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 ルチアの問いかけに淡々と言葉を返すバスィールは今でこそ大人しく馬上に納まっているものの、出発前には一騒動あった。
 シエラが知らないだけで、オリヴィニスの高僧はかなりの賓客――サイラスは珍客だと言っていたが――にあたるらしい。当然、彼には馬車への同乗が勧められた。だが、バスィールはとんでもないと真顔でそれを断ったのだ。
 オリヴィニスの僧侶は贅沢を禁じられている。馬車はその贅沢に該当するので、乗ることはできないと言うのである。ならばせめて馬をと勧めたが、彼はまたしても首を横に振った。挙句の果てには「歩いて付き従うゆえ問題はない」と言うのだから、その場にいた全員を仰天させたのは言うまでもない。
 バスィールの僧衣は幾重にも布を重ねたようになっており、腕を上げれば簡単に袖がずり下がる代物だ。防寒性などあるとは思えない造りに加えて、彼は素足だった。本人はいたって平気そうな顔をしているが、藁を編んだ履物一つ履いていない姿は見ているだけで寒々しい。
 馬と同様の速さで走ることができるとも言っていたが、人の足が馬の脚力に敵うはずもない。頼むから馬には乗ってくれと必死で懇願し、なんとか現状に至っている。

「ルチアはすっかり彼に夢中ですね」
「バスィールは一体何者なんだ?」

 訊ねてみたが、ライナもあまり知らないらしい。それだけオリヴィニスという国が閉鎖的だったということだ。かなり高位の僧侶であることは間違いがないが、具体的にどんな立場の人間かは分からない。
 バスィールのおかげで動けたのは事実だが、事あるごとに自分を拝み倒そうとする彼の態度には正直辟易していた。そもそもシエラは、彼らの崇める“真白き神の御子”などではない。

「ヴィシャムさんとフォルクハルトさんにまで出てきてもらうなんて、よっぽどだよな。シエラ、なにか感じるか?」
「いや。今のところ、特にはなにも」

 エルクディアに問われ、そう返す。
 魔気はなく、嫌な気配も感じない。それはヴィシャムらも同様らしかった。
 この二人もバスィールと同じく、そこにいるだけで大変目立つ人材だった。二人一組で行動しているのだから祓魔師と神官の組み合わせかと思っていたのだが、聞けば二人とも祓魔師だという。神官なしでもう何年も仕事をこなしてきたという二人は、聖職者の中でも大変な変り種に分類されているようだった。
 なにしろ見た目からして違う。他の聖職者のように神父服を纏うでもなく、着ているものは簡素なシャツとズボンだ。ヴィシャムは上流階級の青年のように見えるが、フォルクハルトの方はざんばらの銀髪と鋭い目つきが野犬を思わせる。服装も上品とは言い難いもので、下手をすれば町の破落戸(ごろつき)と間違われかねない風貌だ。

 シエラ自身も城に来て以来、とても風変わりな聖職者がいるということは何度か噂に聞いたことはあった。こうして実際に見てみると、彼らの浮き具合がよく分かる。ライナも「お二人はとても優秀なんですが、同じくらい変わった方ですので……」と言葉を濁していた。
 そこにサイラスまで加わっているのだから、この集団はあまりにも異彩を放っている。
 夢に見た場所はどこだろうかと辺りを見回していると、遠くに遺跡が見えてきた。遺跡と言っても昔の教会跡で、今はただの瓦礫でしかない。ふと嫌な感じがしたのは、その瓦礫を見つけたときだった。
 シエラがライナに声をかけるよりも早く、馬上のバスィールが視線を向けてくる。

「姫神様、あちらですか」

 錫杖が指し示した先は、間違いなく教会跡だった。
 ――驚いた。今シエラが感じているこれは、厳密に言えば魔気ではない。ディルートの海中洞窟に施されていた呪詛に近いものだ。あれよりは比較にならないほど弱いが、それでも妙な居心地の悪さを感じる。
 魔気ではないのだから、よほど接近しない限りライナにも分からない程度のものだ。現に、ライナやヴィシャム、フォルクハルトは反応を示さない。
 だのに、バスィールはそれを感じ取ったとでも言うのか。

「エルク、あの教会跡に向かってくれるか」
「分かった。――サイラス、ヴィシャムさん! 進路を北北西に変更、教会跡を目指してくれ」
「はいよー、りょーかい」
「了解」

 ガラガラと轍の音を響かせて進路を変更した馬車は、滑るようにして進んでいった。
 教会跡に近づくにつれ、徐々にライナの顔つきも変化してく。馬が嫌がって進まなくなったのを機に、シエラ達は警戒しつつも馬車を降りた。気配を辿るようにして瓦礫を探ると、それはあっという間に見つかった。
 瓦礫の隙間から出てきた古ぼけた鏡の破片に、べっとりと血の痕が付着している。触れるのも憚られるような有り様だが、呪詛の塊に比べれば遥かにマシだ。聖水を振りかけて浄化を促すと、辺りに立ち込めた重苦しい空気がふっと軽くなっていくのを感じた。

「呪詛の欠片だろうか……。ライナ、どう思う?」
「あのときのように魔物自身が仕掛けたにしては弱々しいものですが、これが魔物を引き寄せる原因になっているのは間違いがなさそうです。形からして、丸鏡のようですね」
「あと二、三はありそうな形してんな」

 馬上からシエラの手元を覗き込んだフォルクハルトが、そう言って鼻の頭に皺を寄せた。確かに彼の言うとおり、形状からしてあと二、三個は転がっていそうな雰囲気である。だが、これほどまでに広いクラウディオ平原から小さな鏡の破片を見つけ出すのは至難の業だ。
 どうしたものかと考え込んでいたシエラの足元に、極彩色が跪く。


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