ダイヤモンドのささくれ
高専五条と婚約者 ※これの続き
愚直で無知な子供でいられた頃のわたしは、結婚は幸せになる為にするものなのだと思っていた。絵本の中の王子様とお姫様はいつも決まってハッピーエンドで締め括られていたから。きっといつかわたしのところにも王子様が迎えにきてくれるのだと信じて疑わなかった。だから五条家で初めて“さとるくん”と顔を合わせたあの日、透き通った水縹色の瞳はまるで絵本の王子様みたいで、気付けば彼に恋をしてしまっていた。
でも突き付けられた現実は残酷だった。互いの家を繁栄させる為だけの無機質な婚約で、わたしはお姫様とは程遠いただの道具に過ぎないのだと、じっとりと時間をかけて思い知らされた。彼の言葉ひとつで傷付いて削り落とされていく軟な心は必要ないと、決別するように彼の呼び方を“五条くん”へと変えたのもその頃からだった。
それなのに、傑くんとの共同任務の帰り道に見慣れた白が視界の端を通ったような気がして、つい目で追ってしまった。それを捉えた瞬間、傑くんが珍しく焦ったように何かを言っている声も賑やかな街の音も、自分の呼吸音すら、何も聞こえなくなった。
五条くんが笑っていた。見知らぬ綺麗な女の子と腕を組みながら、わたしには決して向けられることのないそんな優しい笑顔を彼女には向けていた。
胸の奥で何かが粉々に砕ける音がして、それが捨て切れなかったなけなしの恋心だったのだと気付いてしまった。目の前の光景が眩しくて目が眩んで、潰れてしまいそうになるのを堪えてその場から逃げ出した。でももう手遅れだった。一度あんなものを見てしまえば、わたしと彼の関係は悲惨なんだってことが分かってしまったから。
だから最後くらい綺麗に全部終わせようとしたのに、どうしてなの。
「名前ッ!」
どうして彼がわたしの名前を叫びながら追い掛けてくるのか分からない。掴まれた腕から伝わってくる熱が目の縁に溜まって床に転がり落ちていく理由も、何も分からなかった。
「……離して」
「嫌だ。離したらお前逃げるだろ」
「逃げて、何が悪いのよ……」
あんなものを見せつけられさえしなければ、未練がましく期待していた自分に気付かずに済んだのに。わたしが渇望していたものを当たり前のように享受するあの子にここまで激しく嫉妬することもなかったのに。いつまでも五条くんに透明な恋心を抱いていられたのに。
「嫌い、きらい、五条くんなんか、だいっきらい」
振り向いて彼にいくら吐き出しても、砕け散った残骸から漏れ出るぐちゃぐちゃになった感情が喉に迫り上がってきて気持ち悪さは消えてくれない。
「ごめん。それでも、手離してやれないくらい名前が好きなんだ」
そう言ってそっとわたしの目元を指で拭う水縹色の瞳は、海のようにゆらゆらと揺れて静かに頬を伝っていった。やめてよ、何で五条くんが傷付いたような顔をするの。泣いたりなんかしないで。わたしをズタズタにしてきたその口で、今更愛の言葉を吐露しないで。
「俺のこと許さなくていいから。だから、また俺の名前を呼んで……俺のそばにいて」
強く引き寄せられて唇が重なり合うと、また涙が零れた。ああ、どうしようもなくあの子が羨ましい。もう呪いのような思いしか紡げないわたしは、やっぱり絵本の中のお姫様になんてなれないのだ。