1.ジアとシエラ [ 20/22 ]

*脛にキス


 ――貴女に触れる許可を、お与えください。



 暗がりの中に、艶めいた金褐色の肌がぼんやりと浮かび上がった。僅かな光を受けて、銀糸の髪がきらりと輝いて見える。不思議な魅力を持つ瞳は、銀に一滴の紫を垂らしたような色合いだ。
 端正な顔立ちに美しい刺青を施した男は、恭しくシエラの前に膝をついて頭を垂れた。長い銀髪が床につき、磨き上げられた大理石に流れを生み出している。室内を満たす柔らかな香の香りに、頭がぼんやりと酔ったように揺れた。
 バスィール・ソヘイル・ジア・マクトゥーム。閉ざされた国オリヴィニスの僧侶は、極彩色の僧衣すら薄闇に溶かしてしまう。人でありながら卓越した雰囲気に、シエラは導かれるように手を伸ばしていた。芸術家達がこぞって後世に残しておきたがるであろう美貌に触れ、犬にでもするように顎の下を撫でる。
 バスィールは瞼を下ろしてそれを受け入れ、シエラの膝元で静かな呼吸を繰り返していた。
 今のシエラは、全身を覆う漆黒の衣を脱ぎ捨て、ゆったりとした純白の布を巻きつけたような衣服に袖を通していた。古い絵画の女神によく描かれているようなそれは、簡素でありながら彼女の持つ魅力を最大限に引き出している。
 白い布地に蒼が流れる。海の青でも空の青でもない、不思議な蒼。それを受け継ぐ人の子は、この世にたった一人しかいない。満月の光を掬い取った金の双眸に、真珠のような輝きを持つ美しく白い肌。薔薇色に色づいた唇が紡ぎ出す言葉は、誰の耳にも心地よい。
 人を越えた奇跡の美貌。
 そう評されるシエラが、細く長い足を組み替えた。衣から素肌が零れる。太腿までもが露わになったが、バスィールはおろか、シエラ本人もまったく気にした風はなかった。

「姫神様、」

 乞うような呼びかけに、シエラはバスィールの頬を撫でていた手を休めた。部屋の隅で蝋燭の炎が揺れ、じじ、と音を立てる。
 寝台に腰かけたシエラは柔らかなそこに腰を沈めたまま、僅かに首を傾げた。はらりと零れた蒼い髪が、バスィールの顔に触れる。

「どうかこの私に、貴女に触れる許可をお与えください」

 薄闇に浮かぶ星の光が、ゆっくりと瞬く。
 柔らかく、けれども低く染み入るその声は、邪な感情など一切含まない。神の許しを乞うまっすぐな声音は、人の子に与えられた脆弱な心臓を震わせるだけの威力を持っていた。
 ひたむきに見上げてくるその瞳の、なんと美しいことか。零れた吐息が唇を染め、夜に溶けていく。

「――許す」

 傲慢な響きを持つ言葉を投げたというのに、バスィールはその瞳だけで喜びを語ってみせた。笑んだわけでもない。声を震わせたわけでもない。表情は変わらぬまま、彼は沈黙のまま歓喜の声を上げる。
 大きな手が、そっとシエラの足に触れた。壊れ物でも扱うかのように掬い上げられ、肌の上をゆっくりと純白の衣が滑り落ちていく。外気にさらされた足に、温かな熱が触れている。
 聖なる杯にでもなったような気分だった。恭しく持ち上げられた足に、羽でも触れるような優しさで唇が落ちてきた。脛に触れた柔らかな感触は、そこからじわりと熱を広げていく。
 掬い上げたときと同様に、バスィールは丁寧にシエラの足を元に戻した。再び床に頭をつけ、彼は「姫神様、」と許しを乞う。

「どうか、いついかなるときも、この私を貴女の傍にお留め置きください」

 朝が訪れ、星の光が隠れても。
 夜が訪れ、進む道が見えずとも。

「――許す」

 微笑みとともにそう告げ、シエラはバスィールに祝福を施した。


* * *



「――おい、おい! 起きろ、エルク。エルク!」
「え? ……あれ、シエラ?」
「まったく、珍しいな。お前がうたた寝するだなんて」

 揺り起こされ、一番最初に目に飛び込んできた金色に心臓が跳ねた。蒼い紗幕が自分を覆い隠している。ソファに寝転んで居眠りしていたらしいエルクディアを、シエラは真上から覗き込んでいるらしい。
 清らかな蒼い檻に囚われたまま、何度も瞬きを繰り返す。やがて檻はなくなり、高い天井が顔を覗かせた。

「なにか嫌な夢でも見ていたのか?」
「夢? いや、覚えてないけど……、魘されでもしてたのか、俺」
「魘されてはいなかったが、随分と寝苦しそうではあったな。眉間の皺がひどかった」
「あー……、言われてみれば、確かに変な夢を見た気も……」

 手繰り寄せた記憶はおぼろげで、朝靄のように確かではない。手を伸ばして掴もうとすれば、指先が触れた矢先に逃げ出していく。しばらく考えてみたけれど、夢の内容は一向に思い出せなかった。
 エルクディアが投げ出した足があるにもかかわらず、シエラはお構いなしにソファに座って本を読み始めた。片方の足を引いて場所を提供してやれば、もう片方の足がシエラとソファに挟まれる。
 その横顔を眺めていると、自然と手が伸びていた。まったくの無意識だった。僅かに上体を起こし、そっと頬に触れる。文字を追っていた視線がエルクディアに移り、彼女は静かに「なんだ?」と問うて首を傾げた。
 蒼が零れる。
 ――奇跡の蒼が。

「シエラ、」
「だからなんだ」
「……いや、なんでもない」



 許可を求めずとも触れられるのに、彼女を求めることは許されない。



(脛へのキスは、服従のキス)
(2014.1102)

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