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「弁えろ、マミヤ士長。現状、許されざる行為をしているのはお前だ」

 冷ややかな声に、頭から冷水を浴びせられたような気がした。「どうして、」足元が急に覚束なくなる。水の上にでも立っているかのようだ。
 彼ならば理解してくれるような気がしていた。淡い期待が確かにあった。
 だが、実際はこうだ。これはただの我儘でしかないのだろうか。この主張は、私的な思いが引き起こした、ただの我儘なのだろうか。
 なにが正しく、なにが間違っているのかが、まったく分からない。もうなにも、分からない。
 眼球の奥で熱い痛みが生まれた。せめて涙だけは零すまいと歯を食いしばったせいで、ずきりと顎までが痛んだ。

「さっきも言いましたが、以前と同じ過ちは繰り返しませんよ」

 言葉を失うマミヤに、ムサシは優しく微笑んだ。
 他の重役達がなにを言うつもりかと、怪訝そうにムサシを見る。そこにははっきりとした侮蔑が透けて見え、この人もまた、嘲笑の上に立つ人なのだと思い出した。

「我々の目的は、ひとまず“緑を取り戻すこと”です」
「おい、それ以上は――」
「聞くまで引き下がらないでしょう、この子は。追い出すことは簡単ですけれど、外で騒ぎ立てられても厄介ですしねぇ。全部知ってもらった上で管理した方が、賢い選択だと思いますよ? なんたってこの子は、特別ですから」

 「それもそうか」と、苦い顔をしたまま頷く男達の姿に、吐き気がするほど腹が立った。
 夢を語る子どもの表情で、ムサシはゆっくりと語り始めた。新たな「緑のゆりかご計画」を。彼らが思い描く、この国の、この世界の未来を。
 ムサシの声は穏やかで耳に心地よいはずなのに、声が零れるたびに寒気が走る。巨大な冷蔵庫の中にいるようだ。あまりに恐ろしい計画の全貌を聞かされ、目の前が真っ白になった。

 白は不吉な色。
 すべてを惑わす、魔の色だ。
 その色が、すぐそこで揺れている。

「――それとも代わりに、君がその身を捧げてくださいますか? テールベルト王家の血を引く、マミヤくん」

 籠の鳥は歌うことしかできない。どれほど羽ばたいたところで、空を飛べるはずもない。――生まれたときから、分かっていたはずなのに。なのにどうして、外を望んでしまったのだろう。
 虚しいだけだと分かっていたのに。
 けれど、それでも願った。
 ――白に立ち向かう勇気が、欲しい。


* * *



 緑の風が吹く。
 優しく、尊い風が。

 この手から生み出されるのは、希望の色。
 この血から生み出されるのは、未来の色。
 この声から生み出されるのは、嘆きの歌。

 魔法なんてないの。綺麗な綺麗な希望なんて、どこにもないの。
 でも、どうか、忘れないで。
 ――ねえ、お願い。
 忘れないで。
 
 翼が抱くのは、白い花。
 愛らしく、けれども毒を宿した、白い花。
 再び来たる幸福を取り戻す。
 そのために、翼を得た人達がいることを、どうか、忘れないで。


* * *



 空から落ちてくるその色に、シナノはぱちくりと瞬いた。薄雲の覆った空から零れてきた白い花は、手のひらで受けるとあっという間に溶けて消えていく。
 世間一般には雪はあまりいい印象を持たれていないと聞いているが、シナノはこの儚い花が好きだった。特に、寒椿に化粧を施す雪など最高だ。冬でも青々と色づく肉厚の葉に、真っ赤な花びら。白い雪を被れば、より一層その色が引き立って美しい。
 付き人のハマカゼいわく、雪は白の植物を連想させるから嫌われるらしい。生まれたときから白の植物とは無縁の特別浄化区域で育ったシナノにとって、世間の常識は己の非常識でしかない。
 しばらくなにをするわけでもなく庭先で雪と花を楽しんでいたが、さすがに身体が冷えてきた。足袋の中では、小さな指先が冷たくなっていることだろう。落ち着いた深緑の着物の裾を上品に捌きながら階(きざはし)を上りきったところで、自室から出てくる人影に首を傾げた。

「ハマカゼ? なにを持っているの?」

 シナノが不在の間に誰かが部屋に立ち入ることは珍しくはない。ましてや、身の回りを世話する役目も兼ねたハマカゼとあっては、普段は気にも留めなかっただろう。時代錯誤だと伯父は茶化すように笑ったが、この家には女中だっている。知らぬ間に家具の配置が変わっていることもあれば、箪笥の中の衣服がすべて入れ替わっていることもしょっちゅうだ。
 だが、このときばかりはなんらかの勘が働いたに違いなかった。シナノは急ぎ早にハマカゼに駆け寄ると、彼が手にする小箱を見て整った眉を寄せた。



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