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そうやって全部後回し




 右足に少女一人分の体重が乗せられる。ドライヤーを切ればすうすうと静かな寝息が耳に届き、無防備すぎる少女を見つめて思わずため息が零れた。
 苗字名前。年齢からは考えられない大人びた顔や色気のある表情が売りの少女を街中の広告やコンビニに並ぶ雑誌で何度も見たことがある。

「──こんなに綺麗なひと、生まれて初めて見た」

 彼女の瞳がまんまるに開かれるその顔を、俺は初めて見たのだ。紙の中にいる彼女の瞳は伏せられていたり、流されていたりとどれも大人びたものばかりだった。その彼女が生まれたての赤ん坊のような目で俺を見て、綺麗だといった。

「安室さんって女の敵」
「そうじゃなくて! 私が! ソファで!! 寝ます!!!」
「うわっ! いきなり大きい声出さないでくださいよ」

 本当の彼女は今まで見てきた姿と全く違った。彼女はただのひとりの少女であり、そして誰よりも無邪気であった。たったの一度も撮られていない、歯を見せて笑う普通の女子高生の姿。それを見て、笑って、軽口を言って、また笑って。優越感を感じてしまったのだ、本当の彼女を目にすることの幸運さに。
 ドライヤーをソファに転がして、彼女をベッドに運ぶ為に立ち上がる。壁が無くなってふらりと横に倒れかけた彼女を抱え上げた。腕に触れる真っ白な足にぐずりと胸の奥が音を立てる。

「……下履いてないのに膝抱えたら下着が見えるだろ」

 男と二人きりなのに危機感が無い。こういう所も含めて幼いのだ。彼女は男≠何も知らない。文句を言いながらベッドにそうっと転がすと、むにゃむにゃと何かをうやむやに言い、また寝息を立て始めた。

「絆されるとか、」

 まさか、そんな。口だけで否定したって、心臓だけは正直だ。いつも使っているベッドに彼女の黒髪が広がり、彼女が好きだと言ったシャンプーの香りが鼻腔を擽った。
 今の俺に彼女は暖かくて眩しすぎた。出来ればそばにいて、熱を分けて欲しいと思ってしまうくらいには。

 ▽

 視線。視線。視線。黒いレンズが取り囲んでずっと私を見ている。目を閉じたって暗闇の中でさえそれは追いかけてくるように思う。気配がするのだ。どこにいたって逃げられない。どこにいたって見られている。家の中でさえ今じゃ地獄も同然。逃げる場所も隠れる場所もない。ひとりが不安で仕方ない。手が差し出される。カフェオレみたいな、骨ばった大きな手。両手で握って、離さないように、きっとその手は私を助けてくれる。

「……さむ、」

 手足が氷のように冷えている。目を覚ましても部屋の中は真っ暗だった。カーテンの向こうから差し込む太陽もない。数分もしないで目が暗闇に慣れたところで壁に時計がかかっているのに気が付く。午前二時。……朝には早すぎる、よなぁ。怖い夢を見た気がしてもう一度ひとりで眠る気分にはなれなかった。それに身体中が冷えてどうにかなりそう。布団にくるまっても全然温まらない。毛布を引き抜いて頭から被り、安室さんが寝ているだろうリビングに向かった。

「……あむろさん、安室さん」
「……? 名前さん……? どうかしました?」

 安室さんはすぐに起きて目を薄く開いた。かなり眠そうな様子に申し訳なくなってしまう。言い淀んでいると、安室さんがふと口元を緩めて私の頭に手を伸ばした。

「こわい夢でも見ましたか」
「……どうして分かったんですか?」
「そんな顔してました」

 優しく頭を撫でる安室さんの手に恥ずかしくなってその手を止めさせようと自分の重ねると、安室さんが突然目を開いてバッと身体を起こした。私の手を引いて自分の手のひらの中に閉じ込める。

「……冷たくないですか?」
「こわい夢を見たから寒くなりました」
「早くベッドに戻りましょう、ここじゃ余計に……」
「眠れないです」

 飛んだわがまま娘だ。安室さんも困ったように眉を下げている。

「分かりました、少し待っててください」

 そう言って安室さんは私の身体にぐるぐると自分が使っていた毛布や掛け布団を巻いてキッチンに向かった。

「確か牛乳も苦手なんでしたっけ?」
「はい。ていうか園子は一体どこまで話したんですか……」
「ふふ、園子さんは名前さんが大好きなんですね。色々なことを楽しそうに話してましたよ」

 笑われながら言われたって嬉しくない。むすっとわざとらしく拗ねた顔を毛布の中に半分埋める。あ、安室さんのシャンプーの匂い。少ししてから湯気の立ち上るココアとコーヒーを持ってきた安室さんが私の横に座った。

「じゃあ、暇つぶしにお話でもしますか」
「相手してくれるんですか?」
「ひとりで話は出来ないでしょう。ただのひとり言ですよ、それ」
「……じゃあお願いします」

 言いながら毛布と掛け布団を半分安室さんに譲る。全部使ってもいいですよ、と安室さんは一度断ったが、こんなぐるぐる巻きじゃろくにソファに腰掛けることもできない。

「どんな夢を見たんですか?」
「んー、夢ってすぐ忘れちゃうから詳しくは分かりません。でも、視線が……」
「……視線が?」
「視線とか、カメラとか、そんなの別に今更なのに。夢の中の私はやけに怖がってて、それが移っちゃったのかも」

 ココアのカップを手に取る。熱が広がって手のひらをじわりと温めてくれた。

「他に怖かったことは?」
「あとは……ひとりが、不安で。わかってたんです、安室さんは優しいから、起こしたらきっとこうして時間潰しに付き合ってくれるって。ごめんなさい」
「名前さんは変なところで気を遣いますよね」

 安室さんはマグカップを私の手から抜き取ってテーブルに置いた。手持ち無沙汰に宙に浮いていた私の手に触れた安室さんが、暗闇の中でもはっきり分かるくらい優しく笑った。

「よかった、温かくなりましたね」
「……はい」

 毒されている。安室さんの、花の蜜のような優しさに。意地悪をしたり、大人気なかったりする中でたまにみせるこういった優しさに揺らいでしまう。やっぱり大人はずるい。自分の幼さを知らしめられているみたいだ。
 別に言葉や結論を今ここで決めなくたっていい。好きも嫌いも、大好きも、愛しいも、後になって変わるならそれはそれだ。感情はいつだって目紛しい。十代の青春なら尚更だ。