋を伸ばすと、契が照れながらも氷高のシャツのボタン外しを再開した。



「新しいシャツなので、少し固いかもしれませんね」

「……くそー、ドイツ製め……」

「こうして契さまが相手の服を脱がすことに慣れれば、いざというときに役にたちますよ」

「いざというときってなんだよ……」

「早急にセックスしたいときとか……」

「ねーよ」

「……まあそういうときは俺が自分で脱いじゃいますか」

「だからそんな場面ないって……」



 少々時間がかかったが、上から下まで、契が氷高の服を脱がせてやることに成功した。脱がしている最中、氷高がやたらと幸せそうな顔をして見つめてくるものだから、余計に緊張してしまって必要以上に時間をかけてしまっていたが。
 
 氷高は裸になると、年相応の表情ではにかんだ。その顔には、契の知らないような様々な想いが滲み出ていた。今までずっとずっと押し殺していた恋心が実った喜び、幸せを手に入れた自分への祝福、契への感謝、それから契への強い愛。氷高の抱えていたものを全て知っていたわけではない契ではあったが、そのはにかみを見て強く心が揺さぶられるのを感じた。言葉にはしなくても、氷高の想いが伝わってくるようだった。じん、と目頭が熱くなるような愛おしさを覚えて、契は氷高の頭を両手で撫でまわす。



「この、ばか執事」

「はい、契さま……」



 また、キスをして。また、二人でベッドに倒れ込んで。今度は裸で、絡み合う。

 何度キスをしても、足りない。あふれる愛おしさが、止まらない。

 激しく舌を絡めあいながら、下腹部をいじりあった。氷高は契の秘部を指でほぐしていって、そして契はためらいがちではあるが氷高のペニスを扱く。様々な水音、そしてシーツのこすれる音。艶めかしい音が耳を掠めて、二人を包む空気は熱くなってゆく。



「あっ……んっ、……ん、む……」

「はぁ、……ん、……」



 そっと瞼をあけて、見つめあいながらキスをした。まつ毛がぱさぱさと重なってくすぐったいが、それでもその熱い瞳を見ていたかった。

 尊い光――氷高が契の瞳に見たのは、昔から変わらないまっすぐな光だった。幼い頃から恋い焦がれた、何よりも尊い存在。きっと運命に刻まれていた、生涯のご主人様。この人に死ぬまで仕えるのだと、魂に誓った。強い想いが恋慕に変わっていたことに、本当はずっと前から気付いていた。ただ気付かぬように、自分でその想いを殺していた。永遠に報われないはずだったこの想いが今――命を吹き返して、鼓動している。ああ、なんて幸せなんだろう、この世界はなんて美しいんだろう……氷高の心は、切ないほどの幸せに満ちていた。

 そして、契はそんな氷高を見つめ、狂おしい気持ちにさいなまれた。大切な存在だからこそ、彼との永遠をあきらめようとしていた。大切な存在だからこそ、本当は彼と永遠に一緒に居たかった。もしかしたら、彼の人生を狂わせてしまったのかもしれない――その罪悪感は、拭いきれない。けれど、氷高のまっすぐな想いに救われた。彼を欲しいと思うことを、彼の想いが赦してくれた。



「んっ――!?」



氷高への想いが、心臓から弾けて指先まで伝わってゆく。気づけば契は、氷高の後頭部を掴んで、さらにキスを深めていた。もっと氷高が欲しくなった。氷高は驚きに目を瞠ったが――目の前に在る契の瞳は、ただただ優しく氷高を見つめている。



(氷高、ごめん……俺、おまえが欲しいよ。もう、放さない。だから――)



 契の瞳が細められる。虚をつかれ、思わず氷高は唇を離した。そうすれば契はそっと氷高の腰に手を添えて、快楽で汗ばんだ顔に微笑みを浮かべて、囁く。



「おいで、氷高」

(俺が、おまえを幸せにするよーー氷高)

「契さま――……」



 契のまつ毛に、汗の雫が浮かんでいる。きらきらと輝くそれは、宝石のようだった。

 その表情の、なんと美しいことか。氷高は大粒の涙を流し、嗚咽をあげながら、契のなかへはいっていった。どろどろと、自らも嫌悪した泥のような恋心が、救われてゆく。熱が繋がったところから燃え上がって、恋をすることの幸せを教えてくれる。

 氷高がなかにはいってきた瞬間に、契はあまりの多幸感に意識が飛びそうになってのけぞった。快楽の渦に引きずり込まれるような感覚に、恍惚と頬を染めた。甘い吐息をこぼした。



「氷高……」



 腰をゆっくりと動かしながらも、契の胸元で泣きじゃくる氷高を、契は優しく抱きしめた。奥を突かれるたびに「あっ……あっ……」と儚い声をあげながら。目を閉じて氷高から与えられる熱を受け入れる契の表情は、まるで祈っているようだった――そう、自分の胸元で子供のように泣いている、大切な執事の幸せな未来を。

 少しずつ、二人で昇りつめてゆく。胸を締め付けるような想いを抱いて、二人はお互いを求めた。徐々に抽挿の速度もあがっていき、契の声色もどんどん甘ったるく、艶を帯びてゆく。



「契さまっ……契さま……!」

「氷高……もっと……!」

「契さま、――……」

「あっ……、ひだか、……あぁっ……もっと、ひだかっ……」



 ベッドがきしみをあげる。氷高の吐息が荒くなってゆく。契の声が切なくなってゆく。

 ばち、と頭のなかが弾けるような感覚を覚えて、氷高は契を掻き抱いた。そして――二人で、一緒に絶頂を迎える。



「あっ……!」

「契さま……!」



 ――視界が白み、白昼夢へ……堕ちてゆく。頭の中に浮かんだのは、いつも意識の裏で淡く光る、あの記憶。薔薇園で、永遠を誓ったあの頃の――……



『ここで、誓えよ』

「氷高、……誓って」

『永遠に、俺の』

「……永遠に、俺の」

『執事になるって』



 契の意識が薄れてゆく。見下ろしてくる氷高の瞳から、涙の雫が落ちてくる。

 ああ、綺麗だ。俺だけの、氷高――俺の、永遠。



「――そばにいて」



 白昼夢と、今、自分を抱く氷高が重なって。「はい、契さま」と微笑んだ彼が、あの頃と何も変わらないようでーーでも、すっかり大人っぽなっていて。

 ああ、こうして大人になってゆく彼を、彼が死ぬ時まで見守っていくのだろう。

 言葉にならない愛おしさが、意識が途絶える最後、胸の中に、灯った。



 
 
 


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