眼が痛い。
眼が痛い。
眼が痛い。
目薬を差すと多少はマシになったが、蓋を開ける際パッケージが視界に入って、ただでさえ吐きそうな程憤っているというのに、気分は下がる一方だ。同じく後部座席に座るブラドが横目でこちらを窺う様子ですら酷く煩わしい。そのブラドだって、今にも唸り出しそうな形相で腕を組み、せわしなく指を動かしている。前から後ろへ、流れていく景色のスピードで、可能な限り急いでくれているだろう事は分かっているつもりだが、それでも一秒一秒が遅く感じて、今すぐドアを開けて飛び出したい衝動にかられ、足の裏に力を込める。
無言がしばらく続く車内の空気に耐え切れなかったのか何なのか、助手席の巡査がこちらを振り返り何度か話しかけてきたものの、当たり障りない返事を返すこともままならず、最終的に揃って眼光で黙らせてしまった事については申し訳ないと片隅で思う。運転席の彼も助手席の彼も好きでこの針の筵にいるわけではない。そして俺やブラドもまた、望んでこの車に乗っている訳ではないのだから、こんな空気になるというのも無理のない話だった。とはいえ、今残っているなけなしの理性とやらをこの意味のない会話に使ってやるつもりもなかった。
長い長い十分間だった。
降車して、隣に停まった車から降りてきた塚内刑事に連れられて署の中へ入る。こんな職業に就いているもんだから、取調室へ入ったところで何を感じるわけでもない。鉛のように重くなった足を無理矢理引きずって、簡素なパイプ椅子へ促されるまま腰掛ける。左隣にブラドも着いたところで、「さて」明朗な声が無機質な室内へ響く。
「こちらも時間が惜しい。イレイザー、まずは経緯を話してください」

四十一名の生徒のうち、半数以上が病院送りになる異常事態。
そして一人は敵に攫われて行方不明。
プッシーキャッツの被害だって大きい。
酷い結果だった。
引率者である自分達は無傷だというのに。
沸々と湧き上がるものがあった。
努めて冷静に、淡々と、事の次第を説明する。
自分が知る、全ての事を。
施設に現れた敵の偽者、緑谷から預かった光汰くんと敵の目的、戦闘許可を出した事、森の中を走り回り、倒れた生徒、動けない生徒を回収して回った夜、撤退した敵、爆豪が攫われた事を伝えたテレパス、行方不明のラグドール、施設で発覚したもう一人の所在不明者を、一時間森を探し回ってどうにか回収できた事。
そして、敵に関する情報。
直接本物の敵と交戦した訳ではない俺達が持っている情報のほとんどは生徒達やプッシーキャッツからの情報をまとめたものだ。
襲撃に加わった敵は、確認できる数で十五名。
生徒十五名を毒ガスによって昏倒させた、学生と思しき無名の敵。
爆豪と轟(兄)をほぼ防戦一方にさせた死刑執行前の脱獄犯、ムーンフィッシュ。
緑谷と光汰くんを襲ったイカレた殺人犯、血狂いマスキュラー。
ピクシーボブに重傷を負わせた連続強盗殺人班、マグネ。
蛙吹と麗日を刺した女子学生の敵は、トガと名乗ったそうだ。
言動からステイン狂信者と思われる、スピナーというトカゲ男。
施設に現れた炎と使うツギハギだらけの敵と、
その本体の方の側に控えていたらしい、頭から爪先までスーツに包まれた男。
個性を使って爆豪と、常闇まで一度は捕まえたという仮面の男。
四月の襲撃にもいた、連合の出入り口である黒霧という敵。
八百万と泡瀬を殺そうとした、いくつもの腕と凶器が生えた大型の脳無。
そして轟(妹)と戦ったらしい、中型脳無が四体。
「脳無はオールマイトが倒した大型、保須でエンデヴァーらが捕らえた中型と両方が出てきたか」
机の上には敵の特徴を書いた資料や、これまでに捕獲できた脳無の資料が散らばっている。次から次へと。そう言いたげな表情だ。実際、連合が動く度に脳無という厄介な存在も付いて回るのだからうんざりなのだろう。思うことはヒーローも警察もそう変わらない。
その資料のうちの一つを拾い上げる。
中型脳無の写真だ。
大型の方は連合と共に姿を消したようだが、こちらは意識のない状態でまとめて縛り上げられていたため逮捕することができていた。
「意思疎通は例によって難しいかもしれませんね」
「そうですね。ただ、今は何より爆豪くんの居場所を特定しなければ」
「ええ……」
「今のところ一つ、取っ掛かりになり得る情報があります」
「……どういうことですか?」
ガタンと音がする。
ブラドに肩を抑え込まれ、立ち上がってしまったことに気付いて姿勢を正す。
「四月の事件からずっと、こちらは聞き込み調査を進めていましてね。二週間ほど前に、ちょうど引っかかってきた目撃情報があるんです」
「…………」
「あなた方が会敵したツギハギの男と特徴が合致する。早急に裏取りをしましょう」
三茶と呼ばれた猫顔の刑事が頷き、書類をいくつか抱えて退出した。
無意識に止めていた息を、ようやく吐く。
「敵十五名のうち、逮捕できたのは現状六名。残った九名はどこかに身を隠している。移動は黒霧の個性でどうにかできるんでしょうが、それだけの人数が潜んでいるんだ、どこかに形跡が残る筈です。個性不明の者もいますが、随分と特徴のある敵も何名かいる。警察のデータと照合すれば、敵個人の特定にもそう時間はかからないでしょう。そうすれば、有用な情報は確実に増える」
「……よろしくお願いします」
「私からも、どうか」
「必ず、見つけましょう。そして助け出します。あなた方にも、雄英にも協力いただきますよ」
「勿論です」
まるで、オールマイトさんのような。
力強い言葉だった。

「この後は、雄英に戻られるんですか?」
来た時とは比べ物にならない慌ただしさの中を通って署の外へ出る。晴れ渡る空が憎らしい。タクシーを使うと断ったのだが、病院に待機している警官の交代でちょうどいいということで、再度車を出していただくことになった。
「いえ。状況報告はすぐに行いましたし――まだ意識が戻ってない生徒も多いですから」
「そうですか……いや、そうですね」
一夜明けた今、雄英には大量のマスコミが押し寄せているだろう。新聞やテレビは確認していないが、きっと前代未聞の大失態に世間は大騒ぎだ。校長にはこのまま此方で捜査協力や生徒のケアにあたるように言われた。近々開かれるであろう謝罪会見には現場責任者として出席することとなる。
「我々を信じてお子さんを託してくれた保護者の方にも、謝罪をしなければなりません」ブラドが言う。あの後、動ける者は全員警護付きで自宅へ送り帰した。今も尚此方に留まっているのは全員入院を余儀なくされた生徒だ。A組は耳郎、葉隠、八百万、緑谷、轟。B組は十三名もの生徒がガスの被害を受けている。その保護者達は雄英から連絡を受け、多くが既に現地へ駆けつけている。
「一刻も早い、回復を願っています」
「ええ」短く返す。辛そうな表情のブラドが顔を背けた。
事情聴取の後。根津校長とモニター越しに、塚内さんも合わせて話をして、事件の報告や捜査の方向性、これからの事についていくらか話をした。詳細まで詰めるのは、警察の裏取りの後にはなるものの、進展の余地が芽生え、解決の目途が立った。ただ闇雲に捜索するより格段に効果的だろう。目撃情報の内容だって信憑性が高そうだ。
あとは――
あとは爆豪が無事でいることを願うばかりだ。
簡単にくたばるような奴でも、心を折られる奴でもないと知っている。信じている。信じるしかなかった。口惜しさがこみ上げてきたところでどうしようもない。聞き分けなければならない。気分は最高に悪いが、それでも来た時よりは大分マシだ。
夏の灼けつくような日差しに目を細める。
「では行きましょう」
「お願いします」
「できれば、最速で」
「法令順守ですがね」

目がチカチカする。
病院らしく白で統一された清潔感のある部屋の中、横たわる人間を見下ろした。ただ静かに眠っているだけだというのに、こいつはなんでこんなに騒がしいのだろうか。直前に伺った葉隠とはえらい違いだった。透明と赤色なのだから当然っちゃ当然か。真っ白なシーツに散らばった、光沢のある真っ赤な髪が妙に目につく。瞼を閉じて軽く揉み、今度開いたときにはそれから視線を外した。
入ってきた時から空いていた窓から、生ぬるい風が入ってきて頬を撫でる。 鳥の鳴く声が微かに聞こえる。
そういえば、口田の個性なら実家からでもこいつらの様子が伝わるんじゃねぇか?
正確にそぐわない岩のような身体が、昨夜は震えていたのを覚えている。震えながら、こいつを捜索する俺をサポートするために個性を使っていたと聞いた。……その気弱な性格で、個性の活用する可能性を潰しているというのが一学期の課題だったが。
さして光源もない真っ暗な森の中、人ひとりを探し当てることが出来たのは、口田の個性で森中の鳥を集め、情報を聞き空から探す手伝いをしてくれたからだ。
救助隊を含め、地上と上空から捜索は行われていたものの、鬱蒼と生い茂る道の少ない森では細かい木々の隙間を縫って動ける動物の力は大きい。
窓から見える枝に止まった小鳥を何となく見つめながら、そんなことを思った。
「…………静かだ」
一言こっちが発言したかと思ったら五倍十倍にして返してくるような奴だった。そんな奴がこんな、呼吸器着けられて頭部手足包帯だらけで管繋がれて、ミイラマンより酷い有様じゃねぇか。過去に人の事を散々ミイラマン先生だの何だの囃し立ててくれたことを思い出してわずかに苛立つものの、見てわかる程の重傷人に仕返しをしてやる程子供じゃない。
そんなことを考えている間にも。
はあ、とまた一つ息が漏れる。
こちらもつられて溜息が出た。
これがただ惰眠を貪るだけの、健やかな寝息ならどれだけ良かったか。
全身打撲と肌の一部の異常な乾燥。
擦過傷による出血多数。
右足は骨折していた。
ガスの影響を受けていないことだけが幸いと言える。
処置をして一晩が空け、まだ意識が戻らないのは損傷部分から発熱を起こしているからだ。
ちっとも似合わない、しかめっ面で眠り続ける姿。
猫のようにきゅっと細まる群青の双眼も。
へらへらと弛む頬も。
とめどない無駄口を吐き出す唇も開かず。
赤色だけが血のように鮮やかで薄ら輝いている。
それは。
いつものこいつを知る人間には、あまりにも痛ましい姿だった。
「…………」
学校で数か月見てきた元気な姿。
自分に向ける顔が歪む生徒の姿を、何度も何度も見てきた。
個性の扱い方すら知らなかった奴が、一歩ずつ力を掴み取っていく。雄英で初めて立ちはだかった壁に悩み苦悶し、一番の武器をもって試練を乗り越えていく。趣味嗜好、考え方がハッキリしたその性質で友人に勇気をもたらした。自分に素直で明るく、個性の可能性を一つずつ見つけていこうとする真っ直ぐな姿勢。一人ずつ挙げればキリがない。
それが。
それがどうだこの有様は。
怒りで拳が汗ばむ。
目頭を揉む。
息を吐いた。
「…………ん」
わずかな衣擦れの音。
くぐもった声が確かに聞こえた瞬間、眼をかっ開いた。
群青が。
ゆっくりと開く。
まぶしい、と閉じようとする瞼をガッと掴んだ。
「いた、いたい痛い、せんせい……?」
こちらを見た。
呼吸器を外そうとする手つきがおぼつかない。
もう一つの手をこちらに伸ばしてくる。
「……何で」
「……ここ、病院……?」
「何で、一人で戦った?」
状況に頭が追い付かないのか、パチパチと瞬きを繰り返す様子を見て、頭の隅で冷静な自分が言葉を止めようとする。たった今、目覚めたばかりだ。傷が痛むだろう。熱もある。寝起きなのだから、喉も乾いているだろう、声だって掠れていて弱弱しい。戸惑いの表情。
「まずは、緑谷を追い掛けた理由」
「…………」
「緑谷を追ったはずのお前が、全く見当の違う方角で脳無の群れと戦闘になった経緯」
「……えっと……」
「未知の相手との会敵において、数的不利かつ自身の個性使用に制限がかけられるフィールドで、一般人が襲われている等のやむを得ない状況とは異なり、戦闘許可も出ていない前提でお前が出すべき最善の行動は何だった?」
「…………」
「個性を噴出することで可能になる高速移動。エンデヴァーも使う技だな。それで脳無達を誰の目も届かない場所までぶっ飛ばして戦闘に入ることにした。施設までの道を戻る飯田達の側を横切って」
「…………」
「理解が遅いな。状況は即座に把握しろ」こちらが言葉を重ねるごとに、何が何だか、という戸惑いが段々とバツの悪そうな表情に変わっていく様子が分かりやすく窺える。
何か言いたげに口を開いたり閉じたり、キョロキョロと視線をさまよわせたり、数秒ギュッと瞼を閉じてわざとらしく「うーん」とうなった後、
「とりあえず先生……、お手を拝借したい……」
「はあ?」
「身体を起こしたいのにコレ……何これ全身が痛い……動かない……」
「…………」
毛布から腕を出すことも痛みでままならないのか、包帯でそれぞれ簀巻きにされた両腕(があると思しき場所)を小さく芋虫のようにバタつかせて要求してくるその様子に、溜息を大きく一つ。その通りにしてやると次は水が飲みたいと言う。
「手が使えないので、ストローをさしてくださいね」
「そんなもんあるか」とペットボトルごと押し付ける。すると今度はキャップが開かないと言う。苛々しながらも回してやることにする。
「冬美ちゃんは?」
「誰だそれは」
「姉です。授業参観で会っているじゃないですか」
「名前までは知らん。……明け方に一度、来てたな」
発見直後、すぐさま他の重傷者と同じ病院へ放り込み、施設で経緯を整理し雄英へ報告し指示を受ける。現場は管理者の一人である虎に任せ、マンダレイや警察と共に我々も病院へ移動した。治療も終え目覚めるのを待つだけの者、施術は終えて回復を待つ者、今まさに緊急手術を受けている者がいて、各々の保護者には雄英から連絡してもらっていたので、三十分と経たずに自家用ジェットで到着した八百万のところから順次、病院へ駆け込んで来ていた。状況を、様態を説明し、謝罪する。昏々と眠る生徒達のために出来ることなんてそれ位しかなかった。轟のところは、母親は入院中のようだし、父親は多忙だ。この事件のせいでさらに仕事が増えることにもなるだろう。授業参観で見た、姉だという女性が来ていた。そして日が昇りきる頃には大学生だという兄も。
「その後、家に戻ったよ。ここは家から遠いだろうし、轟もエンデヴァーの活動範囲内にいてもらった方が安全だろう。今は多分お兄さんが残ってる」
「夏雄くん来てるの!?……うわあ〜」
「何だその反応は」
「いえこれからの入院生活を思うとですね」
「よく分からんが安心しろ。破壊されまくった組織を修復するために、お前の身体は今フル稼働してる。しばらくは痛みと熱の波が襲い続けるだろう」 「エッッ今すでに大分痛いんですけど」
「冷やすと楽にはなるが回復が遅くなる」
「わがミトコンドリア達よ……」
「……お姉さん、泣いてたぞ」
「……ええー、やだな〜……」
寝乱れた長い髪から覗く群青が苦く細まった。
もういいだろうか。
いつもの会話が、普段の何倍も疲れる。
眼が痛い。
あの事件に関する質問もほとんどないようだし。
分からないことがないのか、知りたいと思っていないのか、定かではないが。
そもそも、コイツの意識が一体いつまで保っていたのかすらこっちは知らない。
「……答えを聞かせてもらおうか」
「あと十分ほど、会話に花を咲かせましょう」
「会話できる状態じゃなくなったら困るから言ってんだ」
往生際が悪い奴だ。
「はよ言え」
これが冗長に会話を楽しめる人間の顔に見えるのか。
パイプ椅子が鳴る音すら煩わしい。
泥を飲んだような気分はまだ一ミリも晴れていない。
そしてこれから多分、もっと気分は悪くなるだろう。
「理由。えっとー……わたし一人で充分かなっと」
「――そんな戯言を鵜呑みにしろと言うなら、俺はお前を除籍にしなけりゃならん」
「えー……」
「飯田。後悔してたぞ」
その言葉には、珍しく沈黙した。返す言葉を失くしたらしい。あー、と歯切れの悪い声を出し、頭を掻くように腕を上げる。頭部の包帯に触れるのでその手を抑えた。
「お前を行かせるんじゃなかったと」
生徒達や敵共が行動していた位置関係。
マンダレイのテレパス。
口田が操った動物からの情報。
そして飯田の証言。
『尾白くん、口田くん、峰田くんと施設を目指して走っていたところ、途中でどこからか地鳴りのような震動がしました。遅れて、ジェット機のような音が。それと――そうだ、震動の前に、一瞬だけ――』
全身から汗が噴き出す程の熱風が抜けていった。
恐らく、東から西の方へ。
その証言から、おおよその方角や距離にアタリがついた。
それらを元に捜索を続け、一体どれ位の時間が経っていたのだろうか。
肝試しの出発地点から緑谷と光汰君が敵と遭遇し、戦闘となったらしい場所までのルート。
そこから大きく南西へずれた森のど真ん中に、轟は倒れていた。
すぐ側には、春に対峙した――忘れもしない――脳がむき出しになった怪物が四体、地に伏している。
「こんな事になるなら、全員で対敵した方がいくらかマシだったと。お前一人にこんな怪我を負わせる位なら、その方が良かったと、自分の判断を悔いていたよ」
救急隊員達が搬送する準備に奔走する中、飯田はピクリとも動かない轟の姿をじっと見ていた。
『僕は、轟くんを止めませんでした』
掠れた声が、食いしばる歯が、固く握りしめられた拳が、全身で悔いているようだった。
『彼女を――信じたからです』
高校生が、信じるなどと高尚な言葉を使う。
『信じて、しまっていたからです』
軽佻浮薄で、妙にフットワークの軽い、日頃ふざけることが多く、一見不真面目とも取れる、要領がよく、しかし堅実に身体を鍛え上げ、粛々と個性を磨き、存外俯瞰して物事を捉え、状況判断能力に優れ、合理的に行動し、思いどおりの結果を手に入れる。無難な。無欲で。無理のない。自分で決めた及第点の結果を。だから選択したのだろう。緑谷を一人で行かせ、交戦となった時の危険性を考え、自分が追い掛けることを。連れ戻すか、理由によっては助力を。もしも会敵した場合、宣言したとおり、協力して戦うか、撤退する補助をするか、増援を求めるか、生存率を上げる選択をすることができる。なるほどその選択は非常に合理的だ。
『彼女なら――きっと宣言どおり、緑谷くんを連れて施設へ帰ってくるのだと』
そう思っていた。
だから考えもしなかった。
彼女が、たった一人で。
この状況下。
誰にも気付かれないように。
あんな姿になるまで戦うなど。
掲げた目的を途中で棄ててまで、
自分達を助けようとするなんて。
確実に自分達を施設へ戻す事を選択して。
身一つで危険に突っ込んでいくなんて。
「あの言いぐさだと飯田は……尾白達も恐らく気付いてるよ。お前が対峙した脳無達は、施設へ戻る生徒を襲撃する為に配置されたんだろうって事に」
順当に考えれば、宿舎へ戻ろうとしていた飯田達が遭遇していただろう。
それを、緑谷を追い掛けたこいつが発見して――
――座標をずらした。
飯田達が感知したという地鳴りの、熱風の正体はこいつで間違いないだろう。あの怪物共を、誰も被害を受けないところまで『持って行って』戦闘に入ったのだ。音の証言に関しては、恐らく速度の問題だろう。
「お前は存外冷静に物事を判断できる奴だ。そして良くも悪くも引き際を知っている。そんなお前が、連れて帰ると言ったんだ緑谷を。だからそれを信じた。信用したんだお前を。あの状況下で」
「…………」
「それを踏まえた上でもう一度聞く。なぜ、単独で戦うことを選んだんだ」
発見してすぐには分からなかった。
捜索隊が持っていた照明が周囲へ向けられ、初めて見える。
血痕と肉片、それと金属を溶かしたものがそのまま凝固したような、不格好な固体がそこら中に飛び散っていた。
何か所もえぐれている地面。
太い幹の部分から折れ倒れていた木々。
根元からごっそり無くなっている木がそこかしこにあった。
森林への被害は抜きにしても、あそこが最も『えげつない』被害現場だったに違いない。
大量に散らばったあの肉片が、全て敵のそれだった事にどれ程安堵したか。
何も知らないのだ、こいつは。
「…………」
轟はやはりしばらく言葉に迷っていたが、やがて「すみませんでした」小さくそう零した。
「配慮が足りませんでした」
「……配慮?」政治家の記者会見でも見ているかのような謝罪に、思わず聞き返してしまう。
「配慮だと?何に対してだ」
「彼に責任を感じさせてしまうようなやり方で行くべきじゃなかった」
「…………何を言っている?」
「あの人達を見つけた時……鳥肌が立ちまして。なんとなく、放っておいたらいけない気がして、飯田くん達とぶつかりそうだし、咄嗟に。他の子のところに行かせちゃいけないと思いました。現に、チームプレイが結構やばめだったし……『岩石』『捕食』『合体』『ポンプ』『鎌鼬』の類です」
こちらを見ない。
「仮免すら持ってねぇタマゴが態々相手にしていいもんじゃねぇって事ぐらい、わかった上でそれを言ってんのか」
脳が沸騰したみたいに熱い。
この赤色を見るとそうだ。
いつも目がチカチカする。
「お前は増援を呼ぶべきだった。脳無を引き連れてでも何でも、奴らに気付いた時点で飯田達と合流して、援護しながら施設へ戻ればよかった。少なくとも、お前一人が単騎交戦するべきじゃなかった。緑谷を追い掛けた時と同様、判断すべきだった。相手は人を――平和の象徴を殺すために造られた、まだ未知数の怪物だ。発見がもう少し遅れていたら、生きていられたか知れんぞ」
「……それは……おっしゃるとおりですが」
「ですが、何だ」
「他人の命と自分の命を天秤にかけたら、ヒーロー科としては、やっぱり……なんと言いますか。先生だって、四月に大怪我をしたじゃないですか……」
「……お前のソレは自己犠牲じゃない。ただ無駄に命を捨てただけだ」
「極力、生きようとした結果がコレだと思ってはもらえないんですか?」
焦点がずれる。
「驚くべきことに、ねえ先生」
話が通じてる気がまるでしない。
「死んだり大怪我をするのがわたし一人で済むのなら……実は、悲しむ人はそんなにいない」
冗談を言ってる顔じゃなかった。
「…………今日ほど」もう限界だった。
よくも。
ヒーローに向かって、
よくもそんなことが言えたもんだ。
「今日ほどお前をブン殴りたいと思った日はないよ」

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