▼59:デュオとベッリーナA

ナランチャの敵への攻撃と共にトリッシュを庇いながら素早く亀の中へ戻ったアデレードは彼女が無傷なのを確認してひとまず安心する。

「折角着替えたのに、私が汚れていたんじゃあ血がついてしまうわね」

プロシュートが持ってきた服にまだ着替えていなかったアデレードは血で汚れたワンピースを脱いだ。

「外の事が気になるけれど、今はブチャラティたちに任せてあなたはここでおとなしくしていて」

目の前で着替え始めるアデレードをぼんやり見つめている事に我に返ったトリッシュは気まずさからフイっと目を逸らす。
スリップも脱いで新品のワンピースに着替えたアデレードが背中のジッパーを器用に上げ、伝線したストッキングも新しいものに履き替えた。
ショッパーの底に転がるネイルポリッシュはテーブルの上に出しておく。
トリッシュの前で裸になって着替えるよりも赤く塗られていない素の爪をブチャラティに撫でられた時の方がアデレードには恥ずかしかった。

「さっきの人、あなたの恋人?」

トリッシュがそれまでずっと気になっていたのだろう、アデレードとプロシュートの関係を尋ねる。

「彼とはもう別れてるの」

「それでも彼はあなたの事、忘れてないのね」

黒いワンピースに赤いネイル。
どれもこれもアデレードが普段から身につけているものだ。トリッシュの目からはそれらはアデレードの好みとして見えるのだろう。

「……似合ってる?」

「え?ええ……」

「トリッシュは強いのね」

「私が、強い?」

「出生の秘密を、ボスである父親の正体を、知るのは怖くない?」

人が何かを恐れるのはそれが何だか正体が解らないからだ。
暗闇で幽霊だと思っていたものが明るい所で見れば街灯だと気付くように、気に入らない相手だと思っていた人物が話してみたら案外優しい人間だったと解るように、そのものの本質を理解すればそれはもう恐れる対象にはならない。
トリッシュが知りたいボスの正体とはサルディニアに行けば確実に知ることが出来るものであり、この戦いに於いても重要な情報だ。
そもそもトリッシュがそれを知りたいと望んでいる。
プロシュートとの関係を終わらせても尚、まだ自分の嗜好や言動は彼から与えられたものに準じている事がアデレードにはどうしても変えられない。
今更どうやったって元には戻れそうになかった。
アデレード本人がプロシュートと出会う以前の自分がどんな色を選び、どんな服を好んでいたか思い出せないのだ。
別れた後アデレードが何かを選ぶ時、彼女の耳元で「Questo è meglio(こっちにしろ).」とプロシュートの囁く声が幻聴として聞こえてきた。
見えない糸で操られているような感覚とその糸からは決して逃れられないと痛感させられるような呪縛。
アデレードがその糸を断ち切ろうとすればするほど、プロシュートからの呪いはアデレードの首に、手足に、心に絡みついてくる。
プロシュートという呪いの正体を知っていてもアデレードはまだ彼から与えられた価値観を改める事が出来ない。

「それでも……知らないままでいる方が怖いわ」

「……そうね。あなたの言うとおりだわ、トリッシュ」

「アデレード……?」

これまでにはなかったような不安定なアデレードにトリッシュは困惑する。
数日前に出会ってからトリッシュに対してアデレードは毅然とした態度で傍にいた。今目の前にいるアデレードは何かを思いつめている。
トリッシュから声を掛けたられて、我に返ったアデレードが気を取り直してふぅと息をつく。

Va bene(大丈夫よ).あなたの強さに少しだけ焦がれただけよ」

「アデレードは私より十分強いと思うけれど。さっきだって私の事を一番に庇ってくれたもの」

「仕事ですもの」

「いくら仕事だとしても他人の為に命まで賭けられるなんて事あるかしら」

「……そうね。私達は……少なくとも私は、仕事であればどんな人間だろうと……相手が女でも子供でも殺めてきたけれど、そんな風に人の命を奪ってきた私が誰かを護る事になった時、自分の命を惜しがるのは不平等だと思わない?」

「命は平等だと言いたいの?」

「いいえ。命は不平等よ。だからこそ出来る限り平等でなくてはならないと、私は思うわ」

「……ブチャラティたちも同じかしら」

「……さぁ。でも恐らく彼らは正しいと信じる事の為に行動している」

「……私には理解出来ないわ」

「そうね。彼らは眩し過ぎて、たまに眩みそうになる」

トリッシュとアデレードはそれきり黙って、出入り口となる亀の天井を見つめた。
ソルベとジェラートが親衛隊の二人を見つけたのは丁度その頃である。




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