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 悔しかった。
 突きつけられた事実を前に、直視することも目を逸らすこともできずに、それを持て余す自分がなによりも。


+ + +



 アスラナ王国は、世界で最も栄えた国だ。リロウの森があるせいで他国よりも魔物の発生率は高いが、聖職者養成にかけては右に出る国は存在しない。
 王都には当然高位の聖職者が集まり、地方にも優秀な聖職者が派遣されている。出身国を問わないその制度が功を奏し、アスラナを聖なる巨大国家へと導いていった。
 王都クラウディオには、誰もが絶大なる信頼を寄せている。最高祓魔師がいるという安心感から、十分に商売にも集中できた。
 特にアスラナの経済を支えているのが、東の地域で採れる銀である。それは聖職者の持つロザリオや魔除けの道具に作り替えられ、今やなくてはならないものとなっている。
 昔はロザリオというと、祈祷時に祈りの回数を数えるための木製の数珠だった。
 それが今では純銀製の十字架へと姿を変え、聖職者達の象徴だ。胸に下げられた銀の輝きを目にすると、人々は感謝の念を示し、快く聖職者を迎え入れる。
 不安の闇を薙ぎ払う聖なる光を、誰もが希望としていた。
 そうして経済力、軍事力共に群を抜く大国は日々発展の一途を辿り、身分を問わず人々に強い印象をもたらしている。

 神が生みし国アスラナに、敵う者はなし――そう語り継がれるほど。

 そんなアスラナ王国の王都クラウディオは、現在とても賑わいを見せていた。
 朝の目覚まし鳥の声を聞くよりも早く民衆は目覚め、いそいそと仕度を始める。
 パンの焼ける香ばしい匂いがあちこちから漂い、レンガ調の地面を叩き鳴らすのは商人だったり住民だったり、はたまた城内城下の警備兵だったりと様々だ。
 時折馬のいななきと、馬車の轍がガラガラという音を立て、人々の笑声に紛れ込む。
 城からあの知らせが届いてからこの一ヵ月、人々は今か今かと待ち構えていたのだ。王都の中心街、高級宿場には予約が殺到し、それ以外の宿もすでに満室だった。
 普段から多い王都への出入りはさらに激しくなり、誰も彼もが慌ただしく駆け回っていたように思う。
 それもすべて、今日という日のためだ。
 並みでない忙しさを、グローランスの紅茶店も例に洩れず感じていた。
 重たい木箱を運び終え、ぐいっと背伸びをしたセルラーシャは真っ青な空を見上げて頬を緩める。

「『神の後継者様お披露目会』かあ。シエラさん、こういうの嫌いそうだなあ」

 塀に張られた告知紙には、文字と一緒に蒼く長い髪を持つ女性の後ろ姿が描かれている。
 王国誌(新聞)も今日のことで持ちきりで、浮かれきった街の様子が手に取るように分かる。
 セルラーシャは短くなった暁色の髪を手でそっと直し、今晩への期待を膨らませた。
 今日は一般国民も城へ、それも王の住まう王宮のすぐ近くまで足を踏み入れることが許される日だ。
 普段、城の内部まで立ち入ることが許されているのは、貴族や聖職者、騎士、兵士らに限られる。外庭ならば昼の間だけは民衆が入ることはできるが、奥まで入ることは不可能だ。
 グローランス家のように城へ商品を納品しているような商人達は、特別な通用門から出入りしている。その際にはきっちりと身分証明をすることが必須で、少しでも怪しいところがあれば通してはもらえない。
 だが今宵は、心の広い国王の計らいで、奥庭まで入って神の後継者を拝むことができる。
 広い庭園に人々は集められ、王宮の料理人が腕によりをかけた料理を堪能できるのだ。それは人々にとって、とても魅力的なことだった。

「おい、セル。準備できたか?」
「もうすぐ! 急かさないでよ、ルーンってば。せっかちなんだか……ら」
「……なんだよ」
「あ、いや、その、あの……なんでもないっ」

 かあっと頬が火照るのを感じて、セルラーシャは慌てて回れ右をした。
 どくどくと早鐘を打つ心臓を抑え、ありえない胸の高鳴りに首を振って全否定する。

 ありえないありえないありえない!
 だって、相手はあのルーンだ。ときめくなんてこと、ありえるはずがない。

 もう一度ありえない、と自分に言い聞かせてちらと目だけで後ろを見やる。
 窮屈そうに首元に指を入れ、眉根を寄せる姿は、汗だくになって斧を担ぐ青年と同一人物には見えない。
 似合っているわけではない。正装しただけで知的に見えるわけでもない。
 むしろ日に焼けた肌と、筋肉質な体格、それから滲み出る気質は貴族とはかけ離れたもので、どちらかといえば浮いている。

(そ、そうだよ。見慣れないから、ドキドキするんだ……!)

 ということは、ルーンも自分が着飾った姿を見て、落ち着かなくなったりするのだろうか。
 ふとそんなことを考えて、セルラーシャは一月前にライナから贈られてきたドレスを思い浮かべた。
 それはまるでどこぞの姫君が身にまとうような、ひらひらとした美しい代物だ。大事に仕舞い込んであるドレスは、この仕事が終わり次第袖を通すことになっている。
 ライナから招待状と共に届いたのは、ドレス二着と燕尾服一着。
 母のマーリエンは今腰を痛めてしまい、店の仕事にも支障が出るほどなので、残念ながら欠席となった。
 出席しない場合でもドレスは好きにしてくれていいとの言葉に甘え、来るべき日に備えて母の分のドレスもきちんとクローゼットに仕舞われている。
 その代わり最高品質の茶葉――それもライナ好みの――を、贈るつもりだ。
 式典自体は日が暮れてからの始まりだが、二人は特別に昼から城へ招待されていた。なんでも夜は相当忙しいらしく、話せる時間をとるのが難しいらしい。
 民間人が立ち入れない城の建物内部にまで入ることが許されているのだから、ほんの少し優越感に唇が持ち上がった。
 ルーンは「うまいもんが食えりゃそれでいい」などと言うが、セルラーシャの楽しみは無論それだけではない。
 想像するだに心が震える大広間で、楽師達の奏でる音色に合わせて優雅に踊る。
 それはきっと、夢のようなひと時を過ごせることだろう。
 自分は『お姫様』ではないけれど、一夜だけでもお姫様気分が味わえるかもしれない。
 華やかなドレスを着てくるくると踊る自分を想像しながら愉悦に浸っていたセルラーシャを、「早くしないと馬車来んぞ」と呆れたように言ってルーンが急かす。

「そんな顔してられるのも、今のうちなんだからね!」
「はあ?」
「見てなさいっ! すーっごく可愛くなって、びっくりさせてやるんだから!」
「はいはい、分かったからさっさと着替えてこいよ。ぼさぼさ頭のまんまじゃ、恥ずかしくて城なんざ行けねぇぞ」

 行った行った、と犬猫でも追い払うかのように手で払われて、セルラーシャはむっと唇を尖らせる。「ルーンの馬鹿っ!」と怒鳴った声は確かに怒っていたけれど、店に飛び込んで階段を駆け上る足音は、随分と軽やかだ。
 その音を聞きながら、ルーンが困ったように眉尻を下げる。

 ああもう、どうしてくれようか。処理しきれない感情が微苦笑となって表に出た。
 ――すーっごく可愛くなって、びっくりさせてやるんだから!


「たく……人の気も知らないで」


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