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世界が変わる音がする




 濡れ烏の羽にブラックコーヒーをほんの少しだけ垂らしたような、近寄りがたい色のドレスが足元でひらりひらりと自由気ままに泳いでいた。



 インタビューの一件で、苗字名前のイメージは大人っぽい≠ゥら年相応の甘さ≠ヨと少しずつ増え始めていた中、そのCMは新しく根付いた甘いイメージを払拭するかのように、過去の苗字名前をそのまま引っ張り出したような、年不相応≠ネものだった。

「これが、俺が名前ちゃんと作りたかった作品だよ。君の魅力の全てを詰め込んだ、最高のシリーズだ」

 出来上がった映像を見て満足気に鼻を鳴らす監督の横で、立ち尽くしたまま食い入るようにそれを見ていた。私が思っていた自分は、こんなに色々な表情を持っていなかった。

「ここ最近の君の感情の変化が凄まじいんだ。引くほど良いタイミングにこの撮影が重なって本当にラッキーだよ」

 浮かんでは消える、艶やかな沢山の出来事。自分を作り上げるものは何気ない日常なんだと、痛いほどに思い知らされてしまう。


 ▽


 ──濡れ烏の羽にブラックコーヒーをほんの少しだけ垂らしたような、近寄りがたい色のドレスが足元でひらりひらりと自由気ままに泳いでいた。そのドレスの裾にしなやかな指が触れ、そのままカメラは指を追っていく。
 指で摘んだビターチョコレートが、テーブルの上にひとつだけ用意された真っ白なマグカップの中に落とされた。一瞬、画面に映った彼女の目元が、宝物を見つめるように細められる。
 カップの底に沈んだチョコレートがブラックコーヒーの表面にぷかりと浮かび、ゆっくりと甘やかに溶けていく。赤い唇がカップに触れる直前、柔らかく弧を描いた。
 音はなかった。しかし、何かを紡いでいる。繰り返し見ることも出来ないまま映像は進み、赤い唇が最後にもう一度いじらしく笑う。真っ白なカップが画面いっぱいに映り、CMはそこで終わった。

最後、名前ちゃんなんて言ってるの!?
途中で一瞬目が移るところがめちゃくちゃ美しい……
駄目だ、何回巻き戻してもわっかんない!
最後、好きって言ってない? 気のせい?

 SNSで様々な考察がされる中、その空白の台詞は一週間後に大きく答え合わせがされた。
 都内各駅の地下通路の広告。ビルに張り出された広告。ありとあらゆる場所で、三種類のチョコレートと共に、赤い唇が人々に問いかける。

どのわたしが好き?

 監督は、どこまでも人の感情の深くを見抜いてしまう。

「全部はまだ無理だけど……少しずつモデルの苗字名前じゃなくて、私を見てくれたらいいなって思えるようになったんです」

 大人っぽい私なんて、とうに見飽きたでしょう。画面の中の自分と同じ顔が、子どもみたいにはしゃいだり、大人みたいに黄昏たり、それから、本当の私みたいに笑ったりする。
 ほんの少し前までは考えてもみなかったこと。私は、もっと本当の自分を見てもらいたい。

 世界が、変わる音がする。