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 荒廃した世界の中で、それでも人は夢を見る。


六番街の路地裏の秘密


 これでもかとガラクタが詰め込まれた路地裏は、健康と抜群の運動神経だけが自慢の少年の足をもってしても、歩きづらいことこの上なかった。古ぼけたレンガ調の建物が切り取る空は、晴れているのにどんよりと靄がかかっている。白黒の煙があちこちから出ている光景は、少年にとって当たり前のものだった。
 靴底が捉えたガラスがバリンと鳴いた。こんなところで転んだら、ただの怪我では済まないだろう。どんな病気が「えんまん」しているか分からないから、六番街には、特に路地裏にはけっして近づくなと両親にもきつく言いつけられている。
 あそこはごみ溜めなんだから。心底おぞましそうに言った母を思い出して、少年はべえっと舌を出した。

 ――六番街の路地裏には、あっと驚く秘密がある。
 ひそひそと顔を寄せ合ってそんな話をしていたのは級友達で、少年もその面白そうな話を聞きたくて輪の中に顔を突っ込んだ。「ひみつってなに?」お宝でも眠っているのか。それとも、この町を変える原因になった、十年前に降ってきたという隕石の話だろうか。
 好奇心に輝く瞳は他の子ども達と同じだったろうに、輪の中にいた一番背の高いディックが途端に鼻の頭に皺を寄せた。それに続いて、ラーシェルもヴィンセントもつまらなさそうな顔をする。

「おぼっちゃまには関係ない話だよ」
「どうせお前は六番街にすら行ったことないんだろう」
「一番街の連中はあそこをごみ溜めって呼ぶって知ってるんだからな」

 確かに両親も近所の大人達もそんな会話をしているのを聞いたことがあるが、少年がそんな風に思ったことは一度もない。それに学校には五番街、六番街の子ども達もいる。彼らのことを悪く思ったことなど、神様はおろか大好物のフィナンシェにだって誓うが、一度もなかった。
 しかし六番街に行ったことがないのも事実だ。少年のことを輪から弾いた級友達も六番街に住んでいるわけではなかったけれど、彼らは皆、四番街に家があると言っていた。少年よりは六番街によっぽど近い。
 賑やかな教室の真ん中にぽつんと一人残されて、少年は悔しさに唇を噛んだ。隅では相変わらず、級友達が「六番街の路地裏の秘密」で盛り上がっている。

 ――ああ、そう。分かったよ、行ってやる。行けばいいんでしょう。そうして僕ひとりで路地裏のひみつを見つけて、思いっきり自慢してやる。お父さんもお母さんも危ないから行っちゃだめなんて言うけれど、僕ひとりでだって六番街くらい行けるさ。

 そう固く決意して、蒸気バスを乗り継いでやって来たのはいいものの、路地裏に入った途端この有り様で、もうすでにうんざりしてきているのが実情だった。
 見たこともないくらい狭い路地。散乱するゴミと肥え太ったネズミに、それを追う痩せた猫。饐えたような腐ったような臭いがあちこちからして、汚れた毛布が捨てられているのかと思った場所には、皮と骨だけの人間が横たわっていた。
 なんて場所なんだ。「秘密」はなにか適当に話を作って見つけたことにして、もう帰ってしまおうか。垂れ下がる錆びたパイプに頭をぶつけたとき、そんなことを思った。
 もういいや。踵を返しかけたそのとき、カランカラン――と、この場には似つかわしくない軽やかな音が聞こえた。ドアベルだ。少年の家の近くにあるパン屋にもついていて、ドアを開け閉めするたびに綺麗な音がする。
 なんだろう。足元のゴミを蹴散らして進み顔を覗かせると、角を曲がったところに廃墟と呼ぶ方がふさわしそうな建物があった。割れた窓ガラスは中から紙で塞がれているが、それもところどころ破れて汚いカーテンが風に揺れている。壁はぼろぼろと崩れ落ち、びっしりと蔦が這っている。けれど正面に回り込むと、玄関だけはやけに綺麗だった。ぶら下げられたプレートにはなにかが書いてあったような形跡が見られるが、もう読み取ることはできなくなってしまっている。
 引き寄せられるように、少年は扉の前に立っていた。小さな窓のついた、焦げ茶色の扉だ。金古美のドアノブに手をかけてそっと押し開くと、やっぱりカランカランと涼しい音がした。

「――おや、いらっしゃい」

 扉を開けてすぐに驚いたような声がかけられて、少年はその声の主よりもずっと驚いてしまった。聞こえてきた声は母よりも先生よりももっと若い、優しそうな女の人の声だったからだ。
 同時に、その人の恰好にも驚いた。そう間を置かずに飛び込んだから仕方ないが、目と鼻の先に彼女がいる。すぐそこだ。長い髪を編み込んで胸の前に垂らした女性は、歯車のたくさんついた、古ぼけた車椅子に座っていた。一番街では機械仕掛けの車椅子で移動する老人をよく見かけるけれど、これだけあちこち錆びついていたら、自動では動かないに違いない。捨てられていたものを拾って使っていることくらいは、少年にも理解できた。
 重たそうな車輪を回して、女性は奥へと進もうとする。色褪せたシャツの裾から覗いた細い手首に、少年はどきりとした。

「て、手伝うよ!」

 お邪魔しますもなにも言っていなかったが、そんなことはすっかり忘れて少年は女性の車椅子を掴んでいた。相当力を入れなければ車輪は回らなかったけれど、それでも一度滑り出すとあとは簡単だった。今までの通路と違って、この家の廊下は邪魔なものが落ちていない。
 短い廊下を抜けた先で、少年は女性が「いらっしゃい」と言った意味を理解した。

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