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「ルチアすごいんだよ! ラファータよりもずっとずーっとおっきい軍人だってころせちゃうし、魔物だってやっつけられるの! この前もね、みんなといっしょに魔物の男の子ころしたの! どお、すごいでしょ?」
きっと褒めてくれる。「すごいね、ルチア」そう言ってくれると思っていたのに、ラファータは悲しそうに眉を下げ、ルチアの膝の上から野兎を取り上げてしまった。慈しむように口づけ、彼は首を振る。
思っていたのと違う反応に、ルチアはどうしたらいいのか分からなくなった。
「ルチアは、人を殺したことがあるの?」
「うん、あるよ。だって、ホーテンさまもベラリオさまも、そうしなさいってゆーから。ラファータはないの?」
作り出した猛毒で人を殺すことも、あるいは武器で嬲って殺すことも、ルチアにとっては見慣れた光景だった。温かい血飛沫を浴びても、洗い流す面倒を感じるだけで他にはなにも思わない。
ファウストだってそうだった。ホーテンもベラリオも、それを是とした。
「だめだよ、ルチア」
「なにが?」
「命はね、とっても重いんだ。人も、動物も、――きっと、魔物だって。その重さが分かるまでは、簡単に触れちゃいけないものなんだよ」
「……?」
どういう意味だろう。
確かに、似たようなことをシルディやシエラ達も言っていた。あの短い旅の間にも、クレメンティアにはしょっちゅう怒られたような気がする。
苦しいことは駄目、傷つけるようなことは駄目。けれどそれがどうしていけないのか、ルチアにはさっぱり分からない。分からないからひどくもどかしい。
ラファータは、物分かりの悪いルチアを嫌いになったのだろうか。恐る恐る伺うと、切なげに笑ったラファータにそっと頭を撫でられた。ルチアの手よりも少し大きいそれは、優しい土の匂いがした。
「いつか分かるといいね」
髪を撫でる指先の優しさに、嫌われてはいないのだと少し安堵する。
頭から手をどけたラファータは、ふっと目元を和ませてルチアを見つめてきた。いつの間にか、野兎はどこかへ行ってしまっている。
間近で見るラファータの金髪が、光を浴びて輝いている。今度はルチアが手を伸ばす番だった。
「どうしたの?」
「ラファータの髪は、すっごくきれーだねぇ。金色がキラキラしてて、神殿の鐘に似てる。あの鐘はね、おひさまが当たるとキラキラ光るんだよ! ねえラファータ、ほんとに妖精じゃないの? 目だってとーってもきれーなのに」
「もう、ルチアはそればっかり。……僕に言わせれば、ルチアの方がよっぽど妖精に見えるよ。小さくて、かわいくて、くるくる表情が変わって。ねえルチア、君は本当に妖精じゃないの?」
からかうように笑って、ラファータがルチアの髪を掬った。ゆるく内側に毛先が丸まったそれは、鐘の形を思わせる。
彼はその毛先の感触を確かめるように指先を擦り合わせ、ルチアの目を覗き込むようにして言った。
「ルチアの髪は、とても綺麗だね」
ベルシルエットの、赤紫の髪。
本音を言えば、レンツォみたいな薔薇色の髪や、蓼の巫女のような桃色の方が好きだった。ファウストと揃いの色であること自体は気に入っているけれど、もっとかわいい色だったらと思うことも多々ある。
髪を遊ぶ指先が、頬に触れる。その瞬間、自分のものとは思えないほど心臓が大きく跳ね上がった。どういうわけか、急に顔が熱くなった。運動したわけでもないのに息が上がる。
「ルチア?」
「もっ、もう帰る! じゃあね、ラファータ! ルチア、帰るから!」
まだ時間に余裕はあるはずなのに、気がつけばそんなことを叫んで駆け出していた。
これではまるで逃げ出すようだ。ルチアを呼ぶ声が聞こえたけれど、立ち止まることはおろか振り返ることすらできなかった。まともにラファータの目を見ることなど、到底できそうもない。
一体どうしてしまったのだろう。走る前からずっと早鐘を打ち続けている胸を押さえ、火照る頬の熱を払えぬままに馬に跨って城まで駆けた。
――レンツォに会いたい。
今すぐに。
+ + +
矢のように部屋に飛び込んできたルチアが、勢いよく腹に抱き着いてきた。あまりの勢いに噎せかけるが、少女はますます力を強めていく。ぼさぼさになった頭もそのままに、腹に顔を埋めたままなにも言おうとしない。
つい今し方まで仕事の話をしていたシルディも、さすがにこれには唖然としていた。いつもの光景だと言うには、どうにも様子がおかしい。
「ルチア? どうしたんですか。……まさか、どこぞの馬の骨とも知れないクソガキになにかされましたか」
ルチア自身は誰に会うとも言わなかったが、周りの情報から推測するに男と会っていることには間違いがない。どこの誰かは知らないが、こうなったら容赦はするまい。
「王子、ロルケイト兵団を、」「出さないよ」薄々予感はしていたが、レンツォの提案は言い切る前に却下された。
「ルチア、どうしたの? なにかあった?」
ルチアの隣に屈んだシルディが優しく声をかけるも、少女は首を振るばかりでなにも言おうとはしない。明らかに様子がおかしい。しがみついてくる手は、絶対にレンツォから離れないと言わんばかりの力だった。
乱れた髪を整えるように撫でてやれば、しばらくしてやっとルチアが顔を上げた。その目元が赤く染まっているのを見て、知らず知らずのうちに険のある目つきになっていたのだろう。シルディに窘めるように呼ばれ、軽く息を吐いて表情を消した。
「黙っていては分かりませんよ、ルチア。どうしたんですか」
「……レンツォ、ぎゅってして」
震える声で頼まれ、レンツォはすぐさま小さな身体を膝の上に抱き上げた。軽く腕を回せば「もっと!」と叱り飛ばされたので、潰さない程度に力を入れてきつく抱き締めてやる。
胸元に頭を預けてきたルチアが、物憂げな吐息を零したのが気になった。子供らしからぬ妖艶さは今に始まったことではないが、それにしたって今日はいつもと違いすぎる。