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「あの国は、生きたデータじゃないと満足しないはずだ。――ところで、僕のスツーカは元気?」
「なっ、まさかアンタ……! ねえ! あの鳩どうしたの!? 誰かっ、誰か、今すぐ確かめなさい!」
「偉いね、ドルニエ。ちゃんと気づけたんだ」

 なんだ、この男は。
 浮かんでいるのは綺麗な笑みだ。だがそれはとてもいびつで、狂気にまみれている。
 ――怖い。部下がスツーカの状態を確認するコールをかけている間、ドルニエははっきりとした恐怖を感じた。
 目の前に立つこの男が恐ろしい。怯えていたかと思えば牙を剥く。静かに、けれど、確実に。牙を突き立てられるというよりも、たおやかな天使の手に首を絞められているようだった。綺麗な笑みで、殺しにかかる。その落差が、なによりも恐ろしい。
 ハインケルは、スツーカにも自分と同様のシステムを用いたのだろう。心臓が止まれば、自動的にデータは消去される。違うのは、埋め込まれていたのが心臓ではなかった点だ。体内から抜き取ったところでデータは消えない。けれど、鳩の心臓が止まれば、跡形もなく消える。

「ドルニエ博士! 例の鳩ですが、術後研究員が縫合したようです! ですがっ」

 スツーカの無事に安堵する間もなく、言葉を続けかけた部下を遮るようにハインケルが膝を折った。苦しげに咳き込み、必死に呼吸を整えている。額から滴り落ちるのは汗か水か、そんなことも分からないくらいに彼はずぶ濡れだった。

「あ、アンタだって、完璧なんかじゃないじゃない! アタシはもっと、もっと上に行くのよ! アンタよりずっと上のっ、」
「無理だよ、ドルニエ。――お前は、僕には敵わない」

 痛苦に歪んだ顔で、ハインケルは笑う。
 世界で最も憎い男が、ドルニエを嗤う。
 足でも撃ち抜こうと激情に任せて拳銃を構えた瞬間、スピーカーが不愉快なハウリングを響かせた。ざわめきが流れる。喧騒を、女の声が蹴散らした。

『――ハァイ、聞こえますかしら?』

 弾かれたように天井を睨むドルニエに、女の声は畳み掛ける。

『こちらは万事つつがなく進んでおりますわ。おちびさんも無事ですわよ』
『くるぅ〜』

 愛らしく響いた鳩の鳴き声。上品な口調ながら、気の強そうな女の声。
 ドルニエの手から拳銃が零れ落ちる。

「こんなっ、こんなこと、したって、アンタはもう国に捨てられたのよ! もう全部遅いわ! 生きて帰ったって、アンタはもう必要とされないのに、どうするつもり!?」
「……うん、どうにかするよ。お前が一番よく知ってるでしょう? 僕らの一族は、目的のためなら常に手段を択ばなかった」

 そうだ。
 ドルニエも、ハインケルも、その両親も、祖父母も、曽祖父母も、皆。いつだって自分の目的を果たすためなら、手段を択びはしなかった。
 まだ策はあるはずだ。きっとどこかに道がある。そう思うのに、手足が震えて動かない。負けたくない、認めたくない。負けたわけじゃない。――アタシは、誰よりも優秀なんだ。
 ドルニエの背後で銃声が鳴った。次いで防衛員の怒声、悲鳴、呻き声が順に響く。傍らにいた男が倒れる。太腿を撃たれたのか、足を庇ってのたうっている。

「――お迎えに上がりましたよ、ハインケル博士」

 テールベルト空軍の軍服を纏った男が、ドルニエの後頭部に銃口を突きつけながら言った。もう一人の眼鏡の男が、ハインケルを支えて立ち上がらせる。去り際に部下の一人が落とした端末を拾い上げたハインケルは、擦れ違いざまに疲れ切った顔で、またしても笑った。
 笑顔なんて、見慣れていない。ドルニエの記憶にあるハインケルは、いつだって自信なさげな、怯えた表情をしていた。
 臆病羊のハインケル。それが、兄であったはずなのに。

「お前は昔から、詰めが甘いんだよ。元に戻したりしなきゃ、僕は全部忘れてたのに。――お馬鹿さん」

 嘲笑が脇を抜ける。
 偽りの緑が燃え盛る。後頭部に突きつけられた銃口がいつ離れたのか、ドルニエには分からなかった。気がつけばその場に座り込み、呆然と炎を見つめていた。
 ――違う、アタシは、負けてなんかいない。

「う、くっ……、うあああああああああああああああっ!!」

 負けてなんか、ない。


* * *



 温室を出るなり、ハインケルは膝から崩れ落ちた。スズヤに肩を支えられていたから倒れることはなかったが、それでももう一歩も歩ける自信はない。座り込んだ身体をすかさず抱き上げられる。上背は今のハインケルの方が高いというのに、スズヤはけろりとしていて表情一つ変えなかった。
 頭が割れそうだ。心臓も食い破られそうなほどに痛い。身体の急激な変化についていけず、核のコーティングが緩んだのだろう。発症スピードを遅らせる薬でも飲まなければ、この身体は白に蝕まれる。
 そのまま連れて行かれた部屋にいたのは、ミーティアとスツーカだった。ミーティアの腕に抱かれたスツーカが、心配そうにくるぅと鳴く。

「ハインケル博士、こちらをどうぞ」
「ありがと……」

 ミーティアに渡された薬を飲んでしばらくすると、身体の痛みが引いていった。研究所内のどこかから拝借してきたのか、見れば彼女の傍らには薬箱がいくつか積み上げられている。
 この二人の軍人は、期待通り上手くやってくれたようだ。感染者を解放し、ハインケルの命をあえて危険に晒す。そうすれば、ドルニエは血相を変えてやってくるだろう。感染者の解放によって生じた混乱に乗じ、スツーカとミーティアを救出する。まさに狙い通りだ。
 ミーティアからスツーカを手渡され、腕の中に納まったぬくもりに安堵する。翼や腹には包帯が巻かれ、丁寧に治療されていた。どうやらドルニエの配下にも、心優しい人間がいたらしい。
 ほっと息を吐いたハインケルは、預けていた端末を机の上に広げて電源を入れた。思った通り、ジグダ燃料爆弾の設置個所を示す地図も端末の中に入っている。それを見たソウヤが、即座にヒュウガ隊に連絡した。間髪を入れずにハインケルも爆弾の起動画面を立ち上げ、解除コードを探る。


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