クリームソーダの暴力

高専五条と婚約者 ※五条がちょっと最低



「悟、さすがにやり過ぎだ」
「ハァ?いきなり何の話だよ」
「名前のことに決まっているだろう」

 教室の席に着くや否や開口一番のそれに、携帯を弄る手はそのままに顔を顰める。それは俺の一番嫌いな名前だ。
 幼少期に初めて名前と顔合わせしたときから、俺の中を正体不明の何かが倦むことなく波立ち騒いで、それがどうしようもなく気に食わなかった。あるとき、俺の些細な言葉や行動で涙を流す名前を見ると、それが少し大人しくなって高揚感に満たされることに気が付いた。
 それからは、会うたびにその反応を引き出す為に色々なことをしてきたが、次第にそれは鳴りを潜め、今では俺だけ苗字呼びで目すら合わせない名前に対して、あの不快感だけが残るようになった。

「昨日、他校の女子と腕を組んで歩いてたろ」
「ああ、あれ俺の彼女。てか何で傑がそれ知ってんの」
「昨日偶然見かけたんだ」
「へぇー」
「そのとき名前もいたんだよ」

 携帯から顔を上げて、俺を批難するような表情の傑を睨み付ける。

「あ?何で傑とアイツが一緒にいた訳?」
「同じ任務の帰りだっただけだ」
「あっそ」

 携帯へと視線を戻そうとしたが、それは傑の手によって遮られる。まだ話は終わってないとでも言いたげな顔に舌打ちが零れる。先程からざわざわとした気持ちが内側を逆撫でしてきて煩わしくて仕方がない。

「名前はお前の婚約者だろう」
「家同士が勝手に決めただけのな。俺はアイツのことこれっぽっちも好きじゃねーし」
「……いい加減にしないと取り返しがつかなくなるぞ」
「やけにあいつのこと気に掛けるじゃん。何、もしかしてお前アイツのこと好きだったりすんの?うっわ、趣味わりー」
「そうじゃないだろ……」

 呆れ顔で溜息をつきながら頭を押さえていた傑が、ふと俺の後ろを見て瞠目した。怪訝に思いながらその視線を辿ると、そこには今まで話の種になっていた名前が佇んでいて思わず息を呑む。
 教室の扉の前で微動だにせず、こちらを見つめる瞳は今まで一度も見たことがない色をしていた。そこから何故か目を離せずにいたが、名前が少し目を伏せた動作で我に返る。

「きっしょ、盗み聞きかよ」
「悟!……名前、さっきのは悟が勢いで言っただけで本心じゃ、」
「いいよ傑くん、気にしないで」

 そう吐き捨ててやっても、名前は意に介さず傑へと笑いかけた。それが酷く癇に障って口を開きかけた瞬間、また名前と目が合う。

「五条くんはもう婚約者じゃないから」
「……は?」
「昨日お父さんにお願いして、婚約解消してもらったの」

 だからもうわたしには関係ないことだよ、呆然としている俺を余所に、場違いな微笑みを浮かべてから名前は踵を返して廊下へと消えていった。それは明らかな拒絶を孕んでいた。
 それを頭で理解した瞬間、訳の分からない重さがずっしりと胸にのしかかってきて、息が詰まる。服の上から強く抑えつけても一向に消える気配がなかった。それどころか、耳障りなくらい激しい音を鳴らす心臓を押し潰す勢いで重みを増していく。
 何だこれ、何でこんなに苦しいんだ。嫌いなやつと婚約破棄できたんだ、普通清々するはずだろ。嫌いなやつに嫌われただけ、ただそれだけなのに。何であいつに突き放されて、こんなに傷付いてんだよ。

《 さとるくん 》

 頭の奥で初めて会ったときの幼い名前が俺に向かって顔を綻ばせた。直後に、どうしようもない切なさに胸が突き上げられる。ああ、そうか、俺は最初から名前のことがどうしようもないくらいに――

「悟、今追いかけないと後悔するよ」

 全てを聞き終わる前に俺の身体は名前が去っていった方向に走り出していた。本当に世話が焼けるね、なんて大人ぶった溜息はもう俺の耳には届かなかった。