越前くんとバレンタイン


この学校は、多分おかしい。
下駄箱に溢れかえるチョコの香り、廊下に響く黄色い女子の悲鳴、紙袋に詰め込まれたラッピング済みのお菓子、それを持って教室へ消えるラケットバッグを背負った3年生。
そう、うちの学校のテニス部レギュラー陣はあり得ないほどモテて、今までに見たことのないチョコレートの数を紙袋に詰め、颯爽と歩いている。
おそらく、紙袋は自前だ。モテる男というのは恐ろしい。きっと1年の頃からそうだったんだろう。
青春学園、略して青学に入学して初めてのバレンタインにとんでもない光景を見てしまった。

「おはよーなまえ、下駄箱に突っ立ってどうしたの?」
「今不二先輩が大量のチョコが詰まった紙袋5つくらい抱えて教室向かった」
「マジで?寝ぼけてんじゃないの?って言いたいところだけど、不二先輩だしなぁ」
「幻なら良かったのに」

バレンタインの話題はあまり口にしないつもりでいたのに今朝の不二先輩を見てしまっては、もう今日1日はチョコの話が大半を占めてしまうんだろうなとすでに口の中が塩分を求めていた。
教室へ向かうとここにも一名、不二先輩に負けず劣らずの男を発見。まぁ、ファンクラブがありますし…そうなるか…本人はすごいため息をついて机の周りに集まる女の子を適当にあしらっている。リョーマくん、こういうの嫌いそうだもんなあ。
予鈴がなり名残惜しそうに女の子が去れば、机の上に山積みになったチョコが現れた。女の子がいなくなったことにより、私はようやく席に座れた。そう、隣なのだ、リョーマくんは。

「おはようリョーマくん。朝から大変だね」
「ホンッット最悪。日本のバレンタインってなんなの?今日の授業どうすればいいわけ」

かなりキテいるらしく、ポケットに手を突っ込んでペン1本置けない机の上を睨んでいる。
あぁそういえばカバンの中にトートバッグが…何か大きなものを持ち帰ることがあるかもしれないといつも忍ばせているトートバッグの大きさを頭に浮かべながらカバンから取り出し広げると、マチもあり深さもあるので入れ方次第では机の上はなんとかなるだろう。

「リョーマくんとりあえずこれ使って」

不機嫌な顔で私を見ると、ほんの少し表情を緩めてトートバッグを受け取った。

「サンキュ」
「そろそろSHRで先生も来ちゃうし、なんなら手伝うけど」
「じゃあお願い」

話を聞いていた前の席の男子もたまたま持っていたらしい紙袋を差し出してくれて(後に聞いた話だけど実はチョコを期待して持って来たけどあまりにももらえる雰囲気じゃなかったのでリョーマくんに差し出したらしい)、3人がかりでチョコをしまった。リョーマくんの席の横にはパンパンになった私のトートバッグと、トートバッグよりは多少の余裕がある紙袋が掛けられている。不二先輩はあの紙袋どうしてるんだろう。
いつもより甘い匂いがする教室でする授業はなんだかカフェのようで、各授業先生の開口一番は「越前は人気者だな」だった。
その度にリョーマくんはため息をこぼし、いつものようにたまに居眠りをしていた。

昼休み、朝話しかけてきた友達とお昼を広げる。私の席の前に座った彼女はリョーマくんの机横を見て「やっぱこの学校おかしいわ」と呟いた。

「ところでさ、ずっと思ってたけど越前ってあんたとだと結構喋るよね」
「そうかな、普通じゃない?」
「いやいや絶対口数増えてる。テニス部の人以外とあんなに喋ってるの聞いたことないよ」
「気のせいだよ」
「で、越前にチョコは?」

ゲホッとサンドイッチの卵が喉で暴れた。変なところに入り込んだせいで咳が止まらずお茶を流し込んで呼吸を整える。

「な、何言ってるの。ないよそんなの」
「嘘だね。あんた教室入った時すごい顔してたんだから」
「すごい顔って?」
「私がチョコあげたら迷惑かなって顔」

図星だった。実はあるのだ、私も。
トートバッグを忍ばせていたカバンに、リョーマくん宛の本命クッキーが。
チョコだとくどいかなと思ってチョコで装飾をしたバタークッキーが入っている。

「リョーマくん戻ってきちゃうからこの話はやめよ。不二先輩あのチョコの山教室のどこに置いてるんだろうね」
「あー話逸らした。でも確かに隣がこれだから、不二先輩どうしてるのかちょっと気になるよね」

ロッカーの中に頑張ってしまっただとか、机の横に掛けてあるとか、教室の片隅にチョコ置き場が設けられてるだとか好き勝手話していると予鈴が鳴ったので友達は席に戻っていった。ちゃんと渡しなさいよと言い残して。余計なお世話だ。山積みのチョコを睨みつけているような相手にチョコを渡せる勇気はない。

「みょうじも誰かにあげるんだ」
「あー、いや、あげないかな」
「なんで?」
「その人、いっぱいもらって困ってるみたいだから、これ以上数増やすの申し訳ないかなって」
「ふーん」

ふーんって、リョーマくんから聞いたくせに。ちなみに少し余裕のあった紙袋もパンパンになり、更には紙袋が1つ追加されていた。昼の間に捕まったらしい。ますますあげられないな、これ。


放課後、教室にやってきた2年の桃城先輩に紙袋を2つ押し付けたリョーマくんは、桃城先輩に蹴られながら部活に向かった。
部活動ガチ勢が勢いよく教室を出て行き、喧騒が外へと逃げて行く。ざわめきが遠のくこの感じ、結構好きなんだよね。
友達を待つために宿題を広げ、ペンを動かす。今日は私の部活はお休みだから、暇なのだ。かといって早く帰るより友達と話しながら帰りたいし、学校で宿題を済ませて、家でゆっくりしようと思う。
しかしこういう日に限って得意科目の国語のワークはサラサラと解けてしまい、あっけなく範囲が終わってしまった。仕方ない。友達の部活覗きに行こうかな。
カバンにワークを仕舞おうとチャックを開けるとトリコロールカラーでラッピングしたチョコが主張するかのように現れた。これ、結局どうしようか。
昼間の友達の発言がリフレインする。

「ちゃんと渡しなさいよ」

「……クッキーだし、1日くらいなら大丈夫かな」

青学ジャージをイメージしたラッピングが実は気に入っているから、できれば渡したい気持ちが強い。クッキーの味も、まぁ不味くはない、と思う。味見もしたし、家族にも食べてもらったし。
果たしてあの量を貰ったリョーマくんが、貰ったものを全部食べるのか、はたまた勢いよく捨てるのか、手作りだけ排除して既製品は食べるのか…ぐるぐる思考を巡らせ誰もいない教室で一人頭を抱える。
あーもう、当たって砕けろ。直接渡さなくていいから机の中にでも入れておこう。
教科書が数冊入れてあるままの机の中にそっとクッキーの袋を入れ、教室を出た。

外に出るために下駄箱へ向かう廊下で後ろから足音が聞こえた。少し駆け足で急いでいるんだなと端に寄ったらその足音は私に影を作って同じテンポに変わる。
驚いて隣を見ると、青学ジャージに身を包んだ帽子姿のリョーマくんがいた。

「あれ、リョーマくん部活行ったんじゃないの?」
「忘れ物。あのさ、黙って置いてくことないんじゃない?」
「え?」
「バレないとでも思った?これ、みょうじからのでしょ」

手には私がさっき机の中に入れたはずのトリコロールの袋がしっかりと握られていて目を見開く。なんで、だって、何も言ってないのに。

「どうして私からだと思うの?」
「 なんとなく。で、違うの?」
「ち、がうかな」
「嘘だね。まぁ俺も嘘ついたけど。みょうじがカバン貸してくれた時見えたから確信持って聞いた」

それって朝からバレてたってことじゃん!てことは昼間の問いは確信して…してやられた。

「あー、はい。私からです。ごめんね。迷惑かなって思ったんだけどラッピング気に入ってて…」
「…別に、謝ることないんじゃない。テニス部の誰にあげるのか気になってたけど、俺以外じゃなくてよかった」
「…え?」


「あんたにはホワイトデー返すから、楽しみにしててよね。これ、サンキュ」


そんなのずるい。


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