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諦めてしまおうかな




 エントランス前の指紋認証。二十四時間居る警備員。誰にも合わないエレベーター。二段階のハイテクな玄関パス。高級マンションの要素を一から十まで詰め込んだような、重くて堅苦しいセキュリティ。安室さんの住むマンションはまさにその高級マンション≠セった。息がしづらくて仕方ない。

「僕の部屋を貸しますので、今日はそこで寝てください。部屋着なら余ってるものがあるのでそれを貸します」
「えっ、安室さんはどこで……」
「リビングのソファで寝ます」
「駄目ですよ! ここ安室さんの家なのに!」
「あ、じゃあ一緒に寝ます?」
「ばっ……! そうじゃなくて! 私が! ソファで!! 寝ます!!!」
「いてっ、あはは、冗談ですって! いたいいたい」

 全く痛そうな顔じゃないし、むしろ楽しそうに笑ってる安室さんはやっぱり意地が悪い。結局安室さんはソファで寝ることを頑として譲らず、私はふかふかのセミダブルのベッドで寝ることが決まってしまった。頑張れば私が三人並んで横になれるくらい広い。自分の部屋のベッドがシングルだから余計に広く感じる。

「お風呂沸かします? 今日はきっと疲れてるでしょうし、お湯に浸かりたいんじゃないですか?」
「いえ、シャワーで大丈夫です」
「あ、それ、遠慮してる顔ですね。ふふ、割と表情も読めるようになってきました」

 ご飯を作っている間に、と脱衣所に押し込まれる。「洗濯物はカゴの中に入れておいてくれて大丈夫ですけど、気になるようなら回しちゃってもいいですよ。洗剤類はそこの棚です。あとで昔来ていた小さめの着替えを探して持ってくるので、ごゆっくりどうぞ」と言うだけ言ってリビングに戻っていった安室さんの背中を見送る。人の家のお風呂。慣れない。友人の家に行ってもなかなか入る場所でもないから何となくそわそわしてしまって落ち着かない。

「……ひっろい……気持ちいい……」

 と思っていたのに、湯船に使ったらそんなものどっかに吹っ飛んでいった。広い、あったかい、落ち着く、綺麗。入浴剤を入れてくれたのか、ほんのり白く濁ったお湯からはカモミールの淡い香りが漂っていた。

「……気持ち悪いくらい親切なひと」

 ちゃぷん、とお湯の跳ねる音が浴室に響く。やっぱりイケメンだと何しても許されるのかな。いきなり家に泊まるとか普通じゃ考えられないのに、全然嫌な気持ちじゃない。

 ▽

 脱衣所の棚の上に、綺麗に畳まれたスウェットの上下が置かれていた。真っ黒で肌触りがものすごくいい。しかしサイズが大きすぎる、上はなんとか被さるように着れたけど、下のスウェット履いてしまったらとてもじゃないけど歩けそうにない。裾を折ってもすとんと足首まで落ちてきてしまう。こりゃダメだ。上のスウェットで下着は全然隠れているし、仕方ない。洗濯物は回してしまったし、安室さんに言って何か別のものを借りれないか聞けばいいか。
 脱衣所を出るとふわりといい匂いが鼻をくすぐった。匂いを辿るようにしてリビングの扉を開けると、気づいた安室さんが笑顔で振り返った。

「お風呂、ありがとうございました」
「……え? あの、下は?」
「あ、これ、サイズか大きくてずり落ちちゃって。変えとかあります?」
「……残念ながら、家にある一番小さなサイズのものです」
「ええー……まあ、仕方ないですよね。ここまでお世話になってるのに、流石に文句は言えないですから」
「いや、ちょっと待ってください、そのまま過ごす気ですか!?」
「うわっ! いきなり大きい声出さないでくださいよ!」

 安室さんはキッチンから出てくると私の手を引いて寝室へと向かった。ガタガタとクローゼットを漁る横でぽつんと置いてけぼりにされている私を他所に、安室さんは何かを見つけてそれを私に押し付ける。

「……? これは?」
「せめて上は大きいサイズを着てください。下が心許ないです」
「……安室さん、まさか高校生のガキに」
「ガキでも女性は女性です、僕はリビングに行っているので着替えたら来てください」

 視線を逸らしたまま早足に出ていった安室さんがおかしくなって吹き出す。渡されたのはグレーのスウェットだった。袖を通してみるとかなりでかい。確かに下は先程よりも安心感があるが、今度は肩がずり落ちてしまうではないか。しかし着替えたらリビングに戻って来いと言われている為、これで行くしかない。
 手のひら二つ分余った袖でなんとか肩口を抑えながらリビングに戻ると、私を見た安室さんが顔を伏せてテーブルに頭をぶつけた。

「えっ!? 今すごい音が、」
「あ、大丈夫です。気にしないでください。さ、ご飯にしましょうか」

 いや、おでこがものすごく赤くなってますけど……。わざとらしいくらいニッコリと笑いながらせかせか動き回る安室さんの後ろについて歩き回り、渡される皿や料理をテーブルまで運ぶ仕事に専念する。時々ガンゴン聞こえる音には振り返らないことにした。安室さんは頭がおかしくなってしまったのだろうか。

 安室さんお手製のご飯はめちゃめちゃ、ものすごく、最高に美味しかった。抜群の味付けのパラパラ炒飯、彩り華やかなサラダ、ふわふわとろとろの卵が入った春雨スープ。「簡単なものですみません」と眉を下げた安室さんに勢いよく頭を振る。ぺろりと平らげた私を見て安室さんはやけに嬉しそうに笑った。たまに安室さんはこうやって子供っぽく笑う。その顔を見るたびに胸の奥の方がくすぐったくて仕方ない。指を入れて掻き回せたらいいのに。そうしたらこのくすぐったさも一時的にどこかに行ってくれる。

 生乾きの私の髪を見て安室さんはドライヤーを持ってきてくれた。ヘアメイクさんがよく使ってるものと同じやつだった。つまり高くてイイやつ。マイナスイオンがどうとかネオなんとか〜と広告に出てる、ウン万もするドライヤーを安室さんが使ってるのか。確かに似合うけど、ちょっとだけ面白い。

「乾かしてくれるんですか?」
「いや、流石にそれはセクハラになりません? はい、コンセントここです」
「ちぇ」

 ごおおー、とドライヤーのスイッチを入れてしまえばテレビの音も聞こえない。数分もしないで腕を下ろした私に安室さんが近寄ってくる。

「どうしたんですか?」
「腕が疲れました。おっもい、私の家のドライヤーの倍くらい重いです。これが値段の重み……」
「馬鹿な事言ってないでくださいよ、もう……ほら、そこ座ってください」

 言われた通りソファの下にちょこんと膝を抱えて座ると安室さんがソファに腰を下ろす。勝手に髪が乾くって凄い贅沢。盗聴器とかより、そういうもっと便利なものを生み出せばいいのに。世界の科学者は前を見すぎである。もっと身近な便利さから手を伸ばすべきだ。

「安室さん、シャンプーも高いやつ使ってるんですね」
「そうですか? 貰い物なので」

 飄々と躱した安室さんの手によってさらさらになっていく髪が頬を撫でる。優しい手付きで髪を梳かれる度にうとうとと瞼が重くなってしまう。

「そうなんですか? でもいい匂い。いつもの安室さんの匂いってシャンプーだったんですね」
「……、もしかして眠いですか?」
「…………ちょっとだけ」
「ちょっとだけな割にものすごくラグがありましたけど」

 ドライヤーの風が冷たいものに切り替わったところで膝に回していた片手を安室さんのふくらはぎに回す。髪を梳く手が止まったけれど、眠気はもうすぐそこまできていた。重力に従って頭が横に傾く。とん、と手を回していた安室さんの足にぶつかったところで、瞼は完全に落ちた。