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 この子は一度折れた方がいい。そうして自分の目で見てみない限りは、きっと気づかない。付き合いの浅い他人ですらはっきりと読み取れる深い愛情に、向けられている本人が気づかないだなんて哀れすぎる。
 蹲って膝を抱え、目を閉じて耳を塞いで。今まではそうして生きてきたのだろう。けれど、これはきっといい機会だ。

「わた、し……、だって……」
「お前、なんかあったら『私が私が』で、自分のことしか考えてねェだろ。ちったァ周り見ろよ、ガキじゃあるまいし」

 本当に不器用な男だ。もっと言い方を工夫すればいいだろうに、どうやらこんな言い方しかできないらしい。頑なになってしまっては、届くものも届かないということを分かっていないのだろうか。
 相棒に呆れながら、ナガトは顔を覆って泣きじゃくる穂香の頭を胸に抱いた。冬だというのに汗ばんだ髪の間に手を差し入れて梳いてやれば、嗚咽が次第に大きくなっていく。
 ――そうだね、怖いね。俺も怖いよ。
 胸中で零した呟きは、誰の耳にも届くことはない。

「大丈夫だよ。ねえ、ほのちゃん。ぶつけてみてもいいんじゃないかな? “気を遣ってもらってる”とかそんなこと、一回忘れて、思ってること素直に全部言ってごらんよ。『自分が』ばっかりでもいいじゃない。自分が一番大事でなにが悪いの? それにね、奏なら、きっと受け止めてくれるよ。だって、きみのお姉さんなんだから」

 ――表面だけいい子ぶっているのは、自分も同じだ。ただただ優しい言葉を吐いて抱き締め、あの子の頭もこんな風に小さいのかと思いを巡らせる。けれど、吐き出した言葉に偽りはない。奏ならば、どんな穂香でもきちんと向き合うだろう。
 むしろ、穂香が自身を優先させることに安堵するに違いない。あの子は誰よりも穂香のことを思い、そのために自ら犠牲になろうとするのだから。
 アカギはそんなナガトと穂香を見て、居心地悪そうに顰め面をしていた。泣かせたことを悔いるくらいなら、初めからもっと言葉を選べばいいのにと内心舌を出して笑ってやる。
 不器用なフォローをしてくれた相棒に目配せをして、ナガトは今からとてつもなく大きな“貸し”をしてやることにした。

「ほのちゃん、思い出してごらん。あのこわーいお兄さん、なんて言ってた?」
「……え?」

 顔をそっと上げさせて、悪戯っぽく笑ってみせる。ちらりとアカギを見やれば、なにを言うんだと怪訝そうに睨まれた。

「『なにがなんでも守ってやる』――そう言われたでしょ? あいつのアレ、本心だから。大方、さっきの『自分のことしか考えてねェだろ』も、『俺のことも忘れんな。必ず守ってやるって約束しただろうが!』的な意味だと思うよ」
「勝手なこと言うんじゃねェよ! 違うわボケ!!」
「ええー? じゃあ、周り見ろってどーゆー意味なんですかぁー。どーゆーつもりで言ったんですかぁー。ほのちゃん守るのに必死で駆けずり回ってたの、一体誰なんですかぁー?」
「ッ、ナガトぉおお!!」
「あーもう、るっさい! 響くんだから静かにしろよ!!」

 いつもの調子で怒鳴り合えば、泣きじゃくっていた穂香の目から涙が引っ込んだ。そうだ、それでいい。きょとんとしたまま見上げてくる穂香に、ナガトは一つ微笑みかける。小さな頭を優しく撫でて、次に向き合うのは現実だ。

「みんながきみを守ってる。忘れないでね、ほのちゃん。奏も、きみが助けたあのお友達も、みんなきみのことが好きなんだよ。もちろん俺らだって」
「そんなの、だって……」
「疑うなら賭けようか。ほのちゃんが周りに我儘言ってみて、受け入れてくれたら俺の勝ち。そうじゃなかったらほのちゃんの勝ち」
「なに賭けんだ?」
「んー、アカギの財布?」
「ぶっ殺すぞテメェ」
「じょーだんじょーだん。……で、ほのちゃん。なにがいい? 今、一番なにが欲しい?」

 こんなときだからこそ、馬鹿な話をしたかった。なんでもないのだと笑い飛ばして、少しでもいつもの調子を取り戻したかった。笑顔の裏では、艦内のモニターをくまなく追っている。相変わらず赤と白が明滅しているそれは、どこまでも現実を突きつけてくる。
 ――さあ、どう切り抜ける。
 せめてあの子が来る前に、なんとかしなければ。そう思うのに策が浮かばない。テールベルト空軍特殊飛行部は、選りすぐりのエリートだと言われている。なのにこのざまか。
 目を閉じれば、雲の上に広がる青が浮かんだ。空を切り裂く深緑の機体。音速で青の中を駆ける、戦うための翼。この艦にはあの翼がない。あれさえあれば。あの機体さえあれば、あっという間にこんな化け物共を駆逐してみせるのに。
 翼がなければ、なにもできないのか。


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