三十八

 誰かと顔を合わせることも億劫で、何もする気も起きず。僕は玉桂にもらった薬だけを呑んで部屋で一人横になっていた。

 櫨を惑わせた咲耶の淫術に、僕たちの愛は敗北した。仕方のないことなのだとわかっていても、心の整理などできるわけもない。櫨は悪くない、そう自分に言い聞かせてはいるが、彼に対してどうしても恨みがこみあげてくる。

 僕の心を奪っておいて。僕のすべてを受け止めておいて。僕は、もう櫨のことが大好きで、愛していて、それなのに。こんなに体がぼろぼろになっても、彼は僕のことなど放っておいて咲耶を抱いている。

 ……もう、僕たちは、離れたほうがいいのではないだろうか。



「……?」



 ぼんやりと、闇と話していれば、部屋の外が騒がしいということに気付いた。玉桂が屋敷にいない今、狐たちが宴を開くなどということもないと思うが……。

 ゆっくりと体を起こして、じっと耳をすませていれば……聞こえてきたのは、狐の悲鳴だ。



「……敵襲……!?」



 男の笑い声と、狐たちの嗚咽交じりの悲鳴。間違いない、誰かがこの屋敷に侵入してきたのである。



「な、なぜ……」



 十五夜の日、今まで玉桂の屋敷に何者かが侵入してきたということはほとんどなかったという。それは、玉桂の屋敷に、危険をおかしてまで盗むものなどなかったからだ。たしかに金目のものはあるが、わざわざこのような辺鄙な場所にある、しかも主が玉桂という大物の妖怪である屋敷に忍び込んで盗るほどのものではない。もしも玉桂にバレることがあれば、確実に命を取られるだろう。

 だから、今日に限って侵入者が現れたということに、僕はひどく驚いた。



「いない、いないわ……! そんな人は、いません……!」

「嘘をつくな女狐めェ! いるだろう、とびっきりの上物の妖力を抱えたガキが!」

「いない、いないから……お願い、そこから先にはいかないで……!」

(――狙いはこの子か……!)



 侵入者の狙いを知った瞬間、僕は反射的に布団に身をくるんで部屋の隅っこへと移動した。侵入者の狙いは、僕が身籠っている子供だったのだ。僕の子は、僕と櫨のものを受け継いだ強力な妖力を持っている。それを餌とすれば、力を手にすることができるだろう。おそらく、過去の僕に恨みを抱いていた者が、どこからか僕が身籠りこの屋敷に籠城しているという情報を得たのだ。



「……っ」



 体もろくに動かせないこの体では、この子を守ることなどできやしない。そもそも、守るために戦ったりすれば、流産してしまう可能性もある。女性よりも安定しないこの体では、どんな衝撃で流産してしまうかわからない。

 侵入者がこの部屋に近づいてくる足音が聞こえてきた。狐たちが金切り声をあげて必死に侵入者を止めているのがわかる。絶望的な、地を這うような恐ろしい狐たちの声。泣いているのか、叫んでいるのか、わからない、そんな声に。僕は侵入者がこの部屋の前に来たのだと悟った。



「やめてぇぇぇぇ!!!!!!!!!!!」

「見つけたぜぇ〜吾亦紅ちゃん〜」



 ガラ、と勢いよくあけられた襖。そこに立っていたのは、鬼だった。過去に、僕が殺してきた鬼のような、そんな風貌をしていた。



「噂は本当だったんだなあ〜! あの月喰いが、人妻になったってのは! あ〜あ〜、ほんとだ、なんか色っぽくなったんじゃない? 吾亦紅ちゃん」

「……!」



 僕は座り込んだまま、体を纏う布団をぎゅっと握りしめ震えていた。助けに入ろうとした狐たちが、次々と殺されてゆく。

「どうしたよ、しおらしくなって。鬼神の如く暴れまわっていたおまえらしくないなあ。ああ、そうだそうだ、男が妊娠するとすっごい体に負担がかかるんだっけ?」

「……おまえ、……なにが目的だ、」

「わかっているでしょ? おまえの腹にいるガキだよ。そいつを食わせな。それを喰えば、オレはすっげえ力を得ることができる!」

「……、」



 誰も、救ってなどくれない。このまま座っていても、この子を喰われてしまう。

 守らねば。

 衝動的に僕は立ち上がった。そして、隠し持っていた短刀を構える。そうすれば鬼はぎょっとしたような顔をして一歩後ずさった。まともに僕とやりあえばかなわないと、それをわかっているのだろう。けれど。



「――っ……」

「おっと」



 僕は、戦うことなどできなかった。立ち上がった瞬間に強烈な眩暈に見舞われて、そのままふらりと倒れこんでしまったのだ。鬼が反射的に僕を前から抱き留めて、くっ、と息を吐き出すように嗤う。



「びっくりさせんなよ、まったく。今のおまえは、戦うことなんてできやしねえ。ただの腹にガキこさえた女なんだ」

「……、」

「しっかし……」



 短刀を落としてしまい、僕はもう、完全に戦う術を失った。ぞろぞろと部屋に入ってくる鬼たちが、僕を見ている。



「あの頃はわかんなかったが、おまえ……随分と別嬪じゃねえか。そこらへんの女よりもずっと、めんごいツラしているぜ」

「……放して」

「か〜! たまんねえなあ! 櫨の女になっちまったんだもんなあ、おまえ! あの気位の高いおまえがなあ、櫨の子を孕んだ! 興奮すんなあ!」

「あっ……」



 鬼たちが、僕を羽交い絞めにしてきた。そして着物を脱がせてくる。抵抗なんてして、乱暴なんてされたらお腹の子に衝撃を与えてしまう。僕は、抵抗することもできず、ただ唇を噛んで耐えることしか許されなかった。



「はあ、たまんねえ美人だな、おまえ……体も……いい体してる。むしゃぶりつきたくなるような、綺麗な肌だ。腹……ちょっと膨らんでるんだな。くく、本当に、おまえ……人妻なんだなあ」

「……あ、あの……ら、乱暴だけは……しないで、……ください……体に、あまり……衝撃を与えると……」

「ああ、そうだ、死なれたら困る。生きたまま喰いてえし」

「た、食べるのも、どうか……」

「あ〜でも参ったなあ、孕んだままのおまえと助平してえなあ、ああ、そうだ、じゃあこうしよう。おまえ、まずオレたちに口で奉仕しな。それから、オレがおまえの腹のガキを喰う。喰い終わったら、今度は下の口で奉仕。これでどうだ? 上の口で奉仕するくらいならガキが流れたりしねえだろ? 生きたまま喰えるし、おまえを犯せるし、最高だな!」

「……っ、」



 吐き気がした。悍ましいことをへらへらと笑いながら言う彼らに、反吐がでた。

 けれど、僕は抵抗できなかった。体も、動かせなかった。無理やり座らせられて、顔を、鬼の股間に押し付けられる。すでに熱をもったそれを布越しに感じ、涙が出てきた。



「……はぜ、……たすけて」



 口の中に無理やりそれを突っ込まれながら、僕は櫨と出逢った時のことを思い出していた。

 ほんの一瞬の、幸せだったんだ。僕に幸せになる資格などなかったのだろう。櫨とはぐくんだ愛も、櫨との間にできた大切な子も、一瞬で、消えてゆくのだ。

 うたかたの、夢だった。



「……はぜ、……はぜ……」







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