月に祈る〜2012シエラ誕〜 [ 81/143 ]
いつだって思う。
生まれてきてくれてありがとう。
*月に祈る*
今にも消え入りそうな細い三日月が、空に引っかかる夜だった。
ソファの肘置きに頭を預けて眠るシエラにそっと毛布をかけてやってから、もう何時間経っただろう。薄茶の毛布に散る蒼い髪が暖炉の炎に照らされて、いつもとは異なる表情を見せている。柔らかそうなそれは変わらないくせに、不思議な感覚だ。
今日は随分と忙しかった。朝から魔物退治に走らされ、冷え切ったアスラナの風を全身に浴び、一息つけた頃にはすっかりと日が落ちてしまっていた。ロザリオを構え、神気を纏わせて毅然と振る舞う姿を思い出すと、出会った頃に比べれば幾分か成長したのだと実感する。今の彼女は、もうロザリオを握ることを迷わない。金の双眸が揺れることなく魔物を見据えるたびに、胸の奥がきりりと痛む。
なんとはなしに、エルクディアは小さく溜息を吐いた。
すうすうと穏やかに寝息を立てるシエラの横顔を見ていると、自分達の立場を忘れてしまいそうになる。
今日も、明日も、ただ穏やかに過ごすことが常であると思ってしまう。
そんなこと、あるはずがないのに。
「でもま、明日くらいは平和に過ごせるといいな」
時計の針に目をやれば、もうすぐ二本の針がぴたりと重なる頃合いだった。
飲んでいたコーヒーを一度ガラステーブルの上に置いて、指先が温もっていることを確認してから、そっと頬に触れてみる。それでもシエラは身じろぎ一つしない。警戒心など欠片も見られない安心しきった寝顔に、喜べばいいのか悲しめばいいのかと複雑な気持ちになる。
それでも、眉間にしわ一つないこの寝顔が愛おしいと思った。
どこか大人びたいつもの表情はとても綺麗で、美しいと表現するのがぴったりだけれど、無防備な寝顔は少し幼くてかわいい。そんなことを言えば、きっと彼女はぎゅっと眉根を寄せて、唇を尖らせて言うのだろう。「私に世辞は通じないぞ」と。
目元にかかった前髪をよけてやると、彼女は幼子のようにきゅうっと体を丸めて毛布にくるまった。
カチリ。
静かな音を立てて、時計の針がぴたりと重なる。
「……誕生日おめでとう、シエラ」
眠りに落ちた耳元に、そっと感謝の言葉を流し込む。生まれてきてくれてありがとう。
神の後継者としてではなく、一人の人間として。
「このまま寝かせてやりたいけど……、風邪引くから向こう行こうな」
また来年も、こうして「ありがとう」が言えますように。
消えて、そしてまた満ちていく月に、祈りを捧ぐ。
+ + +「――で。そこで終わるかと思って見てたんすけどねー。
あ、見てたって言っても、そうたいちょーに報告があったからっすよ? そんな覗き見とかじゃないっすよー。
だってそうたいちょー、俺が部屋に入ったことまっっったく気づいてないんすもん。ちゃんと声かけましたよ、もちろん。いやね、でもね、なんつーかもう、シエラちゃんしか見えてないっつーか。
んで、ですよ。『風邪引くから向こう行こうな』ってとんでもなく甘い声で言ったかと思ったら、毛布ごとお姫様だっこっすよ! いやー、モテる男は違うなーとか思ってたんすけど。
なーんか、動かないんすよね。そうたいちょーが。急に。ぴくりとも。
どーしたのかなーと思って見てたら、シエラちゃんを上から覗き込んだ状態で、固まってんすよ。どーてーでもあるまいし、寝顔くらいでそんなーとか思ってたんすけど。
そっからなにしたと思います?
おもむろにシエラちゃんの前髪を掻き上げて、おでこにちゅって!!
そんで、もうびっくりするくらいの切ない声で『……おやすみ。おめでとう、シエラ』って!!
寝込みを襲うとかそうたいちょーパネェっす! うちのたいちょーも、それくらいやってみせたらソラちゃん喜ぶんでしょーけど。
え? そのあと?
シエラちゃんがもぞもぞしたんで、顔真っ赤にしたそうたいちょーが慌てて据え膳逃亡してきましたよ。
そんときですかねー。
せっかくかけてた毛布が落ちて、シエラちゃんそのままソファで寝ちまって。
そのあとそうたいちょーと騎士団についての大事な話があったんで、出てきたそうたいちょーに声かけたんすけど……。
あのままだと風邪引くってそうたいちょーに言おうとしたら、あまりにも必死になって『なにもなかった、なにもしてない!』っつーんでそれ以上言えなくて……。
まあそのせいでしょーね。
今朝、シエラちゃん風邪引いちゃってましたよ。
え? ああ、大丈夫っすよ。
うちには優秀な医官がいますし、それに、ライナちゃんとそうたいちょーがつきっきりで看病してますから。
つーか、正直そうたいちょーがつきっきりってマジ勘弁って言いたいんすけど……、ま、しゃーないっすよねー。
こんくらいでいいっすかー?
はい、ありがとうございましたー。
そんじゃまた!
なにかあれば、このサイラス・ファングにお任せを」
〜2012.11.11.〜