14 [ 216/682 ]

「なんのことかさっぱりだな。一体なんの話をしてるんだか。……それにしてもさすがはライナ。動じない、か」
「幸か不幸か、実力行使に出られることは慣れていますので」

 普通の娘ならば怯えるだろう眼差しにも、ライナは気丈に対応してみせた。口の端には冷笑さえ刻まれる。
 今彼女の目の前にいる男は、シエラと接するときのような優しいだけの存在ではない。むしろ真逆の、押し隠してきた彼の持つ冷やかな影の部分。かといって普段が偽りの姿だったわけではなく、どちらの彼もエルクディア・フェイルスその人だ。
 豹変と呼んでもいいほどの変化に平静を保っていられたのは、昔を知っていたからだ。彼と知り合って間もなかった頃は、常にこの調子だった。
 あの頃の彼は今のような朗らかさ、快活さが嘘のように刺々しく、周囲を蔑んでいた。誰も心から信用せず、信じているのは自分とその力のみ。――今の彼しか知らない者にしてみれば、そんなことこれっぽっちも信じようとしないだろうけれど。
 だがライナからしてみれば、あのエルクディアが『普段』の彼に変化したことの方が驚きだ。
 いくら丸くなっても根底は変わらない。戦場に立つ折は牙と爪を研ぎ澄ましていると知っていたし、理解していた。精神的にも肉体的にも追い詰められている極限状態においては、彼の本能とも言うべき部分が呼び覚まされることなど予想の範疇内ではあった。
 とはいえ、ライナの体は危険を察知して警鐘を鳴らし続けている。頭で考えていることを容易く裏切り、手足は小刻みに震えて恐怖を知らしめるのだ。
 指一本分の距離を保ち、エルクディアがぐっと顔を近づけてきた。焦点の合わない近さにある彫刻のような顔にぞっとする。

「……貴方は、なにがしたいんですか」

 あの子が欲しいのか、それとも自分を保ちたいのか。今こうしているのは、一体なんのための脅しなのか。
 エルクディアは不快そうに眉根を寄せ、一つだけ嘲笑を零してすっと身を引いた。怒気に彩られた背中が向けられる寸前、唇を掠めていった熱にライナは言いようのない苛立ちを感じる。
 どうあっても口を割らないつもりなのか。そして、割らせないつもりなのか。

「行くぞ、ライナ」

 それきり、二人は貝のように口を閉ざした。


+ + +



 ――なにがいけないんですか?
 ――昔の悪い癖が出ましたね。

 お前になにが分かる。物言いたげな目で見つめられて、思わずそう口走りそうになった。かっと頭に血が昇って、竜の咆哮のように体中が滾るのを感じているのに、どうしてだか心だけはすうっと熱が引いていくのが分かった。
 後ろからついてくる小さな足音は、疲労と不安を隠せてはいない。それなのに気丈に振る舞って、説教じみたことまでしてのける年下の神官に尊敬とも呆れともつかない思いを抱いた。
 誰も彼もが同じことを言う。エルクディアの気持ちを知りたがる。
 どうして放っておいてはくれないのかと、先へ進みながら毒づいた。暗い廊下が、今の心をそのまま写し取ったかのようで苛立ちさえ覚える。
 両側の壁には古くなってはっきりとしない絵画が何枚も飾られていた。配置の美しさを微塵も考えていない、飾るというよりは単に並べられただけの美術品の数々が異様だ。
 額縁の欠けた一枚の絵に目を向けて、頼りない灯りを近づければそれが美術品でないことを知る。――いや、この城の主にとっては、なによりの宝だったのかもしれない。
 この廊下に所狭しと飾られている絵画は、立派だったのであろう額縁には不釣合いなほど拙い子供の力作だった。もう絵の具はすっかり色褪せてしまっているが、人の絵の隣には下手くそな字で父様とご丁寧に記してある。
 おそらくその隣に書かれていたのは母親だったのだろう。二人の大人の真ん中には、小さな子供の名残がある。
 あまりにもじっと見入っていたからか、ライナが小さく咳払いをして歩みを促してきた。無言で歩き出し、唐突に思い出したのは、彼女が口にした『昔』より少し前のことだ。
 屈託なく笑う無邪気な子供。「あなたはだれ?」不安そうに揺れる瞳がよみがえり、その姿がふいに蒼い影と重なった。



[*prev] [next#]
しおりを挟む


人気急上昇中のBL小説
BL小説 BLove
- ナノ -