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 ライナの生み出した風の結界で飛び道具を弾いたが、それだけでは迫りくる彼らの手までは阻めない。バスィールが地を蹴り高く跳躍したが、顔のすぐ脇を鉄球が掠めていった。あんなものが当たれば、人間の頭蓋など容易く砕けてしまうだろう。
 夕陽に照らされた銀毛が逆立ち、バスィールが氷のブレスを放つ。一直線に放出された冷気は触れるものを軒並み凍らせていったが、オークの何体かが凍りついたところで、周囲の仲間達が構うことなく彼らを薙ぎ払って突進してくるのだからきりがない。
 バスィールは彼らの投じる武器を避けながらも、背に跨るシエラ達を振り落さないように体勢を整えているようだった。

「逃げ回ってるだけじゃ話になんねぇぞ! 来いよ、姫神! それともこの数じゃ足りないかぁ?」

 なめし皮を巻いた腕を振り上げ、タドミールは斧を掲げた。魔気が膨れ上がり、辺りに霧散する。
 ぼこ、と彼の足元が煮立った様に沸いたかと思えば、どす黒い手が砂の大地から“生えてきた”。それは異様な光景だった。何本も何本も手が生え、やがてそれらが水から上がるようにして地面から──地底から、のっそりと地上に姿を現す。
 遠くからも呼びかけに答えるように、オークの軍団がこちらに向かってきているのが地響きで分かった。
 
「数が多すぎるっ」
「結界を強化します! せめて外の集団は防がないと……!」
「私はこの中の奴らを──……、ジア?」

 シエラの背後でライナが神言を唱え始める。わざわざ結界の強化を宣言したのは、詠唱に集中するために受け答えができなくなるからだろう。実際、ライナは気を散らしたシエラを訝るように見たが、口を挟もうとはしなかった。
 神聖結界および物理攻撃を防ぐ金剛殻(ダイヤモンド・シェル)をより強固なものにするには、詠唱の省略や破棄は許されない。ライナはさらに、そこに己の血を混ぜて、聖血の結界を施そうとしているところだった。
 砂が舞い上がる。踏み込みと同時に投げられたオークの槍が、バスィールの耳を掠めていく。はらりと散った銀毛には、小さな氷の華が咲いていた。
 数多の攻撃をかわしながら、バスィールがなにかを訴えるように小さく鳴いた。結界のぎりぎりのところまで一足飛びに跳躍し、タドミールから距離を取る。
 この氷狼は人語を話さない。けれども、柔らかな銀毛から伝わってくる思いを、シエラは不思議と読み取ることができた。

「ライナ、下りよう。私が二人分の結界を張る! 上手くいかなければあとで強化してくれ」

 ライナは答えない。今はまだ答えられないのだ。神聖結界の強化が終わり、彼女はすぐさま金剛殻の強化に取りかかっていた。だが、それでも意図するところは伝わったらしい。
 シエラの肩を優しく掴み、彼女は軽やかに舞うようにして氷狼の背から跳び下りた。その間も詠唱は途絶えない。ふわ、と総レースの羽織が広がる。それに続いたシエラは、胸元で揺れるロザリオをしっかりと握り締めて前を見据えた。
 神の後継者には、攻守どちらの力も備わっている。神官が専門とする守りの力はそう得意ではないが、シエラとて神聖結界を張り巡らせることはできる。ライナほど完璧に神言を覚えているわけではないが、シエラにとって神言はあくまで滑車の役目だ。奥底に眠る力を汲み上げるためのものだと、アスラナ城に移って間もない頃に青年王から教えられた。
 
「<精霊達、私の声が聞こえるか>」

 他の者であれば神言とも呼べないただの問いかけも、蒼い髪を持つ神の後継者が意図してその唇に乗せるものなら別格だ。
 ライナが強化した結界の中で、柔らかい風が吹いた。そうしている間にも太陽は地平線の彼方に沈み、細い三日月が空の端に引っかかっている。
 聞こえるよ、と、姿の見えない精霊達の声が聞こえたような気がした。

「<魔の者を阻む結界をもたらせ! ──神の後継者の名の下に命じる!>」

 ライナであれば「神の御許に発動せよ」と結んだはずのそれは、清らかな光と共に快諾されたようだった。ちょうど二人を包み込むだけの、小さな結界が生まれたのを肌で感じる。
 金剛殻の強化を終えたライナが、薄汗を滲ませながらシエラに微笑んだ。
 離れたところではバスィールが先ほどとは打って変わった激しい動きで、地を、空を、無尽に駆け回っている。やはりシエラ達を背に乗せた状態では随分と制限をかけていたらしい。鋭い牙がオークの腕を根元から食い千切り、血混じりのブレスが彼らの足を凍らせた。
 彼は目を瞠るほどの強さを見せたが、なにしろこの数だ。いくら氷狼が強かろうと、数の上ではオークの方が勝っている。
 バスィールの庇護下にないシエラ達を捕らえようというのか、武器を振り上げて向かってくるオークも少なくはない。そのたびにシエラは光の矢をつがえていたが、いかんせん数が追いつかない。
 なにか広範囲にわたる大技と、と、思い始めた矢先、白銀の狼が宙を舞った。

「ジアっ!!」

 長い尾をオークに掴まれ、地面に叩きつけられたのだ。氷狼は鳴き声一つ上げなかったが、地に伏した美しい獣を瞬く間にオーク達が取り囲んだ。その中に、タドミールの姿もあった。オークの王は配下の者達に氷狼を押さえつけることを命じるなり、シエラ達の方を見てにたりと笑ったのである。
 バスィールの姿が見えない。かすかに感じる彼の神気が無事を伝えてくるが、淀んだ魔気が充満していて分かりにくい。タドミールが余裕を滲ませた足取りでこちらに向かってくる。

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