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「泣くなよ、小娘」
「……小娘って年齢でもありませんけど。それに、いつもは泣け泣けってうるさいじゃないですか、なんなんですか」
「俺が泣かすならなんの問題もない。大歓迎だ、大いに泣け、泣き喚け。だが勝手に泣かれるのは好きじゃねぇ。特に自己嫌悪なんつーくだらねぇ感情で泣いてる女はアホほど苦手だ」
「くだらないって、そんな!」
「くだらねぇだろ。お前は誰に引け目を感じる必要がある? あの二人が付き合ってるわけでもなし、ましてやお姫さんはお前の味方だ。フリーの状態の惚れた相手を自分の手で掴み取ってなにが悪い」

 だってあの人は上官で。でもあの人はマミヤが好きで。
 「だって」と「でも」に対して、ソウヤは「だから?」と突き放すような一言を返すだけだ。隊内恋愛を禁止する規則はない。好きな人がいるだけの相手に、惚れちゃいけない法律もない。
 言葉を失ったチトセは、すっかりひと気のなくなったロビーで自動販売機の唸る音を聞きながらソウヤを呆然と見上げた。

「……ソウヤ一尉が恋バナするなんて、意外……」
「なんっでも相談してこい。握れるネタは多いに越したことがない」
「はぁー!? 結局そこ? そこですか!? ちょっと感動して損した! 返してください!」
「アホ。お前から得られたモンなんざ鼻クソほどもねぇよ。むしろ俺の貴重な時間を返せ」
「い、言うに事欠いて鼻クソ!? 人の恋心鼻クソ扱いしました!? 信じらんない、なにこの人! ――っていうか、ああっ!!」

 恥ずかしい発言と下品な発言を並べ立てたことにも羞恥心がくすぐられたが、悲鳴が漏れたのは別件に関してだった。ソファを蹴倒す勢いで立ち上がり、チトセはわなわなと震える手でソウヤを指した。にんまりと猫のように笑うその表情が憎たらしい。

「な、なななっ、なんで、あたしが教官のことっ……!」

 当たり前のように話していたから気づかなかったが、そもそも話はそこからだ。真っ赤になった顔がこの上なく熱い。
 チトセがハルナのことを好きだとはっきり明言しているのは、マミヤくらいなものだ。スズヤにはバレてもう長いが、ソウヤにはそんなこと言った覚えもないし、言うつもりもない。
 まさかスズヤか。あの眼鏡叩き割ってやる――チトセがそう決意したところで、ソウヤはもうすっかり乾いているだろう髪をガシガシとタオルで拭きつつ面倒くさそうな顔をした。だが、その口元はにんまりと弧を描いている。

「誰が見ても丸分かりだろうが、馬鹿。気づいてないのは関わりのねぇ連中と、本人くらいなもんだろ」
「んなっ!」
「ま、せいぜい頑張れ。くれぐれも気ィ抜くんじゃねぇぞ」

 それだけ言い置いて去っていくソウヤの真意は相変わらず読めなかったが、不覚にもその後ろ姿をかっこいいと思ってしまった。剥き出しになった肩の筋肉が女のそれとは桁違いでどうにも悔しい。
 関わりのある人間にはほとんど知られていると知ってしまった今、これから自分がどう動けばいいのか――それを考えると、今すぐにでも叫びだしたいくらいに恥ずかしかった。


* * *



 浮き沈みの激しい日々を過ごし、そしてついに前日の夜が来た。
 心臓が自分のものとは思えないほど早鐘を打っている。教育期間が終わってからは特殊飛行部のハルナと仕事を共にすることなどほとんどなかったので、それで余計に緊張しているのだ。そう思ってもやはり下心が抜けきらず、どうすることもできずに部屋に戻るなり轟沈した。
 倒れ込んだチトセを見て、一足遅く戻ってきたマミヤが目を丸くさせる。

「なぁに潰れてんの?」
「お腹痛い」
「食べすぎ? やぁね、学習しなさいよ。馬鹿みたいに食べたらお腹壊すって前から言って、」
「ちっがーう! 明日! 仕事!」
「――ああ、デート」
「違うっつってんでしょ、あんた耳ついてんの!?」

 ドキンと似合わない音を立てた胸を誤魔化すように吠え立てた。

「あら。わたし明日お休みだし、昼まで寝てようかしらぁ」
「……ゴメンナサイ」

 不本意とは思いつつも謝れば、そっぽを向いていたマミヤが機嫌よさそうに頷いた。明日は、マミヤのデスクに置かれた化粧ポーチにお世話になる予定だ。あくまでも薄く、目立たぬ程度に。
 ――けれど少しでも、あの人の目に留まるように。
 恥ずかしさを抑えるようにクッションを抱き締めれば、すぐ近くに膝をついたマミヤがゆっくりと頭を撫でてきた。上官達に乱暴に撫で回されるのとは全然違う感触が心地よくて、強張っていた肩の力が抜けた。同じ年の美人を相手に言うのも少し気が引けるが、こうしていると実家の母を思い出す。幼い頃、寝付けないときはこんな風に頭を撫でてもらっていた。

「今日はゆっくり寝なさぁい。明日は早いんだから。といっても、あんたのことだから眠れないんでしょうけど」
「うう……、なんで、なんでよりにもよってバディが教官なのよー」
「嬉しいくせに。素直じゃないわねぇ」
「るっさいバーーカ!」
「寝てる間に眉毛全部抜いてほしいのぉ?」
「ゴメンナサイ!」

 これの見た目だけを見て惚れただのなんだだの言っている男性隊員が哀れに思えてくる。性格は全然甘くない。詐欺だなんだと声高に叫んでやりたいが、騙した覚えなんてないと返されるのがオチだからやめておいた。

「まあでも、明日がいい日になるといいわねぇ」

 マミヤの声は優しい。

「……仕事だし」
「分かってるわぁ」
「ただの、仕事だから。ちょっと植物園行くだけ。見て回って、話聞くだけ。……それだけ、だから」
「知ってる」

 こんなとき、思い知らされる。
 そして揺らぎそうになる。
 ――あたしが男でも、同じようにマミヤを選ぶ。
 なにも言えなくなってしまったチトセの頭を、マミヤは優しく叩いた。

「そーよ、お仕事。大事なお仕事でしょう? だからこそ、いい日になるよう頑張りなさぁい」
「……マミヤぁ」
「なーに?」

 嫉妬に痞えそうになった言葉は、なんとか喉から滑り出た。

「……ありがと」
「どーいたしましてぇ」

 そう言って抱き締めてくれる腕が温かくて、だからこそ痛感する。
 ――敵わない、と。


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