呉須の池は、織の住む街から離れたところにある、村の近くにあるらしい。白百合はかざぐる まのある場所はどこもそこまで遠くないと言っていたが、行ってみると決して近い距離ではない。今回も、その場所にたどり着くまでに織はへとへとになってしまっていた。



「誰かに聞けば呉須の池の場所がわかるかな」

「……いきなり行くのか? どんな場所なのか調べてからいこうぜ。やべえって白百合も言ってたし」

「……まあ、それは一理ある」



 戯のときの、ちょっと村人に悪戯をする程度といった妖怪ではない。強い怨念を持つ恐ろしいものだというから、鈴懸も用心していた。早く事を済ませたかった織は焦っていたが、鈴懸の言うことは全くその通りだと納得して、情報収集にかかる。

 誰か、通りすがった人に聞いてみよう。そう思っていれば、ちょうど織と鈴懸のそばを女性が通りかかった。少し汚れのある着物を着た、中年くらいの女性。ぼさぼさの髪の毛を一つに結っていて、痩せている。



「あのー、お聞きしたいことがあるんですけど、」

「……はい?」

「呉須の池っていう……」



 遠慮がちに、織は声をかけた。不審に思われないようには、したと思う。しかし――女性は瞠目し、織から後ずさって……怒鳴り始めた。



「呉須の池なんて知らないよ! あんた誰だ、私にそんなことを聞いてどうするんだ!」

「えっ……いや、ちょっと気になっていたので偶々通りかかった貴女に、」

「黙れ! 黙れ黙れ、そんなもの私は知らないって言っているだろ!」



 女性は自らの頭を掻きむしり、ぶるぶると頭を振る。彼女の突然の狂行に織は驚いてしまって、言葉が出てこなくなってしまった。彼女のの髪の毛はどんどんとぼさぼさに乱れてゆく。ぎょろりと織を見上げる瞳は血走っていて、 まるで昔話にでてくるような山姥のような風貌だ。

 やがて、彼女は叫び声をあげながら走り去っていってしまった。走っていった方向は、集落からは離れた木の生い茂っている辺り。どこへ彼女は行くんだろうと思いつつも、追う気にもなれない。



「どうした、織」

「い、いや……びっくりしちゃって、」

「おまえは屋敷から外に出ないんだもんな。ああいうの、いくらでもいるぞ、外には」



 意思疎通の図れない人間を初めて見た織は、茫然喪失。どうしたらいいのかわからなくなって、そろりと鈴懸に寄り添った。



「……」



 織は、他人との距離をつめることに、慣れたのだろうか。鈴懸は、自ら近づいてきた織をみて、そう思った。織は他人に触れられることが苦手だったはず。いくら気が動転しているからといって、自ら近づいてくるなんて。

 ためしにこっちから触れてみようか。触れたら、どんな反応をするのだろう。

 鈴懸のなかに悪戯心が湧いてくる。ゆっくりと手をあげて、後ろから織の頭へ。ちょっとだけ、頭を撫でてみようと思った、そのときだ。



「だめだよ、君たち。あの人に話しかけちゃ。呪われちゃう」



 近くを歩いていた男が、話しかけてきた。



「呪われちゃう?」



 男は先ほどの女性と話していた織をみて、やれやれといった顔をしていた。「呪われる」といわれても、先ほどの女性はどうみても人間で、特別な術を使うようにもみえない。男の言葉の意味がわからず、織は首をかしげるばかりだった。



「あの人、亡霊に取り憑かれているんだってさ。みただろう、あのおかしな様子。取り憑かれたせいで気が狂ってしまったらしい」

「取り憑かれたって……何かあったんです?」

「いや、俺も詳しくは知らない。ただ、もう数年以上、子供の霊が彼女の周りをうろちょろしているんだってさ」

「……ふうん、」



 男の話をきいていれば、女性の言動にも納得できた。たしかにこの世のものではない存在に四六時中つきまとわれたのでは、気が違えるだろう。 鈴懸のような人間にそっくりの容姿ならまだしも、亡霊なんて呼ばれるくらいのきっと恐ろしい姿の者が、自分につきまとってきたら……そう考えると、織は身の毛のよだつ心地であった。

 あの女性には今後関わらないほうがいいだろう……織がそう思ったときだ。男は神妙な面持ちで言う。



「なんでもあの人、昔呉須の池に行って祟られたとかなんとか……」



――呉須の池。

 あの女性は、呉須の池に関係しているらしい、と。たしかにあの女性は、呉須の池の名を出した途端に、おかしくなってしまった。これは有力な情報だ、と織が食いつけば、男は参ったように頭をかく。



「呉須の池はあれだよ、あそこの細い道をずっと抜けていったあたりにある。でも俺はその池のなにが危ないのか、よくわからないなあ。ただ昔の人はこぞってあの池に近づくなって言うんだ」



 やはりあの女性にもう一度話を聞いたほうがいいだろうか。鈴懸もついているし、危険な目にはあわないだろう――そう思った織は、再びあの女性のもとへ行くことに決めたのだった。
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