ドアを開けると、寝てるはずの妹と思いっきり目が合った。「起きてんじゃん」何を考えるより先に言葉が出る。
ぱちくりと目を丸くしてから、夏雄くん、と呟いた燐子の姿は、前に見たときよりも小さくて幼く、随分と頼りなさそうに見えた。胸のモヤつきを感じながら、どこか緊張した心持ちになって、後ろ手でドアを閉める。
「……夏雄くん背のびたね」
ずっこけた。
「……目覚め一番、親戚のおじさんみたいなこと言うなよ」
「そこはおばさんと言ってほしいよ」
「それでいいのか女子高生」
身構えていた自分が馬鹿みたいに、スラスラと言葉が出てきたことにホッとしつつ、室内へ入る。開けた瞬間に目が合うってことは、もしかしてずーっと入口の方を見ていたのだろうか。というか全身大ケガのこの有様で、よく身体起こせたなと思いながら、ベッドの脇に備えてあるパイプ椅子へ腰を下ろした。あれ、微妙に温い。
「誰か来たん?」
「起きたら先生いたよ」
「先生……ああ、担任の」
眼力だけで敵倒せそうな感じの。ゆうべ着いた時もいたけどまた来てたのか。初めて会った時の顔のコワさを思い出してそう続ける。でもすごい深々と頭を下げてたな。そういえば水持ってんじゃん。冷蔵庫に入れてあったのに。まだそんなに動けないだろうから、渡してくれたのか。
「普段はそんなに怖くないんだよ……、どちらかというと、気だるげな感じがデフォルトだよ」
「そうなのか……?まあ、状況が状況だしな」
「目がやばいっていうのはあながち間違いでもないけど」
「目からビームでも出んの?」
「夏雄くんって発想が結構小学生男子」大学生の兄を捕まえて聞き捨てならないことを呟く燐子の額に軽く制裁を加える。頭部の負傷はこめかみの部分だと担当医が言っていたから傷に障りはしないだろう。加えて包帯の上だ。いっそ優しくしている方ですらある。
「医者は来てない?看護師とか」
「来てないと思う」
「じゃあ呼ぶか……よっと」
「あっソレもしかして……ナースコールってやつ?呼ぶアレ?」
「そのアレだよ」
「押したい押したい押させて〜」
「お前が小学生女子かって……オイ跳ねんな」ナースコールを求めて尻を軸に弾みだしたので、慌てて肩を抑えにかかる。よく分からんところで急にテンションを上げないでくれ。熱のせいもあるかもしれない。どうどうと宥めて、持っている呼出しボタンを握らせようとした時だった。
コンコン、とノックの音がする。
明け方に実家へ帰した姉ちゃんと焦凍だろうか?それとも看護師さん?でもすぐ名乗るか開けるかするよな、と不思議に思いながら立ち上がる。とりあえずボタンはおあずけだ。
「ハイ」返事をしながら、重めの扉を横へ引くと、徐々に姿を現したのは――
「私が――来た――!!!」
声デッッッカ。

「あの、どうぞ椅子を……」
「ああ結構です。話を聞いたら、すぐ出ますので」
一脚分、新たに開こうとした椅子を軽く手で制したのは、刑事さんだ。急にすみません、とオールマイトの背中から出てきて、警察手帳を見せてくれていた。来客が立ったままというのも多少気になるけれど、捜査で忙しいのだろう、少しお話だけ、と言いながら現れた二人からなんとなく距離を置いて、話の邪魔にならないようにしておく。
「ついさっき目覚めたって相澤くんに聞いてね。ちょうど病院にいたので来ちゃったのさ!具合はどうかな、轟少女」
厚がスゲエ。そしてやっぱ一人だけ画風が違う。生で初めて見た。特別にヒーローやこの人のファンなワケでもないつもりだけど、実際に目にすると、なんかこう、変な感動があるもんだ。ヒーローの頂点みたいな存在だから、みんなそうかもしれないけど。ただ、アイツが執着する人だと思うと、しこりのようなモンが胸に残るだけで。
「具合はすこぶる快方へ向かってます……と言いたいところですが、寝起きなので、なんともです。先生はいつもよりお肌の調子がよさそうですね」
「情けないことに、昨夜は半身浴に興じていてね……」
「そんなに落ち込まないでくださいな。良いことですよ、半身浴は」
「そろそろいいかな、オールマイト」
「あっゴメン……」
「目覚めたところを急ですまないが、きみの話を聞かせてほしい」
ヒリつく空気を背に、持って来た荷物を片す。この場に一応身内とはいえ俺がいても大丈夫なのだろうか、と思うようなムードの中、事情聴取のような聴き取りが始まった。特に出て行けとも言われていないし別に気にすることないかもしれないけど。なるべく会話の内容は耳に入らないようにしておく。
そうだ、姉ちゃんに連絡しておかないと。スマホを取り出す。トークアプリから姉とのトークを呼び出して、文字を入力する。
燐子起きたよ。
具合どう?熱下がった?話できるの?
既読早!
「というわけで、ちょっと距離をとって上空から森を眺めるような形で――」
めちゃくちゃ喋るよ。いま警察の人来てて熱計れてない。
そっかあ。帰られてから、電話してもいいかな?
個室だし大丈夫でしょ。多分熱はまだあるかな。頬が赤い。
やっぱり私も行っていいかな?
いや駄目だよ、さっき帰ったところじゃん。
でもだってさあ。
「少ししてから、マンダレイのテレパスで戦闘許可が出て――」
アイツと焦凍、家に二人にさせらんないでしょ。
焦凍、病院行くって出て行っちゃったんだよ……私も行きたかったのに……。
そうなの?まだ会ってないな。
もう着いててもいい頃だけどな。先にクラスの子の方に行ってるのかも。
つーか意外と行動派だな……。
頑固だよねえ。在宅仕事さえなかったら、一緒に出られたのに。
コッチは大丈夫だって。
心配が無限大だな。今や家族の半数がヒーロー業(候補生を含む)を占める轟家だ。姉ちゃんの心配はこれからも続くだろう果てしなく。
焦凍も前に入院したっていうしなあ。
「――と、わたしの方はこんな感じです」
「なるほど……では、今回遭遇したのは拘束した脳無だけだったというワケだね。ところで、敵の一人に、同年代の女子がいて、きみに会いたがっている様子だったという証言が出ているんだが……」
「わたしに?ですか?敵が?」
「金髪をこう……二つにお団子にした髪型で、セーラー服を着ていたらしい。ちょうど警察も行方を追っている少女だ。聞き覚えはあるかな?渡我被身子という名前なんだけど……」
「トガヒミコ……?」
ちょっと肌寒いな。エアコンの温度を少し上げる。合宿に持って行ったものだと渡されていた#name#のキャリーケースからタオルを出しておく。どうでもいいけど女子のカバンって本当に色んなモン入ってんなあ。なんでカバンの中にカバンが入ってるんだ?ポーチ多いし。なんて思いながら目的のものを取り出した。
「聞き覚えがあるような、ないような……。会ったことがある子なら、覚えているはずなんですけどね……、うーん……」
「いや、分からないなら、いいんだ。会敵した女の子達の証言を聞く感じだと、個性の因果か血に執着をもつ性格のようだから、きみの容姿が関係している可能性もあるし、あとはこちらで調べてみることにするよ。一応、思い出したら教えてほしい」
刑事さんが、メモを取り終えて手帳を閉じる。燐子は「お願いします」と軽く頭を下げた。
「あの、わたしも少し聞きたいんですけど」
「うん?何だろう」
「バクゴーくんは、結局攫われてしまったんですね?」
「イレイザーから、聞いてないのかい?」
「少しだけ話はしましたが……お互いに、余裕がなくて。みんなの様子までは聞けてませんでした」
「そうか……。ああ、そうなんだ。警察が今、行方を追っている。幸い、有力な情報があるからね。居場所はじきに特定できるだろう」
「よろしくお願いします。できれば早めに、迎えに行ってあげてください……バクゴーくんが、暴れ出さないうちに」
「その可能性は大いにあるね!」
「好戦的な性格のようだね……」
「攫われたのは、かれ一人ですか?他に大怪我をしたり、していませんか?トガ?さんに、会ったっていう子は?」
「ラグドールが彼と同じく行方不明だ」
「君と同じく入院中の子が八百万少女と緑谷少年だ。そして敵の毒ガスにやられて、耳郎少女と葉隠少女が眠っている。他の子達は負傷している子もいるが、元気だよ。もう自宅へ帰している」
「そうですか……」
想像していた以上の被害に驚く。
よく焦凍は無傷で帰れたもんだな……。
「すみません、把握しました。ありがとうございます」友達もまた多く傷付いたことを知って、少なからずショックを受けたのだろう。沈んだ声で頭を下げる燐子。二人もまたお辞儀をして、挨拶もそこそこに、多忙の真っただ中であるので、退室することとなった。見送りのできない燐子に代わって出口までついていく。廊下に出たところで軽く挨拶をして、彼らはこの病棟の出口の方へ向かって歩いて行った。

一度はおおよそ調子を取り戻していそうに見えた燐子だったが、昼過ぎの来客以降は高熱の波が再び襲ってきたようで、その日は終始寝込むことになる。見送りついでにさっき押せなかったナースコールのことを思い出して、ナースステーションまで歩いて様子を伝えたところ、看護師が器具をもって見に来てくれた。病室へ戻ると、既に苦しそうな呼吸で、ベッドに横たわっていた。たった数十秒で、気絶するように眠っている。事情聴取の間、我慢していたんだろうか。医師も来て診察をして、点滴を変えてくれたけど、燐子の場合は敵と戦闘したときに用いた熱が原因で血液の濃度が高まっているらしく、生理的食塩水を体内へ入れることで調整すると聞いていた。発熱のせいで、汗もどんどんかくから、経口補水できない場合は点滴が合理的だ。風邪の一つもひくことがなく、病院にはまるで縁のなかった燐子にとっては、間違いなく過去最大級のケガだろう。話してるときは、あんまり痛そうにはしてなかったけど、それが痛みを感じなかったからなのか、痛がる姿を身内にさえ見せたくなかったからなのか、俺にはわからなかった。
燐子が寝落ちてから三十分ほど経って、焦凍がやって来た。隣には赤い髪の男子がいて、同じクラスの切島くんというのだと紹介してくれた。やっぱり先に別の病室へ行っていたらしい。八百万という女の子が目を覚ましたのだと。オールマイトが言っていた子の一人だ。燐子もさっきまでは起きていたのだと説明すると、二人ともひとまずはと安心したようだった。それでも、拭っても拭っても玉のように汗が浮き出てくる様子を見て、深刻そうな表情を落とす。少ししても起きる気配はなかったので、切島くんにありがとうと、焦凍に姉ちゃんの心配を刺激しないようにやんわりと様子を伝えといてくれと頼んでおいた。頼んでおいてなんだけど、焦凍にそんなことができるのかどうかは定かじゃない。二人が出て行ってから、姉ちゃんに燐子と会話ができそうにない旨、伝えるのを忘れていて、慌ててスマホを見ると待ちぼうけていた姉ちゃんからたくさんの着信が来ていた。当然、とても怒られることになる。
しばらくして、担当医と一緒に小さなお婆さんが入ってきた。彼女はリカバリーガールといって、雄英で養護教諭を務めているらしい。治癒の個性持ちで、雄英だけじゃなく全国の病院を回って治療活動を行うのだとか。今回は雄英生の負傷者も多かったので、早々に来てくれたらしい。
「全く、この子はこんな無茶する子じゃないと思ってたけどね」
とても怒っていた。けど、悲しそうでもあった。そんな様子で唇をニュッと突き出して、捲った右足と両腕にくっつけたと思うと、包帯外していいよと言われて医師がほどいていく。その他打ち身や細かな傷は自然治癒を待つのだという。治癒力が向上しているので、さほど時間はかからないだろうと言っていた。傷跡も残らないと言われてホッとする。その代わり体力が削られているので、もう少し寝込むだろう。と言い残して、プンプンしながら出て行った。頭を下げてそれを見送る。
夕方になった。青空が夕日で赤く染まって、赤と青のグラデーションが綺麗に窓から見える。その分西日が入ってくるけど、ベッドに直射ではないし、この病室はエアコンの効きが結構良いようなのでそのままにしておく。それでなくても大量に汗をかいているのだ。様子を見つつ、汗を拭いて、適度に連絡を入れて、空いた時間は必修教科の予習をしたり、秋学期の授業を組んだりすることに費やしていた。履修登録まではまだ時間があるけど、定期試験も終わって、大方成績の算段もついているから計算には困らない。ひと月以上もある夏休みは始まったばっかりだ。……まさか、こんなスタートを切るなんて予想だにしてなかったけど。夕方の検診を終えた頃、控えめなノックで入ってきたのはえらく美人の女の子だった。額に大きな絆創膏が貼られている。神妙な顔で、八百万と名乗ったので、さっき来た二人が言っていた子だとわかった。同じ病院へ運ばれて、目が覚め診察でも異常がなかったのでこのまま退院することになったので、様子見と挨拶に来たのだという。話し方までとても丁寧な子だった。気遣わし気に燐子に視線を落として、毛布から出ていた手をそっと掬い上げ、祈るように呟いていた。
「はやく、お元気になってくださいね」
夜。夕食の時刻になっても起きなかったので、栄養は食事代わりの点滴で済ませる。風呂にも入れずで看護師さんに清めてもらい、その間に自分の食事を済ませた。戻っても依然変わらずで、時々うっすら意識を戻したかと思えば、また眠りの波にのまれていく。熱もなかなか一気には下がらないようで、段々と下降してはいるものの、依然として呼吸は苦しそうだった。
「……せんせい」
数時間ぶりに、意味の通る単語を聞いた気がして顔を上げる。
頬がまだリンゴのように赤く、瞳には生理的な涙が浮かんでいた。
「燐子?」
「クマ」と言ったところで咳き込むので、水を飲ませてやる。ペットボトルにストローをさして吸い口を近づけると、ゆっくりと飲むことができた。額に手をやる。やっぱりまだ熱いな。
「熊がどうしたって?」
「せんせいの」
「先生の?」
「クマが……ひどくなってた……」
「ああ、目のクマか」
「…………」目が合っているはずなのに、どこかぼんやりしたままで。
「怒らせちゃったなあ……」
「無茶するからだろ」
「傷つけちゃった…………」
先生と呼ぶのは担任のあの先生のことだろうか。自ら説明していた襲撃時の行動を考えれば、無理はないかもしれない。確かに顔怖かったし。あれは敵への憤慨ももちろんだけど、燐子への怒りもあったのかもしれない。俺には、自分を責める表情でもあったように見えたけど。
「なつおくん……」
「ん?」
「大学生の夏雄くんに、ききたいんだけど……」
「何だよ」昼間交わした会話の名残りか、持って回った言い方をする燐子に言葉を返しつつ、荷物をまとめる。ほとんどベッドで一日寝てたけど、ゆうべは大変だったろうし、治癒はしてもらって痛みは大分マシな状態になっただろうが、熱はまだあるし体力は落ちているから眠いんだろう。目つきは完全に船をこぐ一歩手前だ。
「大人の……男の人をおこらせちゃったら、どうしたらいいのかな……」
「……え?」
「どうやって……あやまったらいいんだろう……」
意外だった。
謝り方がわからない、と悩む事が、燐子にあるのか。
いつもみたいに、何を言われても、ニコニコと笑って、別に自分が悪くなくたって、ためらわず謝れるような奴なのに。
「夏雄くん……」こっちを見る、黄昏時の青色が途方に暮れている。迷子になったことに初めて気付いた、子供みたいな声だった。幼い、心細い声。今よりもっともっと小さい。
「……もう話はいいだろ、明日で」
なんだろう、この気持ちは。
ザワザワする。
不快感の一歩手前のような感情。
話を切り上げたかった。
「はやく寝な」
「夏雄くんは、パパがこわい?」
こんな妹を見たことがない。

ゆっくりと一晩が明けて。
「夏雄くん、ゼリーが食べたいなあ桃の」
「夏雄くん、髪の毛がボサボサで気になるの」
「夏雄くん、見て見て。松葉杖体操第一〜」
「夏雄くん、夏雄くん!」
昨日一日の様子が嘘みたいに、朝っぱらから無駄に眩しい妹の笑顔が直撃する。
桃の果実が入ったゼリーはひとつ空になったし、ブラシをねだったかと思えばシルクのような赤髪にできた枝毛を嘆いていたし、すると次の瞬間には身体のあちこちをグルグル回し始めて「夏雄くんコレ松葉杖わたしの?わたしのだよね?マイ松葉杖だよね?」とやけにテンションが高く立てかけてあった松葉杖を用いて歩く支えどころか逆立ちの支えにする始末だ。
「昨日のしおらしさはどうした……」
「夏雄くんの献身的な看病のおかげだよ」
あの苦しそうな様子は一体何だったのか。寄こされた体温計を見ると微熱程度まで下がっていて、見た感じ好調そうではある。かといって放置し続けるとまたぶり返すかもしれないとは思いつつ、ハツラツとした明るい笑顔で松葉杖で倒立をしたまま腕立てを始めた妹のとんでもない姿に拍子抜けして、しばらく見過ごしてしまった。
少しして朝の回診で担当医が問診に来てくれたが、おおむね快調に全速力で向かっているようだとお墨付きをもらって、笑顔がさらに二割増しになった。
「リカバリー先生サマサマだねえ」朝食をモリモリと食べ、歯を磨き、自分で服も着替え、キャリーバッグにゴロゴロ入ってた美肌ケア用品とやらを駆使した自分磨きに精を出し、すっかりご満悦の妹を隣に、購買で買った新聞紙を広げる。一面にデカデカと掲げられている見出しは『雄英大失態』……ひどい見出しだ。
一昨夜未明、雄英高校ヒーロー科一年生がプロヒーロー六名監修のもと、林間合宿を行っていたところを敵連合の一味であると思われる集団に襲われた。襲撃者の中には脱獄犯も数名おり、生徒及びプロヒーローに甚大な被害を与えた。重軽傷者多数と、ヒーロー一名と生徒一名が行方不明となっていることが判明している。雄英は完全に虚を突かれた形で、生徒達は一年生で実戦経験も乏しい身でありながら、敵と戦うことを与儀なくされた。国立のヒーロー養成機関、および最高峰の教育機関として栄誉と繁栄の象徴だった雄英高校。その肩書に甘えた学校側の怠慢、危機感の欠如については、とりわけ厳しく言及されている。敵の襲来を許した管理体制のみならず、春の襲撃事件直後に開催された体育祭のことまで遡って批判されている。現在雄英高校には各メディアの報道陣が集まっていて、雄英の正式なコメントを今か今かと待ちわびている――
「批難一色」真横から不満げな声がする。マットレスに腕をついて、覗き込んでいるのに気付き、少し寄せてやる。軽傷とはいえ治癒してないケガがあるんだから、負担かけるなよと思う。
「言いぐさひどいよね。みんな必死だったのに」
「生徒で行方不明者が出ちゃったからな」教育機関としては避けられない批判だろう。生徒の負傷者もかなりの人数だし。
「会見夜あるって書いてるね」
「観たいか?」一応個室なので、室内にはテレビがある。リアルタイムで観ることもできるけれど、どうだろう。病み上がりで自分の学校がことごとく批難される姿を観ても、気分が落ちるだけなんじゃないだろうか。
「観たい。責められるんでしょ、わたし達のことで。観なきゃでしょ」
「…………」
「というわけで夏雄くん。カード買って来て〜、あ痛」

「メロンはいいねぇ」
少し小ぶりだけど丸々として色もきれいなメロンを両手で大事そうに持って、うっとりと眺める妹の姿が廊下から見えた。部屋の奥のベッドを囲うように、大勢の高校生が立っていて、燐子に話し掛けたり、付近の子と話をしたりしている。同じクラスの子達だな。昨日見た切島くんも、あと焦凍もいる。
「いいの?こんなに素敵なものをいただいてしまい……メロン……」
「燐子ちゃんヨダレ」
「かしこまんなよ!」
「いいのいいのー。食べて早く復活してね!」
「もうほとんど復活なんだけどなあ」
「退院まだなん?」
「熱がまだちょっとだけ」
「そっか……」
「でも食欲はあるからねぇ。食べるまで冷やそう」
「入れとくよ、かして」
「ありがとー」
クラスみんなで来たのかな。人数多いし、せっかく和気あいあいとしてることだし、入るのちょっと待っとこうかな。と思って少し離れて時間を潰すことにする。幸い、病室のすぐ近くに談話エリアがある。飲み物でも買っとこうかな。自動販売機のところまで来て、ポケットから財布を取り出し小銭を入れる。
「夏兄」
「ワッ」
「ごめん」たった今病室にいると思っていた人物から話し掛けられて驚いてしまった。焦凍は手を伸ばしたまま驚かれたことに驚いていて、驚かせたことを謝られてこっちこそゴメンと笑いかける。
「どしたの焦凍、ジュース買ってやろうか?」外がよっぽど暑かったのだろう、体温調節なんて朝飯前のはずの焦凍も汗をかいている。
「じゃあ……緑茶で」
「緑茶」高校生男子が好んで選ぶには渋いな。コーラもスポドリもあるのに……と思いつつも『冷た〜い』緑茶のボタンを押す。ガコッと音がして、取り出し口からペットボトルを拾って手渡してやる。
「ありがとう」
「どういたしまして」
簡単なやりとり。何気ない日常の。はじめて英語を学ぶ子供が読むテキストの例文みたいな、誰もが送る毎日の中の、単純な会話を、俺は弟とはじめて交わす。その違和感を。つとめて何ともない風を装って笑う。
「燐子元気だろ」
「うん。昨日はずっと寝てたのに」
「一瞬起きたけどな」
「またぶり返すんじゃねぇか」
「どうだろ。でも熱はほぼ下がってるし、昨日よりはマシだよ。松葉杖でアクロバットに遊ぶほどだよ」
「杖で」
「食事もとってるしゼリーも食った。あのメロンも多分おやつだな」
「よかった」
焦凍も昨日よりは表情が柔らかい感じがする。他の子も快調に向かっているのかもしれない。いつもお母さんのお見舞いに来ているらしいけど、物珍しそうにキョロキョロしているから、こういうスペースはあんまり利用したことがないのかもしれない。まばらに埋まっているテーブル席では入院患者が何人か、面会に来たっぽい人と楽しそうに談笑している。
「うん。よかった」
あの人達はすごいな。
あんなに自然におしゃべりをしている。
妹とも弟とも距離を測りかねてる俺とは大違いだ。
「――戻ろうか」
燐子の分のジュースは何にするか数秒考えて、スポーツドリンクにする。汗も随分かいているから、甘いジュースよりはいいだろう。よく冷えたペットボトルを持って病室までほんの少し歩いて、すぐにまた入口のところへ着いた。
「それじゃあ轟、俺らそろそろ行くな!」
「安静にしてよ――!?」
「松葉杖体操はやめた方がええよ〜」
お。ちょうど帰る感じか。
ぞろぞろとクラスの子達が廊下へ出てくる。男女、大小様々な体格の子がいて、まさしく優良個性の集う雄英高校という感じだ。夏真っ盛りだからみんな薄着だけど、手足には包帯を巻いている子も多い。勇敢に戦ったんだろうな、と知った風な感想を抱く。退室する際にも妹に声を掛けてくれていて、応じる燐子の声も聞こえる。既に廊下へ出た数人の子と目が合って、軽く会釈をしてすれ違う。
「みんなありがと――――」
手をブンブン振ってベッドから見送る燐子に手を振って、それから俺に会釈をして、ぞろぞろと帰っていった。「皆、通行の邪魔にならないよう二列で歩こう」キビキビした声が遠のいていく。「じゃあ俺も」後ろにいた焦凍の声で振り返る。
「切島と話す事があるんだ」
「そっか。忙しいのにありがとな」
姉ちゃんによろしく、と言ったところで、
「ショートー」室内から間延びした声。
「冬美ちゃんの心配事増やしちゃだめだよ」
「お前が言うのかソレ……」何を言うかと思えば。
現在進行形で、姉ちゃんの心配ベクトルはまっすぐお前に向かっているけど。
そんな『おまいう』な発言だったが、投げられた焦凍はというと、
「…………」
何故だか一瞬黙って、
「掛けるつもりはいつだって無ェんだよ」
一言呟いたかと思えば、背中を向けて歩き出した。
「それはわたしも同じなんだけどなァ」やれやれという仕草でベッドに横になる燐子の側へ寄る。疲れて倒れ込んだワケではなさそうだ。散らばる赤色を指に絡めてくるくると弄ぶ。
「なあ、なに今の」
「焦凍がつまんないウソ吐くから、ちょっと釘を刺しただけ」
「嘘?」いつの話だろうか。会話らしい会話なんて思い当たる節がないから、病室から離れた時のことかもしれない。
「みんな表情暗いし。ぎこちないし。顔こわばってるし。なーんかごまかそうって感じがする。ショートはウソ吐くし。燐子ちゃんは悲しい。ぷん」
「主張とオノマトペが一致してねーけど」
そういや姉ちゃん言ってたっけ。朝電話してると、まれに焦凍の行動を予知するって。謎の双子パワーだと楽しそうにしていたな。なぜか確信をもって嘘を吐いたと言い張るわけだし、焦凍がよっぽど顔に出るタチでもない以上は、それに近い何かが双子にはあるのかもしれない。普通のきょうだいとは違う、より深い結びつきが。
だって二人とも、決して良いとは言えない仲だというのに、いつもお互いを気にしてる。感じがする。
「んー……やっぱり何か企んでるな……、緑谷くんの話になったら目を泳がせた子が七人いたし……、爆豪くんの話題はみんな出さない。笑顔引きつってるし……、ショートはウソ吐くし。怪しい……」
うーん、と唸っていたのも数分。
夏雄くんリュック取って、と言われてテキストを置く。壁に掛けていたキャメル色の革リュックを膝元に置いてやる。いそいそと手前のファスナーを開けて真っ白のスマホを取り出した。
「とりあえず冬美ちゃんには電話しとこ」

テレビを観ていた。
個室に備え付けられたテレビは小さくて、病室の外が足音や話し声が鳴りやまないから、きっと多くの人が、談話エリアにある大きな壁付けテレビを観るために集まっているんだろう。かすかにテレビの音も聞こえてくる。スピーカーを通した人の声と衝撃音のようなもの。今、ここで俺達が観ているのと同じ音が。
燐子がベッドからでも観えやすいように斜めに配置し直したテレビには、少し前まであの怖そうな先生が身なりを整え頭を下げる姿が映っていた。校長と各クラスの担任教師が並んで頭を下げ、その姿を無数のフラッシュが焼き付ける。ヒエラルキーのトップに君臨してきた雄英高校が、ここぞとばかりに糾弾される姿。
そして今は、誰もが知る日本のトップヒーローの姿が映し出されている。神野区が突如半壊し、一台の報道ヘリが上空からその姿を捉える。一人の敵と、対峙するオールマイトの姿。どんな事件も敵も笑顔で解決する、平和を体現する強さと明るさ。父親が愚かしくもかつて越えようとして、諦めたその存在。建物はおろか舗装された地面ごと抉り吹き飛ばし、一帯をたやすく更地にする敵を相手に、鍛え抜かれた肉体に傷を負い、歯を食いしばるような表情。その姿も、小さく萎んでしまっている。頬はこけ、目が窪み、まるでガイコツのような姿。血を吐いている。構えた拳も血まみれだ。人の声が聞こえる。何人もの声が重なって、太く大きくなっていく。就寝時間を過ぎても、声は大きくなるばかりで、それを咎める声はない。開けっ放しの入口から巡回の看護師が入ってくることもない。痩せこけたその身体の一部、何人もの敵を倒してきた腕だけが大きくなる。巻き上がる豪炎。アイツの姿が映り込む。他のヒーローも続々と現れては、逃げ遅れた人や傷付いた仲間を救いあげる。この敵はきっと、あの人が倒してくれると信じて。廊下から、開け放した窓から、モニターから聴こえてくる声。大きな爆発。風圧で揺れるカメラ。クレーターのように空いた地面に倒れ伏す敵の姿があって、いっそう湧き上がる歓声。スタンディング。突き上げる拳。憧れずにはいられない、強さの化身の立ち姿。つんざくような歓びの声。
焦凍も今これを観ているのだろうか。
どんな気持ちで観ているんだろう。
声も笑顔も涙もなく、身じろぎ一つせず、まばたきも惜しむように、ただ脳裏に焼き付けるように観ているのだろうか。凪いだような、静かな顔で。
この子と同じように。

「お世話になりましたぁ」
ちょん、とご丁寧に三つ指までついて。
合宿用に持ち込んでいた私服に着替えて、キャリーケースと革のリュックにしっかりと荷物を詰め込み、私物の置き忘れがないかを確認し終え、自分なりに整えたらしいベッドの上で深々と頭を下げられた早朝。医者からここ数日で処方された薬たちを袋にまとめている最中行われたそれに目を見開く。
「急にどうした?」
「いやあ。夏雄くんにはすっかりお世話になってしまって」
そろりと顔を上げてから、照れたように微笑む。
「ワガママいっぱい言っちゃったし」
驚いた。燐子にも恥じらいというものがあるのか。
「改まんなよ、別に大したコトしてねえし」
こちとらちょうど夏休みに入ったところだったし、二か月ある夏休みのほんの二日程度、潰れたところで別にどうということもない。そもそも俺がこいつの世話を引き受けたのは、姉ちゃんのためだし。笑顔を絶やさず、あの異様な家でひとり努めて明るく振舞っていた姉ちゃんが、あんな震えた声で電話をしてくるのだ。駆けつけてよかったと思う。あんなに青ざめた顔で、実家とお母さんのお見舞いとここを往復するつもりでいたんだから。そんな風に内心反論しながら、けれどこの二日を過ごせてよかったと思う自分がいる。
「ふふ。わたしは少し得をした気分だよ」
夏雄くんと二人で過ごすって無いもんね、と続く言葉にくすぐったくなる。
「貴重な機会だよ。宝物にするね」
「お前……よくそんなコトさらっと言えるね」
「夏雄くんは恥ずかしがっている」
「指摘すんな」
「つきっきりの看病」
「別につきっきりじゃない」
「かいがいしい看護」
「普通だろ、アレぐらいは」
「…………」
「ニヤけ面をヤメロ!」
「痛い痛い。照れ隠しが痛いよ〜」
ホラ見ろ暴れるから、せっかく綺麗になったシーツがもう皺くちゃだ。降りさせて、再度整えておく。骨折していた脚はリカバリーガールの治癒ですっかり癒えている。松葉杖をまだ持っているのは、なかなか下がらなかった熱でふらつく歩行の支えにしていたのと、毎日行っていたというトレーニングが外で行えない代わりに杖を使って色々と身体を動かしていたからだ。「きみともお別れだ、アロンの杖よ」おいおい終いには神話持ち出してんぞ。そんなに気に入ったのか、それが。
「じゃあ……そろそろ行くか」
「はぁい」
キャリーは俺が引き受けて、リュックだけ背負わせる。先に歩き出すと、お世話になりました、と声が聞こえて振り返る。誰もいない部屋に頭を下げた妹が、くるっと翻ってついてきた。
エレベーターで一階へ降りて、会計を済ませて一緒に病棟の外に出る。
「シャバの空気だ――――!」
「オイやめろ」
ムショ帰りみたいなセリフを叫ぶな。
「やっと出れたよ。外が恋しかったよ〜」
「これに懲りたら、マジメにやれよな」
「懲りた懲りたよ。大切なことがわかった」
「大切なこと?」
「骨が折れたら痛い」
「小学生か」
「ふふ。夏雄くん」
「うん?」
「本当にありがとう」
「……もういいって」
「痛かったししんどかったけど、夏雄くんがいてくれたから淋しくなかったし嬉しかったし、楽しかったよ」
「ホントにもう止めて……」
八月の日差しがガンガンに照り付けてきて、思わず顔を覆う。
くすくすと女子特有の笑い方をする妹に、持って来た帽子をかぶせた。勢いに押された燐子がうわっと少しよろけて「なんで麦わら帽子なの」とまた笑う。幼い笑顔だった。大きなつばで影がかかって、少し見え辛かったのがもったいないと思ってしまうほど、きれいな笑顔だった。お母さんの儚い微笑みとも、姉ちゃんの親しみある笑顔とも違う、燐子だけの笑顔だった。

新幹線を降りたところに、姉ちゃんが仁王立ちで待ち構えていた。まあ、到着する時間を連絡したのは俺だけど。異様に早いな……。
「あ。冬美ちゃんだ!」ヘの字に口を曲げる姉ちゃんにも何のその、空気を読まずに駆け出して飛びついた。小柄でもそれなりに鍛えてる妹にしがみつかれてふらついている。
「まったくもう……」仕方ないという風に笑う姉ちゃん。声は少し震えていた。そしてこっちを見る。
「夏、ありがと。助かったよ」
「別に、ヒマだったしいいよ」
「夏雄くんちょう優しかった〜」
「へえ。良かったねえ!」
「グググ…………」
五秒ほど羞恥に耐える。俺を見て二人が笑った。
「実家の方に帰るよね?」
「異論を認めないその笑顔〜……」
「入院してる間、世間は色々あったんだから。子ども一人でいない方がいいの!」
「嫌だァ〜ヤバい空気の中に入りたくないぃ〜」
「何言ってるの」
「パパ絶対超フキゲンじゃん〜」
「どうだろ。すごく忙しいだろうし、帰ってくるかどうか……。あ、夏もせっかくだしこのまま帰っておいでよ」さりげなくこっちに向いた矛先にビクッとする。だがしかし即答だ。
「いや、俺は向こうに戻るよ」
「なつー……」残念そうな顔をするけれど、俺の意思を尊重してくれる姉ちゃんをありがたく思う。
「冬美ちゃん、わたしの意思も尊重してみよう?」
「燐子は心配かけたからダメ」
「ヒャー」
「それに家庭訪問もあるでしょ?」
「家庭訪問?」
「お知らせが届いたの。これから全寮制を導入するんだって」
ポケットから出されたのは四つ折りになったプリントだ。渡された燐子がそれを開いたのを覗き見てみると、確かに見出しには『全寮制導入検討のお知らせ』と書かれている。
「全寮制?寮ができんの?」
「みたい。それでその件で、全生徒家庭訪問があるんだって」
「へえ……じゃあ実家いなきゃだ」
「そういうこと」
「まあでもそうか……いきなり二人で対面しても怖いしな……」
「何のこと?」
ふうん、とプリントに目を通しつつ納得したようなしてないような声を出す#nam1#だが、そういうことなら実家帰省は決定したと言っていいだろう。わかりましたよ、と言って手を差し出してくるので、掴んでいたキャリーケースの持ち手を渡す。俺は下宿先に帰るので、二人とは違う電車に乗ることになる。そろそろ行くよと言うと、また帰っておいでよと姉ちゃんの声。あいまいな返事をして踵を返す。二人も何か話をしながら歩き出した。
不思議な気分だった。
現のようでいて夢のようでもあった。
あいまいであやふやな二日間が遠ざかっていく。
例外的でイレギュラーで、
本来過ごすことのなかった筈の、
ありえない時間が、こうして幕を下ろす。

[] []

×
人気急上昇中のBL小説
BL小説 BLove
- ナノ -