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「ほのちゃんは!?」
「艦の中! 俺達さえ戻ればいつでも脱出できる!」
「よくやった! ――でもさ、アカギ」

 銃声は止まない。
 ただひたすらに薬弾を撃ち込む中で、ナガトが困ったように笑みを浮かべた。

「俺ら、艦内のモニター、切ってないよね」

 それがどうした。今すべき話ではない。「はあ!?」三人目を撃ち抜きながら怒鳴りつける。
 階段の下に、倒れた感染者達を踏みつけながら登ってくる例の男の姿が見えた。
 振り回される銃は、引き金一つで人を殺す。

「――あいつ、半寄生と完全寄生、どっちだと思う?」

 真剣なその目に、ようやっと意味を悟る。
 完全寄生であれば殺処分対象だ。――殺処分するより、他に手立てがない。
 半寄生であればまだ回復の見込みはあるが、どちらにせよ今の状態では手の施しようがなかった。薬弾で動きを鈍らせ、ミーティア達の応援が来るまで持てればいいが、完全寄生であれば薬弾の効果もすぐに切れて暴れ出すだろう。
 男の目玉はぐるぐると忙しなく動き、充血して赤く染まっている。口から零れる粘着質な唾液は樹液を思わせ、蒼白い唇の端からは唾液と一緒に蔓のようなものが伸びているのが見えた。首筋に浮かんだ葉脈の痣。
 ヒトの形をした化け物だ。
 半寄生か、完全寄生か。それを判断できるだけの余裕が今の自分達にはない。防衛ラインは、扉があったこの場所だ。ここから先へは一人の感染者も立ち入らせるわけにはいかない。たった二人で何十人もの感染者達を捌かなければいけないこの状況で、あの男の状態をサーチしているだけの時間などなかった。

「……どっちにしろ、ほっとくワケにゃいかねェんだろ」
「そうだね。――アカギ、カバーして。俺がやる」
「おいっ」
「お前の方がでかいんだから、とっとと後ろ下がれ! それでついでに祈ってろ。……見てませんようにって」

 ナガトが取り出した銃に込められている弾丸は、薬弾ではない。元は薬弾と同じ、種の弾丸だ。けれどそれは金属などよりも遥かに硬く――、相手を殺傷するために作られたものだった。
 静かにそれを構えたナガトは、感染者の波にてこずる男の頭に狙いを定めた。――ああクソ。そう吐き捨て、アカギは眼前まで迫ってきていた感染者の足を撃ち抜く。
 ナガトが集中できるように。一人欠けた分を、補うために。ただひたすらに、引き金を引き続けた。

「ふぎゃっ、アははハハ!」

 男は制服を着た感染者の髪を掴み、乱暴に押しのける。壁に打ち付けられた男子生徒の額が割れ、血が流れた。冷え切ったナガトの眼差しが、それを見た瞬間に熱を宿す。
 一際大きく響いた一発の銃声に、アカギの頭がすっと冷えていく。弾け飛ぶ赤。割れたザクロの実のように、なにかが飛び散る。怪鳥のような奇声を発して後ろに倒れ込んだ男に、ナガトは続けざまに二発の銃弾を撃ち込んだ。
 階段が赤く染まる。泉のように広がる赤に、それでも他の感染者の足は止まらない。血だまりに足を取られて転ぶ者も多くいた。

「――行くぞ!」

 腹の底から叫び、アカギは艦へと身を翻した。すぐにナガトもついてくる。去り際に投げ込んだ閃光弾が爆発する間に、二人は艦内へと滑り込んだ。
 その中に、泣きじゃくる穂香がいた。モニターは屋上の出入り口を映している。目を押さえてもがく感染者達の姿が綺麗に映し出されていた。

「退避する! 二人とも、なにかに掴まって!」
「穂香、来い!」

 ナガトがパネルを叩き、艦が大きく揺れた。穂香の腕を掴んで手摺りに掴まり、投げ出されないようにしっかりと小さな身体を抱き込む。怯えた身体が逃げるように跳ねたが、それすら許すまいと引き寄せた。この震えは、どの恐怖によるものだろう。
 見上げてくる黒い瞳に映る自分達の姿は、いったい、どう見えているのだろう。
 ぐんと高く上昇した艦体が、騒然とする高校から離れていく。
 ひとまず目先の危機は回避した。安全な場所に着艦し、様子を見なければならない。揺れの安定した艦内でそっと穂香を解放すれば、彼女はその場に崩れ落ちて静かに肩を震わせ始めた。
 かける言葉など、一言も思いつかなかった。


 ――そら見ろ。
 自分達は、正義の味方なんぞにはけっしてなれない。


* * *



 しんと静まり返った会議室の中で、ハインケルは緊張の渦に呑まれていた。
 ついに起きてしまった集団感染。その処置が決定し、ありとあらゆる立場の人間が一斉に動き始めている。そんな中、自分は会議室の椅子の上で根を生やしたように動けないでいた。くるぅ。膝の上で鳩が鳴く。

「お加減はいかがですか、ハインケル博士」

 差し出されたコーヒーはミルクと砂糖がたっぷり入れられていて、それだけ気を遣われたのだと気づく。隣に座ったミーティアは、ハインケルではなく、スツーカを見て目元を和ませた。
 会議室にはいつの間にか誰もいなくなり、ハインケルとミーティアの二人だけになっていた。苦いブラックコーヒーの香りが漂ってくる。それをこくりと一口飲み下し、彼女は肉厚の唇に笑みを浮かべた。

「――正式に、ビリジアンの研究員となってくださいますか?」

 問いかけはひどく甘美な響きを持っていた。
 このままテールベルトに残るか、それともビリジアンで望まれるままに機械のように動くか。自分がしたいことは研究だ。それだけだ。ならば、ビリジアンに移ったとしてもなんの問題もない。むしろ、環境を整えてくれる分、そちらの方が好条件のようにも思えた。
 テールベルトに特別な執着があるわけではない。ただ、当たり前のようにここで研究を続けてきて、なんの疑問も違和感も抱いてこなかっただけだ。家族の背中を見て育ったハインケルには、ここで研究して生きていくことが当然だと思い込んでいた。
 それ以外の選択肢を目の前に提示され、上手く頭が働かない。おずおずと見上げた先のミーティアと目が合って、慌てて視線を逸らした。


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