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 守ると約束してくれたけれど、はたしてそれは本当に叶うのだろうか。このプレートで起きている悲劇から。ハインケルを縛るありとあらゆる制約から。あるいは、理由の分からない恐怖からも。
 ビリジアンは英雄の国だ。そこに偽りはない。けれど、テールベルトが下した結論は、きっと、もっと恐ろしい。
 あの国は、鳥籠のようなものだから。

「……ブランが」

 ――ハインケルの頭にあることはすべてが機密事項と思え。機密は漏らすな。漏らせば厳罰に処す。
 暗闇の中で刻み込まれた台詞を思い出し、途端に震えだす身体を己自身の腕で抱き締めた。
 あれは誰に言われたのだろう。政府高官か。研究施設のお偉方か。それとも、軍部の総司令官か。覚えていないけれど、とにかく怖かった。記憶が遠く、思い出そうとすれば霞んでしまう。常人よりも遥かに優れた記憶力を持つハインケルには、普段ならば考えられないことだった。

「ブランがどうなさいました?」
「……ブランが、結合してる。非白色化植物で、ブラン結合が起こってる。――知ってのとおり、ブラン結合は本来は白の植物固有の現象だ。でもこのプレートの緑は、“緑のまま”ブラン結合している」
「それは以前にもお伺いしましたわ。それに、そのくらいアタシも――……」
「なら、“緑”とはなんなのか」
「え?」

 非白色化植物に生じたブラン結合。研究者ならば誰もが簡単に気づくようなことに、優秀なミーティアが気づかないだなんて思ってもいない。
 こんな現象は誰でも気づける。
 ――わざわざ、ハインケルとミーティアが出てこなくてもいいほどに。

「僕らのプレートでは、ブラン結合によって白色化が伝達していくと考えられていた。ブランは記憶そのものだ。進化には欠かせない。だから、“白”はそうやって引き継がれていくものだとされていた。けれど、ここではそうでない。少なくとも、このプレートにおいて、緑が失われる原因がブランではない。ならその原因は? 核(コア)はどうやって広がっていった? どうして、今まで“誰もこのことに気がつかなかった”?」

 ハインケルが来る前から、このプレートでの汚染は確認されていた。ならば真っ先に調べられているはずだ。そこで非白色化植物の調査が漏れていたとは考えられない。
 あれも、これも。この地域で採取したサンプルのほとんどが、“緑のまま”ブラン結合を起こしていた。
 ブラン結合は本来、“白の植物”が“緑”を侵食する際に生じる現象だとされている。

「このプレートの他の地域には、多くの特殊飛行部が派遣されている。けれど、この地域にはあの二人しかいない。――どうして? どうしてこの地域だけ、“白色化”そのものの進行は遅いのに、コアが集まっているの?」
「博士……、なにを仰りたいのかしら。それはまるで、」
「ブラン結合の有無も、進化の遂げ方も、このプレートのサンプルを見ていれば誰にだって分かる。もっとずっと前から、この研究が行われていたとしたら?」

 見上げたミーティアの表情が強張った。

「……ぼくは、研究室に籠もってばかりで、外の世界を見ようとはしてこなかった」

 抱き締めたスツーカが小さく鳴き、どうしたのとでも言いたげに羽を震わせた。くたくたの白衣の裾をぎゅっと握り締める。
 分厚いガラスに囲まれて、たくさんの機械に囲まれて、そうして顕微鏡を覗き込んだ緑の世界は、安全そのものだった。恐ろしい白の世界は、ずっと遠くのものだと思っていた。
 ヒトがヒトでなくなるその現象はどこか遠いところにあって、目の前に存在するサンプルは現実離れしていた。あくまでもそれはモノでしかなかった。白の中に身を置きながら、最も白から遠いところにいた。そうしてずっと目を背けていたのだ。
 ハインケルは己の小さな手のひらを見つめて、自然と込み上げてきた涙を堪えきれぬまま一つ頬に滑らせた。

「“ハインケル”の価値は、テールベルトにとって絶対だと思ってた。それが、そもそもの間違いだったんだよ」

 不思議だった。どうしてこんな簡単なことに誰も気づかないのかと、ずっと疑問に思っていた。その答えはすぐそこにあったのだ。ハインケルの足元に。あるいは、すでにこの手の中に。
 どうして誰も、この現象に気づかないのか。どうして今、自分がここにいるのか。
 考えれば、すぐに分かることだった。

「気づくのが遅すぎた。――だから、僕が選ばれたんだ」

 ――そして、英雄の国の出である、あなたも。
 凍りついたミーティアの漆黒の双眸を、長い前髪の隙間からそうっと眺めた。綺麗な人だと思う。彼女はどれほど世界を見てきたのだろう。きっと自分よりもずっと多くの現場を見て、そうしてここまでやってきたのだ。
 けれど、それでも足りなかった。
 世界は広い。
 ハインケルの小さな世界など、指先一つで潰してしまえるほどに。




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