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『囲まれた! 奏、今どこにいる!?』
「え、が、学校の近く。ほのの……」
『さっさと室長さんとこ逃げろ! ――ああくっそ、なんだよこれ!』
「ナガト!? なあ、どうしたん!? あんたらどこにおるんよ!」
『いいから、とにかくきみは室長さんとこ行って! その高校じゃ集団感染が起きてる! 元凶の核は破壊したけど、感染者がうじゃうじゃいるから今すぐその場から離れろ、いいね!?』

 絡みつかれた。囲まれた。その言葉から想像するに、事態は深刻に違いない。
 どうしよう。どうすればいい。足が竦み、頭が上手く回らない。汗ばかりが滲み、下手くそになった呼吸が脳に酸素の供給を遅らせる。これなら、小学生でももっと上手く深呼吸できるだろう。
 判断力を鈍らせるのは、冷静さを欠いているからだ。落ち着かなければなにもできない。そう分かっていても、すぐには落ち着けない。震える手を反対の手でぐっと押さえ、携帯を耳に強く押しつけた。
 小さな機械の向こう側で、ミーティアの元へ急げとナガトが叫ぶように言っている。
 縋るようにマフラーを握り締めたとき、指先にひんやりとした硬いものが触れた。深い色合いの赤いマフラーを飾る、花の形のストールピンだ。ナガトと買い物に出かけたとき、帰ってくるなりこれを渡された。「きみに似合うと思ったんだ」屈託のない笑顔が、記憶の中でよみがえる。

『くそ、艦の無線がやられた! 奏、室長さんに応援回してって伝えて! 座標は信号出すからそれで特定し、』
「……そうやん」
『え? なに? なんて!?』

 雑音がずっと邪魔をしている。
 けれど、奏の頭の中は霧が晴れるように拓けていった。

「艦の周りになんか悪いのがおるんやろ? それやったら、あたしがそっちに行ったら、そいつら引き寄せられるんちゃうん?」
『――は!?』

 そうだ、名案だ。
 ミーティアとハインケルによって処方された薬を飲んでいるこの身体は、感染者や白の植物を引き寄せやすい。無論、ナガト達がいないときに引き寄せては困るため、誘発剤となる薬を飲んで初めてその能力が発揮される。
 だとすれば彼らのもとへ自分が行けば、今起きているトラブルから解放することができるのではないだろうか。艦の周囲に蔓延る白の植物が彼らを苦しめているというのなら、それを引き剥がせばいいのだ。
 常にポケットに携帯しているピルケースを、服の上から握り込む。
 ――助ける方法が、見えた。

『おまっ、なに言ってんの!? バカなこと言ってないで、早く逃げろ!』
「逃げろったってどこも安全な場所なんてないやん! ミーティアには連絡する! でもあの人らは、どうせ高校の方なんとかすんのに手一杯やろ!? ならあたしが行った方が早い!」
『バカか!! ちょっと待て奏、今はお前の冗談に付き合ってる暇、』
「冗談なわけないやろアホ! とにかく行くから! ほののことは任せたで!」
『あ、オイ! このバカっ、』

 静止の声は最後まで聞かず、力任せに通話を切った。
 心臓がうるさい。
 アドレナリンが過剰に分泌されているのだろう。人混みを避けて駆け抜ける足は、いつも以上の速さを持っているような気がした。冷たい風が頬を叩く。煽られた髪が唇に貼りついても、奏は構うことなく走り続けた。
 ナガトとは違い、ミーティアは数コールで出てくれた。随分と憔悴しきっているように聞こえたが、それを気にしている暇などない。手早く事情を説明すると、呆れたとはっきり言葉にされ、盛大な溜息を吐かれた。

「馬鹿でしょう、アナタ」

 そんなことは言われずとも分かっている。ミーティアはいつも以上に辛辣な口調で奏を刺したが、それでも早急にナガト達の艦の座標を特定してくれた。ものの数分で携帯に送られてきた地図を確認し、その場所にひた走る。人混みを泳ぐように、時には無理やり押しのけつつ、走った。
 途中、街路樹の葉が白く染まっているのが見えた。どこかから人々の悲鳴が聞こえてくる。
 ――日常が壊れる音が、あちこちで鳴っている。
 いつの間にか、白はここまで迫ってきていたのだ。人々が目を背けている隙に、すぐそこまで迫っていた。すべてを染め変える無情な白。この世界では無垢の象徴であるはずのその色が、悲しみと絶望を引き起こす。
 どうしてこんなにも必死に走っているのか、自分でも分からない。穂香のため? 確かにそうだ。そうだけれど。
 ひゅうひゅうと音を立てる気管が、もうすでに悲鳴を上げ始めている。今足を止めれば、その瞬間に膝は砕けてしまうことだろう。そうなってしまったら、きっともう走ることはできない。だからこそ、奏は走ることをやめられなかった。
 どれほど身体が熱くなっても、奏は強くマフラーを握り締めて離さなかった。一緒に握り込んだ花のストールピンは、決意の欠片だった。こめかみから伝った汗が、そこにぽつりと雫を落とす。
 幼い頃、夢見たことがある。
 真っ白なウエディングドレスに、色とりどりの花のブーケ。“お嫁さん”の白いドレスは、憧れだった。世界で一番綺麗な色だと思った。なによりも美しく、幸せをもたらす色だと。

「でもっ、こんなんちゃうやろ……!」

 それが幸せを奪うというのなら、たとえ何色であろうと許せはしない。


【15話*end】
【2016.0119.加筆修正】


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