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 ライナは早くも結界の強化に取りかかり、早口で祈りを捧げている。到底口の利ける状態ではなかった。相談はできない。考えろ、どうすればいい。どうやって切り抜ける。今にも欠けそうな月を睨むように見て、シエラは強くロザリオを握った。
 脳裏に描くのはフォルクハルトの得意とする大技だ。
 水の塊が爆発し、魔物を飲み込んでいた。派手だが、どこか美しさも感じる水の威力だった。指先からひんやりとした気配が全身を包み込んでいく。暗闇でも魔物を見据えることのできる金の双眸が、砂漠の中に泉を見出した。

「<──アクア・プラッツェン!>」

 ドォン、と、爆音を轟かせて水が弾ける。その爆発は一ヶ所にはとどまらず、連鎖的にあちこちで水の塊が爆ぜていく。それはタドミールだけでなく、バスィールを取り囲んでいたオーク達をも襲った。直撃したオークは苦しみに喘ぎながらのたうつ。肌が焼けたように爛れ、ぼたぼたと血を流して転げ回った。
 だとすれば、次にすることは一つだ。ここは清らかな結界の中にある。

「<聖砂、泉となって魔の者を飲み込め>」

 聖水がしみ込んだ砂の大地が、突如として波打ち始める。聖なる力を吸い込んだ砂は、濡れて傷ついたオークの肌に容赦なく纏わりついて浄化していく。威力自体はそう大きなものではないが、戦力を奪うには十分だ。
 近くにいた部下を盾にして攻撃を防いでいたタドミールが、その眼差しに怒りを宿して斧を振った。

「小癪な真似を……青虫の分際で!」
「<光矢!>」
「うるせぇっ!!」

 同時に放った三本の矢を大きな斧で振り払い、タドミールが吠える。その声は並の人間なら震え上がっただろう恐ろしさを孕んでいたが、シエラは神とさえ対峙した人間だ。この程度で臆してなるものかと、小さな拳を握り締めて力を込めた。
 タドミールが結界を壊そうと斧を振り上げたが、オークの手を逃れたバスィールが阻むように氷柱を振りそそぐ。その一本が膨れ上がった肩に突き刺さり、地底の王は大喝した。彼の意識が逸れた隙に、すかさずシエラが矢を射ち込む。
 結界の外から集まってきたオークの軍団があの手この手で破ろうと攻撃を仕掛けてくるが、絶え間ないライナの詠唱がそれを懸命に抑え込んでいる。
 ヴィシャムとフォルクハルトがいれば、少しは楽だったろうか。彼らとて今頃、この集団と対峙しているはずだ。
 ピシ、と、シエラが築いた神聖結界にひびが生じた。濃すぎる魔気にあてられているのだ。ライナが金剛殻を重ねてくれているが、どちらも破れるまでは時間の問題だろう。今のシエラでは、守りに集中しながら戦うことはできない。その逆もまた同様だった。
 バスィールが高く吠える。かすかな月明かりを浴びて荘厳に輝いた白銀の狼は、氷の華を散らしながらオークを蹴散らしていく。
 突如、大地すら震わせる凄まじい咆哮が空を満たした。一瞬誰もが動きを止め、オリヴィニスの夜空を見やる。数多の竜が埋め尽くすそこに、闇に溶ける邪竜が見えた。その翼が輝いている。
 ──氷だ。
 暗闇の中に、シエラは見た。墜ちゆく邪竜の腹を、優美な水色の竜が食い破る。その口の中には竜玉が残っているのだろう。
 ──終わったのだ。空の戦いが終わった。
 このオリヴィニスを、そして竜の国を穢そうとせん邪竜を、彼らは屠ったのだ。
 シエラ達のいる場所からは少し離れたところに邪竜が墜ちる。それでも足下が大きく揺れた。響く音は激しいものであった。空に光が灯っている。氷狼と共に現れた竜が放つ光線だ。

「邪竜がやられた……? うそだろ、オイ……前はこんな……! クソッ!」

 邪竜の敗北を見て、タドミールの顔から一切の余裕が抜け落ちる。彼は焦ったように踵を返し、誰よりも速くその場から離れようと駆け出した。よもや逃げようというのか。王のそんな姿を見て、配下のオーク達が混乱の声を上げる。
 シーカーが言っていた。こいつらは決して賢しいものではなく、王さえ倒してしまえば有象無象の衆に過ぎないのだと。

「させるか! ──ジア!」

 バスィールの氷が行く手を阻むも、混乱しながらも王を守ろうとする──あるいは、ただ縋ろうとしているだけなのかもしれないが──オークの大群が押し寄せてきて、到底とどめを刺すどころではない。
 あろうことか、タドミールは仲間を盾にして攻撃を防いでいるのだ。
 あともう少しだ。もう少しで、魔魂に手が届く。真名を紡ぎさえすれば、あんな外道の浄化は容易いというのに。


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