2 [ 426/682 ]

 兵士達の視線が見慣れぬ少女に集中するが、彼女は気にした風もなく「ねえ、あなた、名前はなんてゆーの?」と手当たり次第に声をかけている。

「師匠、あれは――」
「聞いている。それよりも早く行け、藍晶石の間にて陛下がお待ちだ」

 無駄口を叩く暇がないとでも言いたげなオーギュストの様子に、エルクディアが首を傾げるのが見えた。シエラですら感じ取ることのできるピリリとした空気の硬さに、ライナも居心地が悪そうだ。ひりつく空気は、寒さによるものではない。
 その理由を問うこともできず、まっすぐにユーリの待つ部屋へと案内された。長い廊下を進む間も、肌を焼くような感覚に襲われる。
 ――二ヶ月ぶりのアスラナ城は、シエラ達を拒むかのようだった。

「……エルク」

 藍晶石の間が見え始めた頃、それまで口を閉ざしていたオーギュストが静かにエルクディアに呼びかけた。晴れた空色の双眸が、鋭さを増してエルクディアを捉える。口を挟むこともできずに盗み見ていると、老騎士は一度強く己の拳を握り締め、言った。

「お前は、王都騎士団の総隊長じゃ。ゆめゆめ忘れるな」
「え、ええ……」
「分かっておるならいい。……ほれ、はよう行け。老いぼれはまだやることがあるでな、これにて失礼仕る」

 大剣を背にしているとは思えない身軽さで腰を折ったオーギュストは、踵を返すなり颯爽と立ち去っていった。その後ろ姿からは歴戦の戦士の風格が漂っている。だが、僅かばかりの悲哀と疲労が立ち昇っているような気がして、なんとも言えない違和感が押し寄せてきた。
 城を包むこの雰囲気といい、オーギュストの様子といい、出立前のアスラナとはなにかが明らかに異なっている。誰もがそれに気がついているのに、三人が三人、誰も口には出さなかった。出せなかったと言う方が正しいのかもしれない。久方ぶりの帰還に心が落ち着くことはないまま、シエラ達は青年王の待つ扉をくぐった。

 分厚い扉の向こうでは、暖められた空気が真っ先にシエラ達を迎えてくれた。ふわりと柔らかい風に頬を撫でられ、次いで窓からの陽光を反射させるシャンデリアの光が目に入る。赤い絨毯の向こう、背が高く立派な椅子に、純白の法衣を纏ったユーリが足を組んでこちらを見下ろしていた。
 青海色の瞳は、ホーリーの海を思い起こさせた。ルチアの頭から、テュールが喜びの声を上げて飛んでいく。青年王は小さな竜を快く受け入れ、胸元を飾っていた宝石を一つ毟って与えてやっていた。
 扉が閉じられる前に、部屋の両脇に立ち並ぶ兵士達に下がるよう青年王は命じた。人払いの済まされた広い室内は、途端にがらんとしてより広くなる。

「おかえり、みんな。無事の帰還、心より嬉しく思うよ」

 ――ああ、そうだ、この声だ。
 シエラを笑顔で迎えたユーリは、段上の椅子から降りてくると、同じ高さで椅子を勧めてきた。ホーリーで見た海と同じ深い青の双眸が、すぐそこで柔らかく弧を描いている。青年王の豪奢な法衣からは、どこか妖艶な香りが漂っていた。
 いくつか挨拶を交わしている間、ルチアは青年王を興味深そうにじっと見つめていた。さて、どう紹介しようか。エルクディアに助けを求めるように視線を上げた折、ルチアが自ら高く手を挙げて「あのね!」と声を張った。

「あのね、ルチアね、ルチア・カンパネラってゆーんだよ! ルチア、シエラと旅をするために来たの! ぜったい、ぜぇったい役に立つよ! あなた、ユーリってゆーんでしょう? 仲良くしてねっ」
「おやおや、随分と元気なお嬢さんだ。ようこそ、アスラナへ。――事情はすでに聞いているよ。ホーリーから早文が届いた。アスラナは、この子を正式に留学という形で迎えようと思う」

 隣で複雑そうな顔をするエルクディアには気づかないふりをして、シエラはルチアの頭を撫でた。「よかったな」微笑めば、少女は花が咲くような笑みを浮かべて頷く。その身に毒を宿しているとは到底思えない、無邪気な笑みだ。
 大きな格子窓から差し込む日差しが、床に光の文様を描く。日が差せば光で花を描く細工が施された窓ガラスは、一瞥しただけではさほど意匠が凝らされているようには見えないのだから不思議だ。
 床に咲いた光の花を踏みながら、ルチアがユーリに飛びついた。もうこの程度のことには慣れているのか、エルクディアもライナも驚いたそぶりを見せない。少女をしっかりと膝の上に抱きかかえ、青年王はより一層笑みを深くさせた。

「まるでリラの花のようだね」

 ルチアの髪を指先に絡ませて、ユーリがそんなことを言う。
 リラの花と言えば、美しい紫色の花弁と甘い香りを放つ人気の花だ。子ども相手によくそんな賛辞がするする出てくるものだと感心していたら、それまでルチアに向いていた視線が順にシエラ達を追った。
 なにも言われずとも、空気が変わったのを肌で感じる。アスラナ城のこの部屋も、ユーリも、出立前となんら変わりがないはずなのに、なにかが違う。奇妙な違和感は、シエラの胸の内をじりじりと焦がしていくかのようで気持ちが悪い。
 息苦しさを感じたシエラが無意識に手を伸ばしていたのは、かっちりと閉ざされた神父服の奥にあるホーリーブルーの首飾りだった。ひんやりとした石の温度を鎖骨の辺りに感じると、それだけで少し胸が軽くなるような気がする。聞こえるはずのない潮騒が、耳の奥で木霊した。

「それで、ホーリーはどうだった?」
「それももう聞いてるんだろう?」
「ああ、もちろん。フェリクスからもね。けれどほら、君達の口からもきちんと聞いておかないと、意味がないだろう?」


[*prev] [next#]
しおりを挟む


人気急上昇中のBL小説
BL小説 BLove
- ナノ -