二十一
 冬がやってきた。地獄の冬は、現世と同じように気温が下がり雪も降る。人間たちが「地獄」と思っている閻魔大王の住んでいる屋敷の近辺は、常に業火が燃え盛っていて一年中温かいのだが、そこから離れた田舎はそうではない。現世と変わらず季節が存在し、暑いも寒いも存在する。

 僕は、冬が苦手だった。特に難しい理由はない。寒いから苦手なのだ。羽織だって持っていないし、草履も擦り切れていて足が雪でかじかんでしまう。



「夜は寒いがな、火は消さねばならぬ」

「……まあ、危ないからね」


 櫨と一緒に住むようになってから、初めての冬がやってきた。
櫨の家は、温かかった。囲炉裏もあって、羽織も布団もそろえてあった。僕はこんなにも温かい冬を迎えるのが初めてだったので、少しばかり感動してしまった。しかし、やはり夜になると寒い。火事を防ぐために囲炉裏の火は消さなければいけないから。櫨も息を白くしながら体を震わせて凍えていた。寝る準備をしながら、何度も何度も自分の肌をこすっている。


「なあ、吾亦紅。今夜は一緒に寝ないか」

「……はあ」

「同じ布団で寝よう。寒くて凍死してしまう」

「僕は慣れているから凍死しないけど」

「俺は慣れていないのだ。毎年、猫を連れ込んで暖をとっているのだが……うっかり猫を捕獲するのを忘れてしまった」

「僕は猫の代わりか」

「そういやな顔をしないで、なあ、頼む。吾亦紅」

「……はあ、にゃあとでも鳴けばいいか」


 普段、布団をふたつ用意して、別々に寝ている。しかし、その日は一緒に寝ることになってしまった。

 僕は、櫨と共に寝ることに抵抗を覚えてしまっていた。妙に恥ずかしくて、彼になるべく近づきたくない。

 櫨は、僕にとって初めて気を許した相手だった。一年近く一緒に過ごしていて、僕は自分でも驚くほどに櫨のことを受け入れていたのだ。こうして他人を受け入れるというのが初めてだった僕は、他人との距離の図り方がわからなかった。



「ちょっと……近くないか」

「隙間ができたら寒いだろう」

「僕のことを考えろ。おまえの寝返りに巻き込まれたら潰れるだろう」

「そうだろうか。猫を潰したことはないのだが……」

「とにかく、あんまり体を近づけるな……って、うわ」



 同じ布団にもぐると、櫨は僕を抱きしめてきた。僕よりもずっと大きな体をした櫨にこうして体を抱きしめられると、頭のなかが溶けそうになる。
今までの僕ならば、こんなにもデカい図体をした櫨に体を包まれるというこの状況に、危機を覚えていただろう。こうされてしまっては、どうしても力で負けてしまって抵抗できなくなるからだ。そう、今までの僕は、こんなことを許すわけがなかった。

 しかし、この時の僕はどうだろう。櫨に抱きしめられて、恐怖どころか安心感を覚えてしまっていたのだ。今までの自分と真逆の感情を持ってしまった自分自身の頭と体に、僕は戸惑いを覚えた。僕が僕でなくなっていくようだった。



「吾亦紅」

「はっ……? な、なんだよ」


 ぐ、と腰のあたりに巻き付く太い腕の感触を感じて、僕はどきりと胸が高鳴ったのを感じた。そして、櫨の大きな手のひらで頬を撫でられ――かあ、と顔が熱くなる。



「おまえは、やはり可愛い」

「……っ、ふん、僕はちゃんと猫らしくなれているか」

「そうだなあ……猫のように愛らしい。しかし……」



 ――櫨の言動に、違和感を覚えたのはいつ頃だろう。

 櫨は、僕に事あるごとに「綺麗」「可愛い」と言ってきた。男に言う言葉ではないから、櫨は僕のことを幼子のように見ているのかと思った。歳はそう変わらないだろうが、僕の体型が彼よりもずっと小さかったからだ。しかし、いつからかその言葉は子供に向けたものではないのではないか……そう感じ始めてきた。櫨に「美しい」と言われると、どき、と僕の胸が高鳴ったからだ。僕の体は、彼の声に溶け込んでいた、彼の体温に反応してしまったらしい。

 櫨は僕の頬に手のひらを添えながら、親指で僕の唇を撫でる。そこで、僕は今まで感じていた違和感の正体に、ようやく気付いた。
櫨は、僕に恋慕の感情を抱いていた。いつからだかはわからない。もしかしたら、出逢ったその瞬間からだったのかもしれない。他人からそんな感情を向けられたことのない僕は、無意識に戸惑い、そして違和感として受け取っていたのである。
僕は、焦った。自分の気持ちを整理できなかった。恋をしたことはなかったから、恋とはどういうものなのかわからない。けれど、櫨に唇を奪われそうになって、そのまま好きにされてしまいたいと思ってしまっている。

「俺は、猫にこんなことをしたいとは思わないぞ」

「あ、……」



 く、と顎を上に向けられて、無理やり目を合わさせられた。櫨と目が合った瞬間、星が散ったように目の前がちかちかとして、頭が真っ白になった。

 す、と唇を近づけられる。ばくん、と心臓が大きく跳ねて、僕は思わず櫨の口に手を当てて彼を拒絶してしまった。口吸いが未遂となった、そう気づいて僕は、はあー、と熱を冷ますように大きく息をつく。



「……だ、だめだ」

「なぜ」

「だめなものはだめなんだ……! ばか!」



 ごちゃごちゃとした、心の中。そんな状態で櫨に口吸いなどされたら、どうなってしまうのか。僕はそんな恐怖を覚えていたから、彼に唇を奪われずにすんでひどく安心した。もう、させてたまるかと、布団にもぐって彼の胸元へ顔をうずめる。




「吾亦紅……」



 心臓の鼓動がやむことなく、僕はやってくることのない睡魔を渇望した。はやく、眠ってしまいたい。もう、胸が苦しくて仕方ない。

 僕がじっとしていると、頭上で櫨がため息をついたのがわかった。あきらめてくれただろうか……そう思って一息ついていると、櫨が僕のうなじをすっと撫でてくる。



「本当に拒絶したいのなら、布団から逃げ出せばいいのに。なあ、吾亦紅」

「……え、……あっ、……ひ、」



 櫨の言葉は、ひどく、湿気を帯びていた。その声が僕の下腹部に響き、ぞくぞく、と体の芯が震える。

 次の瞬間、首筋にやわらかいものがあたって、ちゅ、と音が響いた。櫨は……僕の髪を掻き分けて、僕の首筋に口づけをしていたのである。



「はぜ……」



 僕は、櫨を突き飛ばせなかった。何度も何度も繰り返される口づけに、体を震わせていた。酔っていた。



「あっ……あっ……」

「……一目惚れだった。吾亦紅……」

「んっ……おかしな、ヤツだ……僕は、この容姿のせいで、蔑まれて、疎んじられてきたというのに……」

「ほかのヤツがそう思おうと関係ない。俺は、おまえが美しいと思う。好きだ、吾亦紅」

「〜〜っ、あぁっ……」



 かぷ、と櫨が僕の首にかみついて、そして強く肌を吸い上げてきた。熱く火照った肌は、ひどく敏感になっていた。僕はそれだけで、弓反りになりながら絶頂まで上り詰めてしまった。

 射精はなかったから、体が性的に達してしまったのかといえば、そうではないかもしれない。しかし、精神が完全に逝ってしまっていた。長年積み上げてきた、警戒心という岩の城壁を一気に崩されて、一気に侵入されて……僕の心は、激しく混乱していた。何も考えられなくなってしまった。

 櫨にしがみつくようにして、僕は呼吸を整えていた。櫨はそんな僕をあやすように優しく撫でて、そして子守歌のように囁いてきた。「可愛いよ」と。
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