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「いやね、ちょっとへーかからのご用命でして。こちらの学者さんは……」
「はいよー。それじゃ、俺は席を外しますかね。また夜にでも飲もうや、フェリクス」
「おう、悪ィな。また誰か使いに走らせるわ」
「どーせならかわいい姉ちゃんで頼むわ!」

 げらげらと笑いながら談話室を出ていくリシャールの背が見えなくなったのを見計らい、サイラスはソファの肘置きに軽く腰かけた。

「――で、どうした。へーかがなんだって?」
「お客さんっす。こないだの美人さん達とは別に、今度はそのー、……オリヴィニスの坊さんが来たとかで」

 ちょうどフェリクスが眉を寄せたタイミングで、医官見習いであるソランジュが談話室に顔を出した。この話はどうせすぐに彼女の耳にも入る。聞かれても支障はないどころか、むしろ事前に知らせておいた方がいいだろう。そう判断して、サイラスは子犬のようなソランジュを手招いてフェリクスの隣に座らせてやった。
 こんなむさ苦しい中年男のどこがいいのか、ソランジュは嬉しそうに頬を染めてフェリクスの横顔を盗み見ている。

「あの、なんのお話をされていたんですか?」
「十番隊の宿舎にお客さんが来るって話。ソラちゃんにもお世話してもらうかもしれないから、一緒に聞いてくれる?」
「それはもちろん。でも、お客さんってことは入隊希望者の方ですか?」

 騎士館にはそれぞれ隊によって宿舎が分けられている。王都騎士団に入団する者はルントアプールの卒業生が多いが、そのままどこかの貴族家の子弟が入ってくることも少なくはない。その場合、入団希望の隊の宿舎に部屋を借り、しばらく生活を共にするのが常だ。
 ソランジュがそのように考えたのはもっともなことで、話を聞いたサイラス自身も最初はそう思っていた。

「ううん、それがちょーっと変わった事情の人でさ。来るのはオリヴィニスのお坊さんなんだってさ」
「オリヴィニス? え、オリヴィニスって、あのオリヴィニスですか!?」
「うん、そー。多分そのオリヴィニス。――アスラナ南東、宗教国家と名高いオリヴィニス共和国だよ」
「オイオイ、ちっと待て。どっかの愚弟とよく似た名前のその国は、ここ百年ほど一切の国交がなかった国だろ。それがなんで急に来た。しかも、賓客だっつーなら城の方に入れんのが普通だろ。二の郭でも三の郭でも、部屋はごまんと空いてるはずだぞ」

 アスラナ南東に位置するオリヴィニス共和国は、フェリクスの言うようにここ百年以上、どの国とも一切の接触を避けてきた。
 資料によれば、かの国は宗教国家であり、ほとんどの国民が国教であるアブヤド教を信仰しているという。国家元首はアブヤド教の高位の僧侶から選ばれ、国政全般の最終決定権を持つ。
 そのオリヴィニスが世界に門を閉ざしたのは、かつて近隣国がこぞってかの国の資源を求めたからだと言われている。オリヴィニスは現在のアスラナと比較すれば遥かに小さな国ではあるが、その豊かな資源はとても魅力的だ。
 各国からの侵攻に激怒したオリヴィニスは、僧侶達が自ら武器を持って対抗した。彼らの信ずるアブヤド教に、「殺してはならない」という戒律はない。無益に奪われるのを防ぐため、オリヴィニスは血の雨を降らせることも厭わなかった。

 そうして、永世中立国を謳うホーリーと同等の――少なくとも近隣から攻め込まれても十分に防げるだけの――武力を身に着け、オリヴィニスは世界に門を閉ざした。
 アスラナとオリヴィニスは陸続きではあるが、国境となっているのは険しい山と深い谷だ。加えて激しい流れの川もある。それを越えるのも一苦労だが、無断で国境を越えようものなら警告もなしに攻撃される。たとえ迷い込んだだけであっても、だ。
 アスラナに残る歴史書は、自国がなにをしたかすべてを記してはいないのだろう。それでも想像はできる。領土拡大のための侵攻を何度も繰り返してきた大国だ。オリヴィニスを傘下に入れようとする動きがないはずがない。
 そしてオリヴィニスはそれを拒んだ。受け入れがたい屈辱として、世界を拒んだ。言うまでもなく、アスラナとの――無論、他国ともだが――関係は複雑である。
 百年以上も鎖国を続けてきた国からアスラナに使者がやって来たとなっては、賓客として最上級のもてなしをするのが当然だ。こちらから働きかけることができない以上、国交回復を狙うには今しかない。

「坊さんは贅沢をしちゃいけない決まりなんですって。とはいえ、この城の中に贅沢じゃない客室なんざあるわけない。使用人の部屋はもってのほか。贅沢じゃなくて修行にうってつけのほどほどに汚い部屋で、安全面も考慮できるつったらこの十番隊の客室だって、へーかが」
「……騎士館ならどこでもいーんじゃねェのか。六番隊とか」
「六番隊の部屋はどこもキレーっす。確かに十三隊の中じゃ、うちが群を抜いて“修行向き”っすよ」

 部屋の隅を黒い虫が走り去るのを見届けたサイラスは、頭を掻き毟りながら溜息を吐いた。

「その坊さんは何人だ」
「確か、えーっと、何人だったかな、真ん中に一人、その周りに四人の、でもって……、あー、多分十人くらい?」
「つーか、なんでそんな話が直接俺じゃなくてお前にいってんだ? なんも聞いてねェぞ」
「ほら、たいちょはそんとき別の会議出てたから。ふくたいちょもいなかったし。で、俺に白羽の矢が立ったってわけなんすけどもー」

 途端に難しそうな顔をするソランジュの勘の良さに苦笑する。彼女にとって、あまり仕事が増えるのは歓迎できないのだろう。それこそ、暇で暇でしょうがない方が誰もが安心する職なのだから。


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